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第3部 15話
聖は店の人に申し訳なく思いつつも、ほとんど食が進まなかった。せっかくの豪勢な料理だったが、全く味がわからないままで口に運んでいる状態だったからだ。
透は逆に、やけ食いとも言える勢いで目の前のご馳走を平らげていた。日本酒を呑むペースもいつもより格段に早い。
「こちらとしては、別に断ってくれても構わないから。代わりはいくらでもいるしね」
なんだか棘のある言い方をされて、聖は不思議な気持ちになった。どうも初対面の時から、蓮は自分に対して含みのある態度を取っている気がする。
「おいおい、ちょっと言い方キツイだろ~。ま、もうちょっと気軽に考えてみてよ」
エイジはそう言いながら、すこし心配そうに聖の顔を見た。どうやら、蓮と自分たちの関係性についてあまり予備知識がなかったらしい。
なんともいえない雰囲気の会食が終わると、エイジたちはタクシーを呼んで帰っていった。
ゆっくりと視界から消えていく車体を眺めながら、聖はちいさくため息をつく。
「ごめんね。あの、プロジェクトの話……ずっと言い出せなくて」
「いいよ。聖が悪いんじゃないって、わかってるし。でも、なんか……なんだろうな。ここまで来られたのは、自分たちの実力じゃないって言われた気がしてさ」
いなくなったタクシーの影を睨みつけるように、透は車道の先に視線を送っていた。
「そんなことないよ。だって、おれが入った時よりも、みんな演奏技術は上がってるし」
その言葉に、透は首を振った。悔しそうな表情で、今度は自分の足元を見つめる。
「だから、だよ。聖は加入した時から俺らよりずっとレベルが高くて、その差を埋めようと必死になってたけど……スタートラインから、そもそも違ってたんだ」
吐き捨てるようなセリフに、聖は何も言い返すことができない。
「悪いけど、俺、先帰るわ」
透はそれだけを言うと、足早に地下鉄の駅に向かっていく。
その背中を呆然と見送りながら、聖はしばらくその場に立ち尽くすことしかできなかった。
いままでの透の優しさが、嘘のようだ。
やっと想いを伝えて――気持ちが通じ合えたと思ったのは、幻想だったとでもいうのだろうか。
おれは、またしても大事な人を喪おうとしているのかもしれない。
そのことは、聖に思いのほかショックを与えていた。
佳祐の時もそうだった。最初、まだギターを教わり始めた頃は良かったのだ。
聖は、早く彼に追いつきたくて、また周りから必要とされるようになりたくて、必死で練習した。
ある時から、佳祐はもう聖にギターを教えてくれなくなった。
自分よりも上手くなったから、と。これ以上、なにもしてあげる必要はなくなった、と。
そうやって離れていったあの人に、聖はなにも言えなかった。
どうして、こうなってしまうのだろう。
他人から求められることを渇望して、そのためだけに手に入れた音楽の才能だったはずなのに――今度は逆に、それが原因でみんなが離れていってしまうだなんて。
あの時、声をなくしてから……ようやく、代わりを見つけたと思ったのにな。
聖は、広げた両手をじっと見つめた。白すぎる手のひらに、雫がひとつ、またひとつと落ちてゆく。
この手を護ると言ってくれた声が、頭の中でリフレインする。
こんなに哀しいなら、手に入れなければ良かった。
ずっと、気持ちを隠したままで――あの優しい腕に、触れなければ良かった。
あんなぬくもり、知らずにいれば良かった。
あとからあとから溢れ出てくる涙が、視界をにじませる。
どこか遠くで鳴っているクラクションに我に返ると、聖はぎゅ、っとまぶたを閉じた。
光の見えない真っ暗闇の中で、また独りでもがき続ける日々が始まるのだろうか。
そう思うと、絶望的な気持ちになる。
しばらく目を閉じたまま、聖はその場から動くことができなかった。
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