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第3部 17話
慌てて駆け込んだ音声外科で、聖は『心因性発声障害』と診断された。
いままではどちらかというと自分の意志で発声していなかったために声帯の機能が低下していたのだったが、今回はそういった類の疾患とはまた質が違うようだった。
「僕の知り合いに精神神経科の名医がいるから、紹介状を出そう」
主治医はそう言って、隣県にある総合病院を教えてくれた。
「こいつは失声症の症例もいくつか経験しているし、安心していいよ」
励ますように肩を優しく叩かれて、聖は泣きそうになってうつむく。
せっかく歌う意志を示して喜んでもらっていたのに、と自分の不甲斐なさに腹が立った。
診察室を出ると、待ち構えていた翔が近付いてくる。メンバー全員が付き添いを希望したのだが、すぐに車を出せる彼が代表して送ってきてくれたのだ。
「どうだった? ……って、今は話せないんだよな」
こくりと頷くと、聖は先程印刷してもらった書類を見せた。紹介先の病院について書いてある。
「精神科、か。やっぱり、さっきの話が原因で?」
問われて、聖は首をかしげた。
思い当たることといえば、急変した透の態度に他ならない。だが、そんなことは翔に伝えられるはずもなかった。
「今から出ても診療時間には間に合いそうにないな……聖、明日は空いてる?」
待合室の椅子に座るよう促されて、とりあえずふたりで並んで腰掛けた。携帯でスケジュールを確認する。
あしたはなにもない
久し振りにメモを開いて文字を打ちながら、聖はどんどん気分が沈んでいくのを感じる。
「了解。じゃ、明日の朝、家まで迎えに行くよ。マンションの前に着いたらコールするから」
うなずきながらも、聖は申し訳なさでいっぱいだった。ツアー前の大事な時なのに、みんなに迷惑をかけてしまっている。
「気にしなくていいよ、悪いのはトールなんだからさ」
慰めるように言う翔の顔を、聖はじっと見つめた。
「俺も、聖のこと好きだからなんとなくわかるんだ。トールはきっと、怖がってるんだと思う。いつか、お前が自分の前から離れていってしまうんじゃないか、って」
翔が言っている意味が理解できなくて、聖は眉をしかめた。
離れていくのが怖いだなんて、それでは、いまの自分と全く同じではないか。
「みんなも言ってたけど、聖の演奏レベルだったら、俺らのとこにいるよりも相応しい場所がいくらでもあるはずなんだ。だから、例え『EUPHORIA』がメジャーデビューできたとしても……そこから上に行くことができなかったら」
そこでいったん言葉を切った翔は、辛そうな表情で言葉を絞り出す。
「お前の意思とは関係なく、周囲が一緒にいることを許してくれなくなるんじゃないか」
翔の話はあくまで憶測にすぎない。だが、あながち間違いでもないのかもしれない、と聖は思った。
どうすることもできない歯痒さに、くちびるを噛みしめる。
「聖も、トールのことが好きなんだろ」
ぽつりとつぶやいた声に、聖ははっとして顔を上げた。
「そうじゃなきゃ、声が出なくなるほどショック受けたりしないもんな」
苦しそうな声とは正反対に、翔の顔は笑みを湛えている。
「弱みにつけこんで、どうこうしようとか……そんな男らしくないことはしたくないけど」
そう言いながら、翔は聖の手に自分の手を重ねた。
「もし、トールがこれ以上お前を悲しませるようだったら……その時は、俺が攫ってくから」
まっすぐに聖の瞳を見て、翔はそう宣言した。
受付で会計を済ませて外に出ようとしていると、後ろから声をかけられた。
驚いて振り向くと、主治医の先生が駆け寄ってくる。
「これ、頼まれていた音源だよ。ひょっとしたら役に立つかもしれないから」
本来受け取るはずだった外来診療の予約日よりも早く来てしまったので、慌てて持ってきてくれたのだろう。
聖はその心遣いに、また涙が出そうになる。辛うじて押し止めると、深くお辞儀をした。
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