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第3部 18話
翔と別れて自分の部屋に戻ると、聖は真っ暗な中で先程もらった音源を再生した。
導入部を聴いただけで、当時の記憶が甦ってくる。
あの頃は、ただ言われるままに歌っていただけだったな。
とにかく、褒められるのが嬉しかった。自分が歌うと、周囲が笑顔になることが楽しくて仕方なかった。
いまになって思えば、そこには大人の様々な思惑が絡んでいたのだろう。
でも、もうあの頃とは違う。
自分を痛めつけることでしか大人に抵抗することができなかった、幼い自分。
いまは、ひとりじゃない。みんながいる。
それに、喪いかけたものを諦めてしまう弱さとは、もう決別したかった。
一曲目のエンディングがフェイドアウトしてゆき、しばしの静寂が訪れる。
次の曲が始まった途端、聖は閉じていた目を見開いた。
これ……透が、携帯のアラームに設定してる曲だ。
彼の部屋に泊まったのは、聖が告白の返事をしたあの時だけだった。
だが、起きる前に確かに聴いたあのメロディーは、いま流れているものと同じだ。
こんな偶然、あるだろうか。
確かにクラシックのスタンダードではあるから、端末内のデフォルトデータとして入っていることは不思議ではないのだが。
それでも……きっと、これは啓示だ。
なにか不思議な力が働いて、自分たちの運命を後押ししてくれている。
聖には、そんな風に感じられた。
いてもたってもいられなくなって部屋を飛び出す。財布だけを手に持って、携帯は置いていった。
この想いを伝えるには、機械なんかに頼ってはいけないと思った。
たとえ声が出なくても、手段は他にあるはずだ。
とにかく、彼に逢いたかった。逢って、自分の本当の気持ちを伝えたかった。
その感情に突き動かされるように、聖は走り出す。
透の部屋に近付くにつれて、空模様が怪しくなってきていた。
最初にここに来た時も、雨が降っていたな、と思い出す。
あれから、まだそんなに時間は経っていないはずなのに――あの時とは、まるで状況が変わってしまっていた。
やがて、ぽつぽつと地面に染みができ始める。
聖は肌に感じる雨粒の冷たさに身体を震わせながら、透の部屋の窓を見上げた。
相変わらずカーテンは開いていて、あのちいさな木が窓辺からこちらをのぞいている。
聖は、マンションの出入口でしばらく佇んでいた。
オートロックの玄関なので、開けてもらうには透を呼び出す必要がある。
だが、ことここにきて、聖は最初の勢いを失ってしまっていた。
仕方なく近くの建物の陰に入り、雨をやり過ごす。
そうしながら、これからどうしたものか途方に暮れた。
一旦帰って出直そうか、とまで思った時、足音が聞こえてくるのに気付く。
「聖……?」
想い焦がれたひとの声が、自分の名を呼んだ。
コンビニの袋を下げてビニール傘をさした透は、驚いた顔で聖を見ている。
どうすることも出来ず、聖はただ彼の顔をみつめた。
「とにかく、入りなよ」
そう言って近付いてきた透は、聖のほうに傘を差し出した。
おずおずと彼の隣に行くと、頬に手が伸びてくる。
あたたかい掌が、そっと肌に触れた。
「めっちゃ冷たくなってるじゃん。早く家に帰ろう」
その声は、以前の優しい彼と同じ。
聖は嬉しいのに、なぜか涙がでてきてしまう。
その雫を、透の指がそっとぬぐった。
「ごめん」
ひとことだけつぶやいて、透は聖の冷えきった頬にキスをする。
それは、本当に掠めるようなくちづけで――ほんの一瞬の出来事だったけれども、聖の気持ちを落ち着かせるにはじゅうぶんだった。
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