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番外編 toru 第8話
片腕に恋人の重みを感じながら、空いた方の手でやわらかな髪を梳く。
「聖、ラポールって聞いたことある?」
頭に浮かんだ言葉を口に出すと、目の前の愛しいひとは、すこし不思議そうな顔でちいさくうなずいた。
「うん……カウンセリングの時に」
「あ、そっか。たしか心理学の用語だもんな。俺は彼方に教えてもらったんだけど」
事務所巡りをする中で、透はビジネス用語のひとつとしてその単語を聞いた。
営業マンであるはずの爽汰よりも、彼方の方がよっぽど詳しかったのには苦笑したが。
「あれって最近はセールスマンの営業スキルみたいになってるけど、もともとは違うらしくて」
透は聞きかじりの知識を披露したいわけではなかったが、一応ひと通りの説明をする。
聖は彼の腕の中でじっとしながら、真剣な顔で耳を傾けてくれていた。その姿が愛おしくて、額に軽くキスを落とす。
そもそもラポールとは臨床心理学の用語であり、セラピストとクライエントとの相互信頼の関係を表すものだった。
「で、ラポールにはレベルがあるんだって。究極が『in you』ってやつで……相手と、一体化した状態のことらしいんだ」
「一体化……」
おそらくその瞬間、お互いに同じ場面を想像したはずだった。
「俺、さ。プライベートではもちろんだけど、音楽でも、聖とそういう関係になれたらいいなって思う」
その言葉に、聖はにっこりと微笑んだ。やわらかな手が透の頬に添えられる。
静かに語り始めた声が、透の耳と心を癒やしていった。
「声が出せるようになった時、思ったんだ。言葉で伝えるって意外と難しいな、って。うまく言語化できないっていうのかなぁ。それが、もどかしくて」
潤んだ大きな瞳が、自分の姿を映し出している。くちびるで瞼に触れると、ついばむようなくちづけが返ってきた。
「でもね、ギターを弾くと、不思議とそういうの感じなくなるの。相手に伝わってるかどうかはわかんないけど……すくなくとも自分では、話すよりも感情を表現できてる気がするんだ」
必死で言葉を紡ぐ姿に、彼のいままでの葛藤が凝縮されているような気がした。
透はそんな聖のことがどうしようもなく愛しくて、その想いをぶつけるように深く口内を貪る。
また身体が反応してくるのを感じて、透は慌てて顔を離した。熱っぽく欲情を湛えた聖の瞳が目に飛び込んできて、たまらずに強く抱きしめる。
「なんとなくわかるよ。むしろ俺の場合は、ギター弾くよりメロディを創る方が近いのかもしれないけど」
自身を鎮めるように話し出すと、胸に抱いた身体がちいさく身じろぎした。
腕をほどいて向き合う。これ以上ないくらいに愛らしく微笑んだ天使の、紅く染まった頬を優しく手でつまんでみた。
ふにふにと弄ぶと、くすぐったそうに笑い出す。あまりの可愛らしさにどうにかなってしまいそうだ。
「やべぇ……賢者タイムに入ったはずだったのに、まだ全然元気だわ」
わざと下半身を擦り寄せると、恋人は困った顔をした。
「知らないよ、そんなの。おれ、もうつかれたもん。ねむたいし」
「え〜、こうなったのは聖のせいじゃん。責任取ってよ」
ぷい、っと顔を背けられて、透は苦笑しながら聖の身体の後ろに手を伸ばす。
優しく揉みしだくと、可愛らしく睨まれた。
「もう……ぜったいに、あと一回だけだよ?」
「それは確約できかねるけど」
不満そうな顔をした聖にキスしながら、透はふたりの意識が重なり合う瞬間を感じた。
お互いがお互いを必要とし、共に高め合う関係。
これからもずっと――永遠に。
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