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番外編 sho 第2話
「東堂たちもとうとう武道館か」
翔が『DILEMMA』の事務所に顔を出すと、貴久が直々に迎えてくれた。
「本田さんたちのドームツアーには負けますけどね」
「当たり前だろ。そんな簡単に追いつかれたら困っちゃうよ」
海外での大きなプロジェクトが成功したという彼は、いつもより機嫌が良い。
「そういえばお前たち、まだ新社長に会ってないんだってな」
「そうなんですよね……なんか出張が多いとかで、スケジュールがすれ違っちゃってて」
佳祐とは、事務所にマネジメント委託することが決まってからまだ一度も顔を合わせていなかった。
「アイツ、しょっちゅう飛行機であちこち飛び回ってるからなぁ。あとテーマパーク巡りと」
「まあ、実際の業務は落合さんが担当してくれてるんで特に問題はないんですけど」
おかげで、今回のツアーコンセプトを聞かせた時は大騒ぎして大変だったのだが。
「ウチとしても、全面的に協力させてもらうよ。なんでも相談してくれていいから」
「ありがとうございます。あの……実は、別件でお聞きしたいことがあって」
そう切り出すと、翔は最近ずっと考えていたことを切り出した。
「それは、別に構わないけど。金銭的なことは大丈夫なの?」
「はい。レコード会社の人にも、セキュリティのしっかりしたところに住んだ方が良いって言われて」
翔の相談とは、引っ越しに関することだった。いまは祖母とふたりで暮らしているのだが、近いうちに独立しようと考えている。
そこで検討している物件が、現在貴久が住んでいるマンションなのだった。
「藤原くんも、つい最近まで松浪の名義のとこに住んでたんだよな」
「そうですね。今は、後輩バンドの子が入ってるみたいです」
聖は、ほんの一週間ほど前に透のマンションに引っ越していた。ちなみにメンバー間では、影で『愛の同棲生活』と呼ばれている。
「ま、詳しいことが決まったら教えてよ。引っ越し祝いのパーティでも開いてやるからさ」
「マジっすか!? じゃあ、松浪さんとか新山さんとか呼んでくださいよ!!」
急にテンションが爆上がりした翔に、貴久は苦笑する。
「誘うのは構わないけど、来るかどうかは知らないよ?」
「全然いいッス! ヤベー、あの伝説のバンドが……」
すっかり興奮している翔に、貴久は黙って一枚のSDカードを手渡した。
「これさ、藤原くんが昔歌った曲の音源」
「え? なんで本田さんが……」
不思議そうに手のなかのちいさなカードを眺めている翔に、貴久は悪戯っぽく笑いかける。
「そこはまあ、こう見えてそれなりに人脈があるからね。とにかく聴いてみなよ。素晴らしい歌声だから」
「ありがとうございます」
受け取ったはいいものの、翔は複雑な気持ちだった。
聖の過去に関する一連の出来事は、一応の決着がついたものと頭では理解している。
だが翔は、当時の自分が安易に歌を辞めてしまったことに忸怩たる思いを抱いていた。
ある意味、その原因の一端である聖の歌声を冷静に受け止められる自信がなかったのだ。
翔は迷った挙句、とりあえず当の本人である聖に連絡した。
*****
いつものバーに透と連れ立って現れた聖は、幸せいっぱいのオーラを隠そうともしていなかった。
特別いちゃついているわけではないのだが、醸し出す雰囲気がピンク色に染まっている。
「ごめんな、急に呼び出して」
「いいよ、どうせご飯は外で食べようかって言ってたから」
言葉の端々から、まるで新婚の夫婦と話しているかのように錯覚してしまう。
ふたりが席に着くと、翔は先程の出来事をざっくりと説明した。
そして、ポータブルプレーヤーからデータを再生する。
天使の歌声が、抑えたボリュームで流れた。
「あぁ、例のポシャったアルバムの音源だろ?」
どうやら既に聖の元には別ルートで同じものが渡っていて、透もとっくに聴いていたらしい。
「意外と流出してるもんなんだな」
「まぁ、関係者は結構いたからね。松浪さんも持ってるって聞いたし」
その名前に、妙に反応してしまう。それは目の前の透も同様のようだ。
ただ、聖自身はそれほど気にしている風ではなかった。
過去の件に関しては完全に吹っ切れているということなのだろう。
いつまでも引き摺ってるのは、俺だけなのかな……。
こもった音のソロ曲を聴きながら、翔はふたりに気付かれないくらいのちいさなため息をもらした。
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