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第41話 虐待の爪痕

 夏休みが過ぎ、2学期になった。  椿は、3年生の1学期から高校に復学していた。  以前は、電車で通学していたが、事件後、三浦家が懇意にしているタクシーで送迎されるようになった。  表向きは、安全のため――だが、真の目的は、椿に逃げられないよう、見張るためだった。  良家の子が多いので車通学はめずらしくない。  帰宅時には迎えの車が、学校の周囲をぐるっと取り囲む。  その日は始業式で、昼食を食べて授業が終わった。  校門を出て、迎えの車に乗り込んだ椿は、スムースに発車した車窓から、ぼんやりと外を眺めた。  ……夏以降、動画配信の登録者数は、爆発的に増えた。  ライブ配信は週1回から、週2回になり――それ以外にも、様々なエロ動画を配信された。  いまも乳首には、大きなバンドエイドが貼られている。  アナルには、外出用のアナルプラグが挿入され、勝手に排泄することはゆるされない。  出かける前に浣腸され、兄弟の前で犬用トイレに出し、それを始末してから、アナルプラグをねじ込まれる。  どんなにうんこがしたくても、兄弟が帰ってくるまでは、ガマンしなければならない。  おしっこだけは、チンポに嵌められた貞操帯の穴からすることができる。    家に帰ったらすぐ服を脱ぎ、貞操帯とアナルプラグを付けたまま、犬用ケージの中で四つん這いになって兄弟の帰りを待つ。  そんな惨めな奴隷生活が続いていた……。  タクシーが、高い煉瓦の外壁に囲まれた、高台にある三浦家の邸宅前で停まる。  運転手に頭を下げ、後部座席から降りた椿は、大きなガレージの横にある門扉へ向かった。  緑の木々の生い茂る庭から、ミンミンという蝉の声が聞こえる。  30度を超える高温に、長袖のスクールシャツとグレーのスラックスの下を、大粒の汗が流れ落ちる。  あまりの暑さに首元までぴっちり締めたボタンの一番上を外した――そのとき、「……椿くん?」と後ろから声をかけられた。 「三浦 椿くん――だね?」  ひょろりと背の高い、背広姿の中年男性が、坂道を登りやってくる。 「よかった……やっと会えた」  縞々のハンカチで額の汗を拭きながら、椿に近づき、 「覚えてるかな? 捜査一課の草薙です」  にっこりと微笑みかける。 (あ……)  ――覚えてる。    火事のあと、入院先に一番最初に訪ねてきてくれた刑事だ。 「君の叔父さんに何度か面会をお願いしたんだけど、なしのつぶてで――思いきって家に来てみたんだ。……いま、学校帰り?」 「……は――はい……」 「そうか――よかった。学校、ちゃんと行けてるんだね」  おっとりした柔和な笑み。  草薙は、取り調べのときもずっとこんな感じで、けして声を荒げたりしなかった。  『犯人の顔は見ていません』  取り調べで、椿はそう証言した。  ――事件が起きたときは、ちょうど須長に目隠しプレイをされていたので、犯人の顔は見られなかった。  そのあと、何か薬品のようなものを嗅がされ、気を失い、丹下組のアジトに連れていかれた。  それからずっとあのSMクラブで働かされていたのだ……と。   「……受験勉強はしてるの?」 「あ……内部進学制度があるので――勉強はそんなには……」  椿の高校は、有名私立大学の附属校だった。  卒業生のたいていはそのまま持ち上がりで大学に行き、一部が統や司のように海外留学する。 「へぇ。いいね。うらやましい。うちの息子も今年受験生なんだけど、予備校やらでお金がかかってしかたないよ」  ……息子さんがいるんだ、と椿は思った。  こんな優しそうなお父さんがいる生活っていったいどんなだろう。  休みの日に一緒にスポーツしたり、ご飯を食べに連れていってくれたりするんだろうか。    父親の顔を知らない椿は、想像の中でしか、父親のいる家庭を描けなかった。  「これを君に伝えるのはどうかと悩んだんだが……」  頭の後ろを掻いた草薙は、 「――実は、一週間前に、丹下組の組長代理の西村という男が殺された」  と話を切り出した。 「えっ……?」 「事務所が襲撃され、西村の他にも何人か重傷を負った。今年の年末に丹下組の組長が出所するので、敵対する竜牙会の宣戦布告と思われているんだが――」 「……銀さんは――」  椿は、大きな瞳をわななかせる。 「銀さんは……無事ですか?」 「え……?」 「その――丹下組の――たぶん、若頭補佐……?」 「ああ――橘 銀一郎か。ヤツは無事だよ。……でもなんで――――」  そのとき、 「――椿」    門扉横のガレージの中から、統と司がそろって姿を現した。  ウィィィンッ……という音とともに閉まっていくシャッターの向こうの高級外車。  ディスカウントストアのビニール袋を抱えた司が、 「何してるの?」  善人の仮面を貼りつけた笑顔を見せる。 「あっ……」  目を丸くした椿は、「あ――あの……け――刑事さんが来て……」 「刑事?」 「あ――突然すみません。捜査一課の草薙と申します」  草薙はふたりに警察手帳を見せる。 「ちょっと、椿くんが関わった事件のことで、お話したいことがあって――」 「刑事さん」  椿の肩にポン、と手を置いた、金髪のハーフアップ姿の統は、 「わるいんだけど――こいつのことはそっとしておいてくれない? 事件のことは相当トラウマになってるらしいし――自分が売春(ウリ)やってたせいで巻き込まれたことは反省してるみたいだから」  切れ長の鋭い目を草薙に向ける。  ……セックス依存症の椿が、自ら売春をしていたというのが、その後の取り調べでわかった。  未成年売春に対する刑罰も検討されたが、『こちらで更生させる』という叔父の薫の申し出で、その件は不問に付せられた。  だが、ほんとうに、椿はセックス依存症なのか――草薙は疑問に感じていた。  なんとなくだが――おかしい。  三浦家の人間から感じる、偽善めいた空気。  刑事になって30年。  草薙はいろんな人間を見てきた。  この兄弟も、何かイヤな感じがする……。 「じゃ」  黒い門扉が開けた統が、椿を引っぱる。  「あ――ちょっ……! まッ――」  草薙の声に、椿が、細長い首を回し振り向く。  そのシャツの襟もとに目を留めた草薙は、はっと息を呑む。  細い首筋の下側に刻まれた、深い鬱血痕。  まるで――首輪の跡のような…… 「椿くんッ……!」  駆け寄ろうとして、目の前で司に扉を閉められてしまう。 (なんてことだ……)  地獄の門の入り口のように閉まった扉の前で、草薙は立ちつくした。  あのあざはおそらく、ここ最近のものにちがいない。  椿がこの館でいったいどんな目に遭っているのか――想像した草薙は、空を仰いだ。  太陽は高く――ジリジリと燃えるような陽射しが、アスファルトを焦がしていた……。        

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