44 / 69

第44話

「そんな詭弁(きべん)で私を丸め込むのは容易(たやす)いだろうが、現実はどうだ」  羽厳(う・げん)がそう言ってグラスを差し出すと、何の屈託も無く包文維(ほう・ぶんい)伯父(おじ)のために紹興酒(しょうこうしゅ)を注いだ。 「現実は、私と唐煜瑾(とう・いくきん)が心から愛し合い、一生一緒にいると決めただけの事ですよ、伯父(おじ)様」  どこまでも文維は冷静で、自分たちに非は無いと確信していた。そんな文維の自信を、小敏(しょうびん)は少し羨ましいと思う。 (優木(ゆうき)さんなら…、強面(こわもて)の軍人に迫られて、こんな風に堂々とボクのことを愛してるって言ってくれるのかな…)  ボンヤリする小敏の前で、羽厳は文維や包氏、包夫人に次々と酒を勧めた。 「小敏、お前は?」  将軍にとって愛息は、いつまでも幼いままのように思われて、まだ飲酒は早いとさえ感じるようだ。 「あ、…ボクは、リンゴジュースでいいよ」  小敏は父の機嫌を取るように、お得意の素直な笑顔を浮かべて、無邪気な態度で答えた。  その「正解」に満足したように、羽厳は笑顔で頷き、自分の酒杯を口に運んだ。 「同性愛は、現行法では確かに処罰されない。だがな、文維…」  上等な紹興酒で喉を潤した後、羽厳はおもむろに文維に向き直った。 「風紀紊乱(びんらん)罪で取り締まることは可能だぞ」  恐ろしい笑みを浮かべた将軍にも、文維は意外にも明るく笑った。 「その時は、伯父様が助け出して下さるでしょう?」  このやりとりに、包夫妻も小敏も言葉を失い、息を呑み、固唾をのんだ。  だが事態は思わぬ方向に動いた。 「はっはっはっ!さすがに上海一の神童と呼ばれた子だけのことはある。他人の愚痴を聞くだけの医者にしておくのは惜しいな」  さすがの文維の豪胆さに、羽厳将軍もこれ以上の追及は諦めたらしい。豪快な笑い声をあげ、羽厳はさらに酒を飲んだ。 「いいだろう。お前はアメリカに、唐家はイギリスにコネがある。金さえあれば、どちらも国籍の取得は可能だ。何かあれば、行先はある」  そう言った羽厳は、チラリと愛息・小敏の表情を窺った。 「但し、国内では目立つことはするな。婚約など晴れがましい発表は断じて許さん」  一瞬、射抜くような鋭い視線を文維に送ったものの、すぐに大らかな気のいい伯父になって、穏やかに笑った。  その後は楽しい一家団欒といった感じで食事を終えた。最後に将軍は文維と約束をした。 「北京に帰る前に、唐煜瑾も一緒に食事でもしよう」

ともだちにシェアしよう!