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第9話

そして準備期間もあっという間に過ぎ、文化祭当日。 悠たちのチームはヨーヨー釣りの景品つきバージョンで、ヨーヨーの重さを調節し、重いものほど良い景品が当たるというものだった。 その中には今大人気の携帯ゲーム機もあって、それ欲しさに挑戦する生徒が多数やってきた。 「ねぇ、この完全に水に沈んでるヨーヨーは、景品なに?」 挑戦者の一人が尋ねると、清盛が答える。 「俺の握手とサイン」 「うわ、いらねー」 「こっちこそ願い下げだ。もともと女子向けの景品だってのに、誰かが水を目いっぱい入れやがって……」 清盛がじろりと見た先には、知らん顔をした藤本がいた。 悠はこっそりため息をつくと、こうなったいきさつを思い出す。 初めは、清盛を景品に出すことに、みんな異論はなかった。 清盛はこの学校では知らない人はいないし、同性からも慕われているからウケもいいと思ったらしい。だから挑戦者も増やせると皆が考えた。 しかし、藤本がまりんの立場も考えてやれ、と猛反対した。 優勝するために彼女一人の心を、どう扱ってもいいのか、というのが決定打だった。 という訳で、絶対に取れない景品として出す譲歩案になったのだ。 「っていうか、春名。お前だけ何で浴衣なんだ?」 「……」 悠は眉間に皺を寄せた。 これも藤本の意見で、出店の雰囲気を出すために、スタッフは法被を着用し、男女ひとりずつ浴衣を着せようということだった。要は客引き係だ。 「こんなやる気のない客引き、見たことないな」 「女子は張り切ってるのにな」 清盛と藤本がからかいだしたので、ますます機嫌は悪くなる。 実際、いつもより女子の視線が多いような気もするし、それと同時に、男子の視線が少し変わったのも知っていた。 普段は悠のことなんて気にもしないくせに、少しいつもと違う恰好をしているだけでこれだ。 そんなに浴衣が珍しいのか、とため息をつく。 「じゃ、俺ら追加のヨーヨー作ってくるから」 豪華景品だけでなく、簡単に取れる景品を文房具にしたのは当たりだったらしい。 すぐに水槽の中のヨーヨーは少なくなり、補充をしなければならなかった。 清盛は藤本を連れて教室を出て行ってしまう。 「ちゃんと接客しろよ~」 「え? ちょ……っ」 客引き係はその場を動くなと言われ、大勢に囲まれて一人残されると、どうしたらいいのか分からなくなってしまう。 そこへ、今の悠が最も恐れている人物がやってきた。 「あれ? 木全くんいないの?」 「木全なら、ヨーヨー作りに行ったよ。……井上さん、この沈んでる奴、木全の握手が景品だって」 校内でも可愛いと有名らしいまりんに、男子生徒は浮かれて余計な事を話す。 「じゃあ、彼女の私がこれを取れば、他の女の子に触らずに済むのね」 まりんはしばらくその男子生徒たちとおしゃべりをし、釣りに参加しようとする生徒がいたら、さりげなく邪魔をして帰らせた。 清盛がなかなか帰ってこないのをいいことに、随分やりたい放題だな、と悠は感心する。 そして、そんなまりんの言動に、少しも疑問を抱かない男子たちにも。 すると彼女は思い出したように、自分のクラスで今から面白い余興をやるから、是非見て、と男子生徒を追い出す。 結局来ていた男子のほとんどが、ヨーヨー釣りをやらずに帰っていった。 同じチームなのに、客の奪い合いをしてどうする、と呆れる。 「一回やるから」 先程の態度と打って変わったまりんは、を頂戴、と手を出す。愛嬌の「あ」の字もない。 基本内々の行事のため、金銭のやり取りはないのだが、まりんに睨まれ、悠は一つこよりを取ると、彼女に渡そうとした。 「……っ」 しかし彼女が掴んだのは、こよりではなく悠の腕で、水槽を挟んで手を伸ばした体勢では、強く引っ張られたら逆らえなかった。 そのまま水槽に上半身を突っ込み、頭までびしょ濡れになってしまう。 「春名くん、大丈夫?」 いかにも心配そうな声で、まりんは少し離れたところに避難していた。 よく言う、とは思ったが、面倒くさいことになりそうなので、黙って起き上がる。 自分がこんな嫌がらせを受ける理由がわからないが、まともに相手にするのも馬鹿馬鹿しくて、顔を拭った。 水を含んだ袖が下半身も濡らしていく。 「わりぃ、手間取った……って、悠っ」 タイミングよく戻ってきた清盛たちは、びしょ濡れになった悠を見て慌てる。 「何でそんなびしょ濡れに……ほら、早く脱げっ」 作ってきたヨーヨーを適当に水槽に入れると、悠の浴衣を脱がそうとする。 「わっ、キヨ、何すんだっ」 そのまま全部脱がされそうになって、慌てて裾を押さえる。 いくらなんでも、女子のいる前でパンツ一丁にはなりたくない。 「こら、落ち着け」 「いてっ」 清盛の脳天に軽くチョップを入れた藤本は、押し倒し気味だった彼を悠からはがす。 「公衆の面前で追いはぎする気か? お前は井上さんの相手してろ」 着替えさせてくる、と言う藤本の後を付いていくと、彼は自分のロッカーからタオルを出してよこした。 「ったく、どうしようもねぇ女だな」 「違う、俺がバランスを崩しただけで」 「じゃあなんで右腕、震えてんだよ。それに、顔も真っ青にしてさ」 そこで初めて、自分が震えていることに気付く。 まりんに掴まれた手首を、ギュッと握り締めていた。 話さないことを肯定とみたのか、藤本は眼鏡のズレを中指で直す。 「なぁ、俺はお前が話してくれるまで待とうと思ったけど、これじゃ大事な友達も守れない。今みたいに一人にしなきゃ、井上に何かされることもなかっただろ?」 「……」 悠は、藤本がくれたタオルで顔を覆うと、長いため息をついた。 ただの女嫌いではないことは、ばれているみたいだ。 意を決して口を開くと、やたら口内が乾いていた。 「…………接触恐怖症、みたいなんだ」 「……うん、まぁ、そんな気はしてた」 悠の心情を察してか、藤本はさっきの強い口調ではなく、優しく声を落とした。 悠が人を避けるもう一つの理由は、清盛以外の人間に触れられることが怖いからだ。 人間ある程度仲良くなると、パーソナルスペース、つまり心の距離だけでなく、物理的な距離も近くなる。 それが悠にとっては耐え難いことだが、悠自身、そうしたくてしてるわけではないことは、分かって欲しかった。 何度か藤本のことも避けているし、この先も誤解がないように説明しておきたい。 「キヨはなんて?」 おしゃべりな清盛のことだ、女嫌いのことを話していたなら、たぶんこちらも言っているだろう。 「ん? あいつは女嫌いだけど、男ともスキンシップを取りたがらない人間嫌いだから、むやみやたらに触るなよ~って」 でもあの頭の形の良さを見たら、撫でたくなるよな~って言ってた、と付け加えられ、顔が熱くなる。 どうやら本当に、清盛は悠の話ばかりしているようだ。 「その言葉、最初は可愛い春名に悪い虫が付かないようにって事だと思ってた。実際お前は美人だし、妙な色気垂れ流してるくせに人嫌いだし」 「い、色気?」 思ってもみない単語に、思わず聞き返してしまう。 すると呆れた顔の藤本は腕を組んだ。 「しかも無自覚だし。お前だって気付いてただろ? 浴衣着たお前見て、男子の視線が変わったの」 確かにいつもと違うとは思っていたが、浴衣が珍しいからだと思っていた。 「だから無防備に見える。その気がなくても、手を出したくなる」 「………………藤本も、そう思うのか?」 悠が不用意に発した言葉で、藤本の表情が変わった。 眼鏡の奥で一瞬ぎらついた瞳に、恐怖を抱く。 しかし、彼は大きなため息とともに、その場で座り込んでしまった。 何かいけないことを言ってしまっただろうか、と不安になるが、どうやら大丈夫のようだ。 「はあぁぁぁ…………このおバカさんは。人が忠告してんのに、挑発してんのか? 俺試されてんのか?」 訳の分からない独り言を呟く藤本に、悠はますます混乱する。 立ち直った藤本は、一つ咳払いをすると、いつもの表情に戻っていた。 「この際俺でもいいや、その気がないと言いつつも、手を出す奴が出てきそうだって言ってるんだ。お前も男なら、男子の性欲のすさまじさ、知ってるだろ」 「えっと……」 悠は返答に困った。そういえば今まで、そういう欲求がなかったことに気付く。 清盛に対して欲情することも、自慰さえしたことがない。 勘のいい藤本は悠の態度にすぐ疑問を持ったようだ。 「お前、清盛のこと好きなのに、欲情したりしなかったのか?」 「だって、触られるの苦手なのに、わざわざそんなことしたくないし……それに、そういうこと想像したら、気持ち悪くなるんだ。多分女嫌いもそこからきてて……見てるだけで気分が悪くなる」 そう言うと、藤本は腕を組んで考え込んでしまった。 タオルでガシガシ頭を拭いていると、パンツまで濡れてしまったことに気付き、早く着替えなきゃ、と思う。 「お前が無防備な理由が分かったよ。ついでに無自覚な理由もな。そして、そこまで女が駄目なら早く言え。井上といるのもしんどかっただろ」 どうやら藤本は納得いったらしい。 清盛にも話していないことを、今日は随分話した。 話すことが苦手で、言葉も少ない悠だが、藤本はそれを誤解なく理解してくれる。 今まで自分さえ我慢すれば、清盛のそばにいられたのだ、でも今回上手くいかないのは、こんな風に藤本が自分を甘やかしてくれるからだ。 清盛に甘えられ慣れてる悠にとっては、新鮮な気持ちだった。 だいたい悠が作る壁を感じた者は、知らず知らず距離を取っていくから。 しかし、藤本は何故こんなに親身になってくれるのだろうか? 「あ? あー……、お前と似たような感じの人がいたから。それに俺、基本おせっかいタイプだし」 何かを思い出したのか、少し笑って話す藤本。 それが何故かは思いつかなかったが、友人が笑っているなら良しとしよう。 「あ、悪い。早く着替えたかったよな」 「いいよ、どうせ最初から全部濡れちゃってたし」 そういえば、悠が自ら友人と呼べる存在を、初めて手に入れた気がする。 甘やかされるのはとても心地よくて、そしてくすぐったい。 ついついそのまま身をまかせてしまいたくなる が、それは良くないな、と思い直す。 ただ、清盛への八方塞の恋を、少しだけ軽くしてくれたことに、感謝したいと思った。 着替えは自分の置いてあった体操服を用意し、濡れた浴衣は脱ぎにくいだろうなぁ、と思っていると、藤本がじっと見ていることに気付く。 「……あの、あんまり見ないで欲しいんだけど」 困った表情をすると、藤本は弾かれたようにハッとし、一つ咳払いをして、回れ右をした。 その様子が変だったので、どうしたのかと尋ねると、無自覚なお前には何を言っても無駄だと言われて、ますます混乱する悠だった。

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