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第12話
帰り道、藤本も誘おうとしたが用事があると断られ、二人で帰ってきた。
久しぶりに来る清盛の自宅は、少し離れているうちに、悲惨なことになっていた。
玄関には見たことのない花瓶と花が置いてあり、しかも可哀想にしおれている。
花の世話もできる人なんていないのに、一体誰がやったのか、と片付けていると、ある人物に思い至り、うっそりとため息をついた。
ここのところ、この家に出入りしたのはまりんしかいない。
見るとそこかしこに、まりんが手をつけたと思われる箇所がいくつかあった。
洗濯物をしまう場所がわからなかったのか、リビングの端にまとめてあった衣類やタオル。
どうやらタオルも含むすべてにアイロンがけをしたらしい。
悠はそれらをあるべき場所に片付け、台所を見ると、いつも悠が使っていたコップがなかった。
清盛に聞くと「落として割れた」らしい。
食器は油が付いたまましまわれていたし、生ごみも三角コーナーに捨てたままだった。
どうやら悠の仕事は、木全家を掃除、整頓することからのようだ。
「悠、メシ~」
「お前よくこの状態で過ごせたな。その前に掃除! ちょっとは手伝えよ」
「分かったっ」
悠が家に来てくれたことが嬉しいのか、清盛は素直に手伝ってくれる。
さすがに慣れていない清盛は仕事が遅かったが、二人で取り組んだためすぐに終わらせることができた。
「メシだメシー」
「はいはい」
そう言って二人とも定位置に着く。
悠は台所、清盛はソファーの背もたれに肘をかけて眺めてくる。
それが何だか久しぶりに感じて、くすぐったい。
「井上さんも、ご飯作ってくれたんだろ?」
照れ隠しにしたくもない話を振ってしまった。
しかし、返ってきた返事は歯切れが悪い。
「あー……うん」
「ん? どうした?」
珍しくて振り返ると、清盛はそれとなく視線を逸らした。
いつもの彼らしくない態度に、今朝覚えた不安が大きくなる。
「まぁ、後で話すから。それよりメシ! 腹へって死にそう」
そう言ってごまかした清盛は、またいつもの笑顔に戻る。
後で話すという言葉を信用し、止めていた手を動かすと、いつものように視線を感じる。
こうやって、悠が台所に立つ姿を眺めるのが好きだと言っていた清盛は、普段なら楽しそうなのだが、今日は様子がおかしい。
悠は妙に緊張してしまって、口が止まらない。
「そんなに早く食べたいなら、少しは手伝え。自分で作ることができれば、俺がわざわざ作らなくても良いだろ? 今はコンビニだってあるんだし」
「コンビニは絶対嫌だ」
「そこにこだわるなら、なおさら自分でできるようにしろよ。また彼女ができても、こんな調子じゃ嫌われるぞ」
手を動かしながら、最後に卵を焼く。
ふわふわ加減を清盛は特にこだわっていて、悠のオムライスは理想らしい。
「よし、できた」
焼いた卵をあらかじめ盛り付けたチキンライスの上に乗せると、とろりと半熟卵が流れていく。
我ながら、今日はいい出来だ。
悠はそれを清盛のところまで持っていき、自分も隣に座った。
「いただきます」
清盛は一口食べると、美味い、と呟く。
いつもならもう少しはしゃぐのに、何だか奇妙だ。
それでもがっつくように食べているので、合格点ではあるようだ。
自分の分もついでに作ったので、二人して無言で食べる。
食べ盛りの清盛用に大盛りにしたが、すぐに食べ終えたらしい。
食後のお茶を飲んで、ちらちらとこちらを見てきた。
「何?」
「いや、話するって言ったろ? 早く食えよ」
自分勝手な言い草だが、逆らえないので黙っておく。
その間も、清盛はこちらを見つめ、しまいには見ていることを隠すこともしなくなった。
「あんまり見られると、食べにくいんだけど」
基本的に悠は食事が遅い。
よく噛むことに気をつけているからだが、これでは落ち着いて食事ができない。
「ああもう、話したいなら話せよ。食べながら聞くから」
いいのか? と聞く清盛に、仕方がない、と頷く。
大体、清盛は我慢ができない性格なのだ。
「俺、まりんと別れた」
「……うん、それは分かる」
「それはそれでいいんだ。だけど、何か違ったんだよ」
「どういうことだ?」
彼にしては珍しく、考えるようにして話す。
「ええと、ほら……家に泊まりに来たことがあったんだ。それであの花とか、洗濯物とか……平日も来て色々やってくれたわけ」
悠はそれを知っていたが、本人から聞いた話ではないので、知らなかった振りをするしかない。
「……そうなんだ」
「かいがいしくやってくれたんだけど、別れる直前、あいつ、料理作るって言い出して」
想像できなくはない展開だった。
ご飯が不味くて喧嘩になったのだろうか。
しかし、その先の言葉が出てこない清盛に、どうした? と顔を合わせた。
清盛は真っ直ぐ悠を見ていて、珍しく真剣そのものの顔だった。
それに、うっかり見とれてしまったのは内緒だ。
「とりあえず、悪いけど食べるの止めて、こっち向いて」
何かが起ころうとしているのに、こんな時でも逆らえない自分が嫌だった。
想像が全くつかなくて、どうしようもなく不安になる。
「台所に立つまりんに、何か違う、って言ったんだ」
「は? どういう意味だそれ」
「自分でもわかんねぇけど、台所に立つ姿がしっくりこないんだ」
「まさかそれで別れたのか?」
意味が分からない。
そんな理由で別れを切り出す清盛の思考が分からなかった。
「そしたら、私より女嫌いのあの子の方がいいんでしょ、って……これ、藤本にも話したんだけど、無自覚に悠の話ばっかりしてるからだって言われて」
どうやら、悠の話はまりんにもしていたらしい。
これであの嫌がらせの意味が分かってきた。まりんは悠に対抗していたらしい。
しかし、家事を普段やりなれていないのは、現場を見てみれば分かる。
それで喧嘩になり、その場限りの勢いで別れてしまったようだ。
「考えてみればさ、悠しかいないんだ、俺の思うように家の中を整頓してくれて、すっげぇ美味いメシ食わせてくれて、我が儘もきいてくれるのって。こんな彼女だったらホント理想だなぁって思って。だけどお前、男だろ?」
話の展開が凄い方向に行っているのは分かるし、彼女みんながそんな家政婦みたいな言われ方したら誰だって怒るぞとか色々言いたい事はあったが、思考がついていけなかった。
完全にストップしてしまった悠は、清盛がじりじりと距離を詰めてきていることに、気付かない。
「で、何でも知ってる藤本に聞いたんだ。そしたら、いいんじゃないかって。男同士でも、普通の恋人と変わらない付き合い方ができるって」
「な、何言ってんだよ……」
もはや声を絞り出すのが精一杯で、あまりの事態に声が掠れていた。
「何か違うと思ったら、俺が理想? それは彼女に対してあまりにも失礼じゃないか」
「だけど、そう思っちまったから仕方がねぇじゃん。そしたら、我慢できないのも知ってるだろ?」
そう言って、清盛は突然顔を近づけてきた。
唯一触れられても平気な手で、後頭部を引き寄せられ、唇が重なる。
「……っ」
反射的に清盛を押し返すが、びくともしなかった。
柔らかい、しっとりとした唇が悠の唇を撫で、ゾクリとする。
それが、今まで感じたことがない感覚でも、どんな種類のものなのか分かって、すぐに清盛を突き飛ばした。
すかさずその頬を引っ叩くと、彼は呆然とした顔で、悠を見る。
「ふざけんなっ。最低だ、お前!」
そう捨て台詞を吐くと、食べかけのオムライスもそのままに、鞄を持って家を飛び出した。
すっかり冷えた寒空の下、もう二度と今までの関係に戻れないことを、悔やんだ。
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