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そして:マゾ奴隷のしつけ方2
悪いと思う気持ちはないのか、そう彼氏は言った。
低い声だった。いつもはどちらかと言えば若干高めの声というかおどおどしているせいで声をひっくりかえらせて「はぇ、ひぇ、ふぇ」と言葉のはざまに入る謎キャラだったがそのときの彼氏は堂々としていた。
元々、好きなものを話すときはつっかえることもなくすらすら口に出していた。割れてダメになった玄関の置き物でスイッチが入ってしまったのかもしれない。やらかしたことを悪いと思っても、あまりに想定外だったのでオレは言葉が出てこない。
自分が歩いていれば人に絡まれる不良だというのを忘れていた。内心でどれだけ焦ったところで外から見ればふてぶてしく見えてしまうに決まっている。反省していても口に出さなければ伝わらない。
総長に対してわざとこちらの気持ちを隠していた駆け引きのようなやり取りとは違う。
彼氏は、なにせ彼氏だったのでちゃんと向き合わなければならないという意識があった。
「アンタにはガッカリだ」
ため息をついた彼氏が部屋の中に入っていく。オレを振り返ることもない。
見捨てられた子供の心境というのはこういうものだろう。
オレは途方に暮れて座り込んでいた。
しばらくすると彼氏が姿見、大きめの全身が映る鏡を持ってきた。
彼氏の体格からして大変そうだがオレの前にまたやってきてくれたことが嬉しくて鏡についての疑問は湧かなかった。
オレを軽く蹴って玄関に敷かれたマットの上に乗るように無言の指示をもらう。
何をしようとしているのかはわからなかったが、彼氏が気が済むようにしてもらおうと覚悟を決めていた。
自分の性癖で引かれたり、理解されなかったり、あるいは性癖を隠しているせいで勘違いされるのは構わないが、今回のことが理由で繋がりが途絶えるのは友達とすれ違ったままで終わるような気まずさだ。
そもそも友達がいたことがないので悪いことをしたときの謝り方とかケンカになったときの対処の仕方をオレは知らない。ケンカは殴り合いしかしたことがないし、人に謝るよりも煽っていくスタイルだ。内心オレが悪かったと思う場面だってあるにはあったが、殴り合ってうやむやにしていた。一発もらってやったからなチャラだろ、的な。マゾだからそれも自分のためだと言われてしまえばそれまでだが。
彼氏は平凡な人間だ。
オレとは別次元に暮らしている人物。
だから、許してもらうのにも殴ってチャラなんてことを選んだりしない。
そういうタイプじゃない。
彼氏はすこし息を上げながら三つの姿見で俺の周りを取り囲んだ。
それぞれの部屋に全身が映る鏡が置いていたのか種類の違う鏡と玄関の靴箱と一体型になっている鏡に囲まれてオレは身動きが取れない。彼氏を見ようとしても鏡に映った情けない自分の顔を見ることになる。
マゾ願望がこれほど煮えたぎっているのに叶えられないのが自分のビジュアルのせいだという疑惑があった。
疑惑も何も事実かもしれない。考えると落ち込むのでオレは自分の顔をなるべく見ないようにしていた。自分が嫌いという訳じゃないがイジメられやすい顔だったらよかったと思わずにはいられない。ないものねだりだという自覚はある。
「服を脱げ、早くしろノロマ」
オレの後ろと左側にある鏡と鏡の間から彼氏が鋭い指示を飛ばしてくる。
弾かれたようにオレはあわてて上半身を脱ぐ。鏡を倒さないようにちいさく縮こまりながら脱ぐので時間がかかる。
下半身をどうするべきなのか迷って彼氏を見たら、冷たい視線。声をかけられる空気じゃない。
いつものこちらの心をほのぼのさせるような小動物的な空気をどこに落としてきたのか問いただしたいほどに温度のない目で見てくる。
やっぱり怒っているんだろう。お気に入りだから玄関に飾っている、それをオレは壊した。嫌われないわけがない。寒さなのか彼氏に嫌われることを恐怖しているのか鳥肌が立った。
「なに、ちんたらしてんの? この期に及んで勃起してんの隠したいわけ?」
吐き捨てるように「ホント馬鹿」と彼氏は口にする。
言われた通り本当にオレの股間は反応していた。
なんでだと疑問に思うのと同時に勃たないわけがないとも思った。
総長はどちらかというとよくわからない熱意のこもった視線か苛立ちから殺意をぶつけてくる。
彼氏はただ静かで底が見えずに恐ろしい。オレをどうする気なのか、これから何をするのかわからなくて怖い。
怖いはずなのに股間を意識するとどんどん下半身に血が集まっていく。
オレはそんな場面でもないのに期待している。
彼氏がオレに何をする気なのか期待して興奮している。
謝罪の場面にであるにもかかわらずズボンを脱がないと窮屈で苦しい。
目をそらそうとしても鏡に映る自分が視界の隅に必ず引っかかる。
鏡に囲まれているのだから当たり前だ。
「息を荒くして前かがみになるとか、なに? これからオナニーでもはじめんの? あの変態の不良がべらべらしゃべってたけどオナニー好きなサルなんだってな」
カマをかけられたのかなんなのか総長にバレていたオレの性事情の一部をここでぶつけてくるなんてセカンドレイプされているみたいでゾクゾクする。彼氏の瞳に一瞬嫌悪がチラつくのがショックだ。汚いとか気持ちが悪いと言われている気がする。それなのに彼氏のその視線だけでイキかけたオレは本当に駄目な人間だ。
顔に熱が集まってきて息がうまく吸えない。
自分の周りの空気が薄くなったような違和感に身悶える。
初めての感覚で怖くなる。同時にその恐怖に恍惚とする。
隠そうとか誤魔化そうとかそういう気持ちが湧く前に彼氏が衝撃的な言葉を投げてきて気づいたら状況が動いている。
「自分の体についている痕、なんなのか、わかってるか?」
区切って言われて鏡の中の自分の上半身についた歯型や鬱血痕に目を向ける。
殴られたあざや総長の指の跡なんかがあって被虐の痕跡に惚れ惚れする。
この体になるためにはやっぱり体力とかが必要だ。
総長のパンチ一発で気絶なんてことになったらこんな体にはなれなかっただろう。
あざを押しながらされたことを思い出しておしりでオナニーをしよう。
ゆるゆるでがばがばになったケツに興味はないとか罵られるのを想像したら前に触らないでイケるはず。
「それ、変態の証だよ」
「へんたい……?」
「気持ちよくなりたかったんだろ」
疑問形じゃない。彼氏は断言してきた。
彼氏にオレがマゾだとバレているんだろうか。
「傷だらけの姿になって男に無理やり犯されて気持ちよくなりたかったんだろ」
自分の気持ちがダダ漏れであるのが恥ずかしくて否定したかったが、総長に捕まった彼氏のために体を張ったなんていう嘘は言えなかった。彼氏のものを壊した上に恩着せがましい嘘をつくのはオレには無理だった。
「なに情けねえー顔してんの。……なに? それで、俺が嫌いになると思った?」
座り込んでいるオレの視線にあわせるように彼氏もしゃがむ。
鏡と鏡の間から手を伸ばして彼氏はオレの頭を撫でてくれた。
「アンタの彼氏は俺なんだから、別にこんなことぐらいで嫌いになったりしないよ」
平凡彼氏だなんて思っていたが全然違う。イケメンにしか見えない。
不安で怖くて揺れ続けた心がピタッと止まった。
オレは心の底で自分のマゾな部分を誰かに理解してもらいたかった。
ご主人様を頭の中で想像してイジメられながら愛されて大切にされる妄想で興奮していた。
絶対的な支配者に身をゆだねる安心感と心を開放する快楽。
「堂々と目の前で浮気しだして、なんだこいつって思ったけど」
言いながら笑う彼氏。
微笑みはふわっとほわっとする彼氏が時折見せるものだったが言葉は鋭く冷たい。
「謝罪の気持ち、俺に対して悪いなって思ってるなら……この場で漏らせ。飲み物が欲しいならあげるから」
コンビニの袋からペットボトルを見せる彼氏。
モラセという言葉が頭の中に入ってこない。
「早くしないと玄関だし、誰かが帰ってくるかもしれない」
モラセ、モラセ、モラセ、ってなんだ。
上半身裸で鏡に囲まれて玄関マットの上で座り込んでいるオレは彼氏に許してもらうためにこの場でモラセ。
意味が分からない。
「本当は十人ぐらいの不良に見られながら犬みたいな恰好でさせるべきかもしれないけど、すぐは無理だろ?」
今までオレとケンカをしていた相手の前で放尿プレイをさせようと思っていたらしい。
彼氏のこの発想力はどういうことだ。
「漏らすのはイヤか?」
オレは迷うことなく首を縦に振った。
さすがにそっちの趣味はない。マゾにもいろいろいるからと内心で弁解していたら彼氏はやはりいい笑顔で「じゃあ、早く漏らせよ」と言ってくる。
「やりたくないことをやってみせてこそ、謝罪ってもんだろ。人の大切なものを壊したんだから誠意を見せるもんだろ」
低い声にオレは玄関に散らばったままのガラスの置き物たちを思い出す。
オレに選択権などなかった。そう思うと感じなかった尿意がじわじわ増してくる気がする。オレの体はどれだけマゾ仕様なんだろう。
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