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#3

事務所の前に立ち、数回、大きく深呼吸をした。隣には山内もいる。 こういう時は、いつだって俺以上にこいつが緊張してくれるお陰で気が楽になったりするものだ。 「よし、行くぞ」 互いに顔を見合わせて相槌をうつ。 古臭い扉を開けたその先には、不機嫌そうに電卓を打つ店長の顔があった。 「お、お疲れさまでーす!」 妙にピリついた空気の中、山内のその声に返事はない。代わりに乱暴な手つきでキーを叩く無機質な音だけが彼の存在感を強める。 「…んだよ今忙しいんだよ。アリスの奴珍しく当欠なんかしやがって…指名入ってたのにどうしてくれんだ」 …………。 あ、無理。俺帰りたい。 恐らく…いや、絶対にアリスさんの欠勤理由は昨晩俺が付けたアレだ。 時間が時間だったこともあって、多分アリスさんの連絡が遅れたんだろう。 この状態の店長に、しかもこの最悪なタイミングでその件について話すのは流石に──。 「あの、店長!…山田がその事で、話したいことがあるそうです!」 やまうんちイイィィィィ。 「あ?なんだよ」 「えっ、え、あ、いやあの…あー……」 空気が読めないにも程があるだろう。 あまりに衝撃的な発言に思わずかっ開いた目のまま睨みつければ、山内はなんとドヤ顔の上に右手の親指まで立てていやがった。 やってやったぞ☆みたいな顔をしてくれるな。 煩かった心臓の音が逆に冷めきって静かになったわ。 「…えーっと…その…」 「んだよ言いたい事があるなら早く言え」 まあでも、あれだ。どうせ機嫌を損ねるのなら、一度で済ませてやったほうが店長も気分がいいだろう。 「…アリスさんと、番いました。今後彼は……この店にキャストとして出勤することは出来ません」 もうなんとでもなれ。 ──そんな自棄になった気でいながら、本当はどこか甘えていたのかもしれない。 きっと店長も、俺の事情をわかっていてくれるのなら山内のように祝福してくれる。 そう、調子に乗っていたのかもしれない。 「…お前、今なんて言った。………自分が何をしたかわかってんのか」 「──っ、」 空調の効き過ぎた部屋は、涼しいというよりは寒くて 電卓を叩く手が止まってしまえば、部屋は静寂に包み込まれる。 無言の数刻。 時が止まったようなその感覚に居心地の悪さを感じたのは俺だけではないだろう。 先に口を開いたのは山内だった。 「ま、待ってください店長! 店長も知ってますよね、パンデミックに感染したコイツを助けのは──…」 「山内。今はお前に口出される時じゃねえんだ。席外せ」 「でも──」 「でもじゃねえ!さっさと出て行け!」 初めて聞く店長の酷く荒げた声に、俺も山内も揃って肩を揺らす。 泣きそうな顔をした山内がこちらを見ていることに気づいてはいたものの、彼に目を向ける事もせず、ただただ、店長の瞳だけを捕らえ続けた。 ここで目を逸らすのはいけない。 覚悟を決めろ。 本能がそう叫んでいるようで。 「………はい」 俯いたまま背を向ける友人の気配が消えたと同時に空気はより一層重さを増す。 まるで硬い氷で世界が覆われているようだった。

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