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第16話

 それでも……きゅうっと胸が痛くなる程の切なさに駆られる。 『くちづけの跡じゃないのか』  まだ無邪気に笑っていた頃、村を流れる川で遊んでいた。そんな時一緒に遊んでいた仲間によく揶揄われた。  興味はあっても、深い意味は解らなかった頃の話。  今は──。  くちづけの跡……。誰かの所有の(あかし)。  いったい、誰がつけたというのか……。 「なんて。ただの痣じゃないか」  ふっと自嘲気味に笑った。 ★ ★  上半身だけ裸のまま草の上に寝転ぶ。  見上げた空は青く、穏やかだ。  眼を瞑り、風の匂い草の匂いを感じていると、四方からカサカサと何かが動く気配がした。  それでもトールは、眼を瞑ったまま。その気配を楽しんでいる。  次第に近づいてくる気配は、トールの身体を取り囲む。ふわふわした何かが頬を擽り、顔に影を作るのが薄く瞑った瞼の上に感じた。  耳許でシュルッと音がした。 「こらっ。誰だ」  パッと眼を開け起き上がると、さらっと金色の髪が揺れた。  眼の前には銀のリボンを口に加えた茶色の兎。 「ほら、返して」  ひょいと捕まえ、リボンを取り上げる。頭を撫でて離しても、兎は彼の傍から離れない。  周りには数匹の兎や栗鼠、鹿がいる。 「これ、大事なものなんだぞ」  めっ、と子どもを叱るような顔で茶色の兎に話しかける。  そして、ぎゅっとリボンを握った。  大事なもの……。    何故だか、そう思う。  父親がしていたらしい、銀色のリボン。  思い浮かぶのは、このリボンで後ろに結ばれている金色の髪。顔はぼんやりとしてわからない。  トールが両親と、村の外れにある家のことを教えられたのは七、八歳の頃。鍵を預かって家に出入りするようになったのは十歳くらいになってからのこと。  フィンの母親にはどういうわけか良く思われてなかったが、止められることはなかった。  三歳までの記憶にしては、酷く懐かしい場所のような気がした。  その銀色のリボンは、子供部屋らしい一室の寝台の上に無造作に置かれていた。それを握った時からこれは大切なものだと感じていた。 「それはイオ……お前の父親がしていたものだよ」  叔母は嫌そうな顔でそう教えてくれた。 「とても……大切なもの……」  どうしてそう思うんだろう。  父さんの形見だからだろうか……。  それだけじゃないような……。    このリボンを握っていると、温かな手の感触が浮かんでくる。  両親と共にあった家に行くようになり、このリボンを握った時から、“何か”が少しずつ思い出されるような気がした。  皆が嫌厭する森や“悪魔の谷”に入りたいという想いもだんだんと強くなっていった。  十五になり独りで暮らし初め、やっとその想いも叶う。初めて行った筈の“悪魔の谷”は、やはりひどく懐かしい。  それからも少しずつ“何か”が空っぽだった心を埋めていく。  不思議なことに母親の記憶は全くない。  父親の……イオの記憶、イオへの想いだけが……。

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