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第17話

 リボンを握った手の甲にぱらぱらと水滴が落ちた。  そうなって初めて彼は自分が涙を流していることに気づく。  オレ……なんで、泣いてるだ……。    指を当てると頬は濡れていた。  何処か遠いところから、この哀しみや切なさはやってきて、今の自分には訳がわからない。  つんつんと頬を(つつ)かれた。  鹿の鼻先だった。膝の上には兎、肩の上には栗鼠。 「なんだ、お前たち、慰めてでもいるのか?」  ぐいっと涙を拭うと、訳のわからない切なさも霧散した。  トールが谷に来ると動物たちは、決まってこうやって集まってくる。  オレは“狩る者”なのに。  彼らはオレに優しい。  勿論無闇に狩っているというわけではない。生活の為の最低限の狩りだ。  それでも、だ。  彼らにとっては、そんなことは全く関係ない。  自分の命を守っていい。オレの傍から逃げていいんだ。  なのに。  こうして傍にいてくれる。  オレが狩る時には、まるでその身体を差しだすように……。  …………。  …………。  そういえば、そんな光景を前にも…………。   またひとつ新しい、ほんの小さな記憶の破片(かけら)が生まれた気がした。   「ここは──いいところだ」  雄々しい岩肌も、綺麗な水の流れる川も、その両の岸の緑と小さな花々も、それら全てが合わさって美しい景色となっている。 「それに、お前たちもいるしね」  動物たちに笑いかける。  そうやって笑うと少年の頃の面影が残っている。しばらく、村の誰も見ていない笑顔だった。 「“悪魔の谷”とか、なんだってそんなこと言われてるんだ。あの伝説のせいか。銀の魔物なんて、本当にいるわけないのになぁ」    銀の魔物なんて、いるわけ…………。  夜半に見た幻。  銀色の影が…………。  それに……父さん。  叔母さんが言っていたこと。  父さんは、“銀の魔物”に喰い殺されたって。  それから、フィンも。      フィンは、六年前獣に襲われたような怪我を負い、生死をさ迷った。それを、母親は“銀の魔物”の仕業だと言った。  けして、本当に見たわけではない。  森には危険な獣もたくさんいる。それらに襲われても、“銀の魔物”の所為する者は村の中にも多くいる。 「いやいや、そんなことある筈ない。だいたい“銀の魔物”っていったいなんなんだって、話だよなぁ。森にいる獣の毛が何かの加減で銀に見えたってだけのことだろ」  動物たちにそう話かけながらも、何処か心に引っ掛かっていることを、トール自身気がついていなかった。  動物たちに別れを告げ、険しい斜面を登って行く。小回りの利く兎や栗鼠が数匹ついて来ていた。  森の入り口が見える。そこまで来て振り返った。  谷が遠くまで見渡せる。  トールが先程いた川岸から離れた所々。緑の中に瑠璃色……群生。 「なに、あれ……あ…………」  ふと足許が眼に入り、踏みつけてしまいそうな場所に、一輪の花。  瑠璃色の、小さな。 「こんな花、今まで見たことない」  そう、あの月下の幻以外では。   「もしかして、あの緑のなかにある瑠璃色は……」  懐かしい……。  ぽっと、花が咲くようにそんな想いが生まれた。  

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