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8.友達からお願いします
8.
ユキの側仕えの老執事(保護区を出て、はるばるこんなところまで着いて来なければならない彼には同情する)がそっと出してくれたプレミアムホットコーヒーを飲みながら、とりあえず話を聞いてやる。
ハルの居場所は大学院の研究室へ連絡を取って知ったらしい。一度家まで行ってハルがいないと分かると、一番新しいにおいの痕跡をたどってここへ来たという。獣人族がオオカミのように嗅覚が優れているのは知識としては知っているのでその点はなんら不思議ではないが、ハルはそれより、『地面に鼻を擦り付けてにおいを嗅ぐ』ユキがはたして獣型だったのか人型だったのかが気になってしまう。獣型だった場合、都会のど真ん中に突然体長2-3メートルのオオカミが現れて大混乱に陥るし(獣人族だと見抜くことは難しいだろう)、人型だった場合、20代のイケメン男性が犬のように四つん這いになって地べたの匂いをフンフン嗅いでいる姿はかなり異様である。後者をリアルに想像したハルは「ンフッ」とすこし笑ってしまった。さっきストーカーだと言ったが前言撤回、完璧な不審者だ。
「で、ハルに話があって来たの」
「なに」
側で控えていた老執事が分厚いファイルをコーヒーテーブルへ置いた。
ぎょっとするほど分厚いファイルのなかには…
事業計画書から収支報告書、決算書、メインバンクからの融資履歴、関税関係書類、石油天然ガスの年間総重量概算、鉱物資源の埋蔵鉱量……
一体何の報告会だ?
威圧的な情報量にハルもツッコミを忘れて呆然としてしまう。
「な、な、な…なにこれ?」
「うちの仕事。ハルは知っておいてもらわなくちゃ」
「あ……?」
「あとこっちは結婚後のプランね。規模が規模だし、親父がこういうのは最初からちゃんとしとけって言うからまとめて書類作ってきた」
ぶ厚いファイルの隣にスッと出された、これまた分厚いファイル。
なかには国際結婚の手続き云々、獣人とヒトの間に生まれた子がどちらの人種に偏るのかの研究報告文書、特有財産・共有財産の云々、夫婦とはなんたるか…
"家に入る"ならその知識は必要だと思うが…
ハルはまだ一言も言っていない。
老執事がページをめくりながら逐一説明してくれているのを眺めながらほとんど聞き流してしまった。
膨大な書類のなかに「王家の総資産額」とか「固定資産額」とかいう並びの文字を見つけてしまったハルはそのとんでもない桁数に頭がくらくらとする。
制度的に言えばあの保護区全体が王家の所領にあたるはずなので、その規模たるや……
「なぁこれって外に持ち出したらコンプライアンス的にまずいやつじゃねえの?」
「大切なひとに見せるって言ったらみんな納得してくれた」
「…………もしかしておれの滞在中、姿を見せなかったり、見送りにも来なかった理由って………」
「この書類用意してたの」
ハルは、はぁとため息を吐いた。
要するに"ユキのなかでは"全てに理由があり、筋道もきちんと立っているというわけだ。
ひとりで勝手に怒ったり、悲しんだりしてた自分がバカみたいだ。
(でも、それならそうと一言くらい言ってくれたっていいじゃん……)
"どうして会いに来てくれなかったの?"
"どうして見送りに来てくれなかったの?"
女々しいことを思っていた自覚は、ある。
そして、そんなふうに思ってしまう自分も自覚していた。
自分勝手で、宇宙人で、こっちは振り回されっぱなしなのに。
最初はすげえムカついたし、嫌いだって、そう思ってたはずなのに…
ハルは老執事の話を聞き流しながら、気だるげに店内の様子を眺めているユキを盗み見る。
アイスキャラメルマキアートを持つユキの手は大きく、桜色の爪は綺麗に整えられ磨き抜かれている。
キャラメルマキアートのペーパーホルダーにはマーカーでニコちゃんマークとハートが描かれていた。
たぶん、あそこにいる若い女の子のバリスタの仕業だろう。こんな王子のような(王子だが)見目のいい客が来たら、誰だってハートを描きたくなってしまうだろう。
当の本人は、そのペーパーホルダーを結露対策と店員の下心だとは露ほどにも知らず「なにこれ?オシャレな印刷のイラストだね」とのんきに眺めている。
(…これは、とんでもない玉の輿だぞ、おれ!!!)
(しかもイケメンで、モフモフの獣人…!!!)
ハルは正直、男のオメガとして生まれてしまったのはハズレだと思っていた。
なぜなら、今後社会に出たとしても正規雇用の仕事に就くことも、社会的に成功することも難しいだろうから。
未来が分かっているからこそ社会に出ることを先延ばしにし、ある程度保障された学生という身分に縋っていた。
仮にもし『女の』オメガであったのなら…伴侶を見つけて家庭を築くのはeasyだろう。
男であるハルは22歳を超えてなお、それらしき御仁は現れていない。
そんなところに今回、とんでもない宝の山を背負ったアルファが(しかもイケメン)(重要)こんなにも熱烈に結婚を申し入れてくれているとなると………正直…………
「…そういえば獣人保護区がテレビ出てるの見たよ」
「あ、見てくれた?おれてっきり、あれが生放送なんだと思っててさぁ、ハルが見てる前でトチれないと思って、すごい緊張しちゃったの!」
「緊張してたの?立派に受け答えしてたじゃん」
「なら良かったんだけど……」
「いつのまにテレビの撮影入ってたんだ」
「ハルが保護区にいるとき!だからおれ、生放送でハルにあつ〜い想いを伝えるつもりでいたのにさあ……よくよく話聞いたら放送は昨日だったっていうじゃん、なんかカッコ悪いよねぇ…」
「ふふ、そんなことないけど」
実際、きちんと正装して髪を綺麗に撫でつけたユキはかなり見目が良かった。
いま、こうしてハルの前でモフモフの耳をせわしなくパタパタさせたり、モフモフの尻尾をぶんぶん振り回すユキは、あのとき凛として画面に映っていた彼と同一人物とは思えない。完璧な美術品のように美しい顔立ちが子どものようにくるくると表情を変えるのを見ていると、自分だけの特権のような気がしてなんだかくすぐったい。
『必ず迎えにいくから、覚悟しておいて』
あのとき、ユキはそう言っていた。
(うそじゃなかったんだ)
「ねぇ、なんか順番がめちゃくちゃになっちゃった感じするけどさ、おれハルのこと本気だから」
そう言ったユキは、テーブルのうえにあったハルの手をぎゅっと両手で包み込むと、若干顔を赤らめてハルの目を真っ直ぐに見つめた。
(なんだよ、照れられるとこっちまで照れちゃうじゃん)
ハルはその視線と気持ちを受け止めきれず、目を伏せる。
(…こいつ、手ぇあったかいんだな……)
ぎゅ、と握られた手から、ユキのやわらかい、優しい気持ちが流れ込んでくるようだった。好き、大好き、という気持ち。
優しい優しい、無償の愛だ。
(おれ、なんで泣きそうになってんだよ……!)
一度、裏切られた気がしていた。
寂しかった。
悲しかった。
辛かった。
(なんで?)
(運命………だから?)
ユキが言い張っている"運命"とかいうふざけた関係性を信じているわけじゃない。
でも…
(この気持ちは、本物だ……)
また会えただけで、こんなにも嬉しい。
「ね?」
ダメ押しのように、手を握られたまま目を覗き込まれる。
「…あ、あのさ…とりあえず手離して…………」
「え、やだ」
「なんで💦おれめっちゃ恥ずいんだけど💦みんな見てるし💦💦」
食い入るようにハルを見てくるユキ。そんなに見られると、自分がどうにかなってしまいそうだ。
「あ、あのさ……💦」
「うん」
「おれ、まだおまえの気持ち受け止めらんねえけど……」
「うん」
「と、と…友達から、お願いします…………」
「………友達から?」
「…うん💦💦💦💦」
「あっ、あ、あと、とーちゃんとかーちゃんにも訊かなきゃいけないし…………っていうかおれは!専業主夫にはならないからな!」
「うん、わかった。ハルのご両親にもすぐ挨拶行こうね。そのほかのことはなるべく子供が落ち着いてからにしてほしいけど、おれはとにかくハルのやりたいこと応援するよ。大好きだもん。ね?おれとつがいになってて」
「うぅぅ…」
「絶対かわいい子ども生まれるよ。獣人がどうやって生まれてくるか知ってるでしょ?」
知ってる。ころころしたかわいいモフモフの子犬がたくさん生まれるんだ。1〜2歳くらいになったらヒトの姿を取るようになるけど、それまではずっとコロコロわんわんモフモフ…
モフモフに目がないハルは目がハートになってしまう。
ユキは何度も繰り返したくはないが間違いなくイケメンだし、ハルも見た目がさほど悪いわけではない(と思う)のできっと可愛いこどもが生まれるはず…
…上記の会話は要するに『結婚を前提に、友達からお願いします』という意味になっていた。
それに今更ハルは気付いて…
顔を真っ赤にしてモゴモゴ言うハルの手を、ユキは逃がさないとばかりに強く握りしめる。
「一生幸せにする。絶対ハルを一番に大切にする。だからつがい……じゃなかった、これから友達としてよろしくね、ハル」
「……分かったから手ぇ離して……………」
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