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11.獣

(たすけて…!だれか…!!!) ・ ・ ・ グルルル、という猛獣特有の低い唸り声を聞いたのはその時だった。死角から飛び出してきた黒い"何か"が男に飛びかかり、足首に喰らいつく。 「!?うわぁ!?!?」 男は叫んで地面に尻もちをつき、噛まれた足首を庇いつつ"獣"に対峙する。 「な、なんだ!?!?犬…!?!?」 男の足に噛み付いた獣は一旦退き、強靭な4本の足で地面を踏み締め、男を唸り声で威嚇する。ガルルルル、といまにも飛びかからんとするように姿勢を低くして低く唸り、ナイフのように尖った犬歯と闘志を剥き出しにする巨大な獣。姿形は犬やオオカミによく似ているが3メートルはあろうかという巨大な体躯は、それが尋常でないものの証だった。濃い色の豊かな毛並みを逆立て、金色の目を怒りで燃え上がらせる巨大な獣は雄々しく、神の使いか、闘神そのものであるように思えた。 男は「く、来るな!!!来るなよぉ……!!!」と情けなく吠え、中途半端に下ろしたズボンをなんとか履こうとしてモタつき、また地面にひっくり返った。 ガゥ!ガウ!! 「うわ!!!ぁあああ"!?!?」 男が体制を崩したところへ飛び込んだ獣は、吠えながら男に噛みつき、強い爪で引っかき、ズタズタに引き裂こうとする。襲い掛かられた男はもがいて逃げようとするが、強靭な4本の足と牙に阻まれ、なすすべなく揉みくちゃにされる。 「んん!!!」 (ユキ!!!!) ハルはそう叫んだつもりだった。 口に詰め物をされているせいでくぐもってしまったが、そのハルの声に獣はぴたりと動きを止め。 その隙に、噛みつかれてボロボロに裂けた上着を脱ぎ捨てた男はなにかを喚きながら路地裏の向こうへ逃げていく。 闘争心を剥き出しにした獣は、逃げていく獲物を追いかけたそうにヴゥウウウ、と唸りながら見送り、男が逃げた方角とハルの顔を交互に見やって『本当に逃していいのか』とハルに問いかける。 それにハルは力無く首を横に振って『もういい』と答える。もういい。もうどうでもいい。そう思うのに、身体の奥からゆっくりと震えが湧きおこる。心がぎゅっと押しつぶされるように痛んだが、男に酷いことをされたショックでそれ以上のことは考えられなかった。考えることを心が拒否していた。 遅れて駆けつけた老執事が、ハルの汚れた身体に優しく服をかぶせて隠してくれる。手首の拘束を解かれ、縄で擦れて赤くアザになった部分がじんと痛かった。 体が震えて地面に崩れ落ちそうになるハルに獣が……オオカミの姿を取ったユキが寄り添って、強い骨格と柔らかい毛並みでハルを受け止める。 背中を押し付けてくる獣に『乗れ』と言われている気がして、ハルは尻込みしながらその背中にしがみついた。ハルが背中に乗ったのを確認すると獣はゆっくりとその場を離れ、走り出した。 四つ足の獣は力強く地を蹴り、ぐんぐん先へ進む。ぶわりと風が巻き起こり、振り落とされそうな速度なのに不思議と振動は感じない。ハルを乗せた獣は風のようなスピードで街を走り抜ける。一切の無駄を削ぎ落とし、戦い、走るために生まれたような獣。その豊かな毛並みにしがみついていると、不思議と守られている、と感じた。精霊を超えた、美しく強い獣からの加護があると思うと、ショックで凍りついた心がすこしずつ凪いでいくように思えた。 ハルは神話に出てくる霊獣に乗っている気分になってその身を任せ、風を全身で感じた。 風に乗っている間だけは、嫌なことを考えずに済んだから。

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