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30.指輪

…それで、カルディエに来るなんて。 ハイランクの肉を食べた後は、ハイ・ジュエリーブランドである。 恋人いない歴=年齢のハルにはハイクラスの肉屋以上に縁のない場所だ。敷居が高すぎるPART2である。身なりのきちっとしたカルディエ販売員の前で、恐れ多くもフーディにジーンズで来店してしまった。完全に場違いである。 (まあでも、今日は王子さまのお守りだしな) 鼻歌でも歌いそうな上機嫌でショーケースを覗き込むユキの、おまけ感覚のハル。 ショーケースに並ぶ、金銀のちいさな輪っか。 あちらにはネックレス、向こうにはブレスレット、腕時計。 キラキラした装飾品たちが行儀良く並んでいるがガラス越しではどれもこれも似たように見えるし、PtだろうがSVだろうが銀は銀だろうと思うし、値札にはゼロが多すぎる。ハルのようなコンビニ慣れした若者にはとんでもなく法外な値段に思えて、ふっかけてんのか?と疑ってしまうほどだ。 「どれがいいかなあ」 「おまえ手ェきれいだからなんでも似合うだろ」 あごに手を当てて真剣に考えるユキに、気のない返事をするハル。自分の財布では無いのでノンキなものである。本心では微塵も興味がないのだがついさっき良い肉を奢ってもらった手前、テキトーにあいづちを打っている状態だ。 「…?」 ユキから反応が無いので不審に思ったら、ユキはしぬほど破顔していた。 「んふふふ…はじめて褒められたかも」 「ばっ……かお前…!!」 天下のカルディエにいると思うと、罵倒の言葉も尻すぼみになる。 ハルが頰を赤くしたのを見たユキは、ふ、と手を出してその手を捕らえた。手を繋ぐのはこれで二度目だ。前回は夜の大学校内で人知れず手を繋いで歩いたものだが、今回はジュエリーショップで…である。 手を繋いでジュエリーケースを覗き込むふたりの姿は、将来を約束した幸せなカップルにしか見えないだろう。ユキに手を掴まれて歩きながらもハルは気恥ずかしいような、場にそぐわないような奇妙な感覚でいた。 手を繋いでいること、そしてフサフサの尾がゆっくり左右に揺れてハルのきわどいあたりを撫でていることにハルは「ちょっと………」と文句を言おうとしたが「ん?」とド・タイプのめちゃくちゃ良い顔に微笑まれ、モフモフの三角耳にピコンとこちらを向かれて、その愛嬌に色々と負けてしまうのであった。 手を繋いだまま、ゆっくりとショーケースを見てまわる。 そして、ふと、長身を折り曲げてショーケースを熱心に覗き込んでいたユキが足を止めた。 「こちらはトリニティリングでございます」 上品なカルディエのスタッフが、ご覧になりますか?とケースから指輪を取り出し、間近で見せてくれる。 イエロー、ピンク、ホワイトゴールドの三色が絡みあうように重なった、キラキラした輪っかだ。 「お召しになりますか?」 「うん」 ユキは躊躇いなく指輪を指に通して、色々な角度からそれを眺める。美術品のように整ったユキの顔、優雅な身のこなし、アイコニックなジュエリー…鍛え抜かれた審美眼で、指に嵌めた輪をライトにかざすユキの目は真剣そのものだ。 指輪を嵌めるために繋いだ手を解かれたハルは、なんとなく寂しさを感じる。 「…うん、いいね」 「ルイ・カルディエが1924年に生んだトリニティリングは、カルディエを象徴するジュエリーのひとつです。 三つのリングが躍動し、絡み合っていますよね。これは三つの強い絆を表していて、イエローゴールドは忠誠、ピンクゴールドは愛、ホワイトゴールドは友情を表しています」 「ねえハル、友情、忠誠、愛なんておれたちみたいじゃん」 「はぁ……」 「石が入ってるのはある?」 「ございます。三つの輪に五つずつダイヤの入ったものと、他には…」 「あんまりギラギラしてるのはなぁ…あ、これいいね。ダイヤが三つの輪に五つずつで、計十五個?」 「はい、そうです。肌馴染みも良く、日常的に使いやすいと、とても人気の型ですよ」 「ちょっとサイズがきついかな、おれ骨太いんだよね」 「でしたらこちらのサイズをどうぞ…」 左手の薬指。ジャストサイズのリングに嵌め直したユキは「うん、いいね」と言った。 「ハルはサイズいくつ?」 「知らない、測ったことない」 「ご確認いたしましょう」 じゃら、と取り出されたリングゲージ。 店員に左手を取られたハルは、店員の生暖かく乾いた指先が、自分の薬指にリングゲージを順々に当ててサイズを確認していくのを眺めつつ… 混乱、していた。 (えっと……これは、その………) だってこれは、左手の薬指、だ。 「17号から18号ですね。こちらに在庫がございますので」 生まれて初めて自分のリングサイズを知ったハルがその数字を覚えておこうと思うもより早く、さっと薬指にリングが嵌められる。 シルバー、ピンク、イエローゴールドが重なったちいさな輪っかが、左手の薬指にキラリと光った。 「わ、あ………」 ぽぽ、と頬に朱がさす。 ガラス越しに見た時の印象は「きれいな輪っか」だった。 それがいま、自分の指に嵌められた途端、その温度、重さ、着け心地…気品のある輝きに、不安や心配が和らいで心がふっと軽くなるようなパワーを感じた。 きれいだ… 素直に、そう思った。 手を握って、開いて、光にかざして、その存在感を確かめる。 ホワイト、ピンク、イエロー、三つの輪が躍動して絡みあう端正でエレガントな指輪に、十五個のダイヤがきらめいていた。 光を反射して輝く、ブリリアントカットの華やかな芯のある美しさ… それに目を奪われていたハルは、はっとしてユキを見た。 ショーケースに寄りかかって頬杖をついていたユキは、ハルの視線を受けてニコッと微笑む。 「…どう?」 「ど、どうなんだろう……」 まだうろたえ続けるハル。だって、まさか、そんな…と思ってしまう。 「似合ってるよ」 「そ、そうかな…」 「おふたり様とも、よくお似合いですよ」 ふたりの左手の薬指に輝く指輪。 ふわり、ふわりと尻尾が揺れる。 「失礼ながらお子様のご予定はありますか?」 うんと頷いたユキの視線を追って、店員はハルのほうを見る。 「お連れ様のほうは、いますこしサイズにゆとりがあると思いますが、今後の生活のことも考えるとそれくらいゆとりがあった方がよろしいかと存じます。材質上、サイズのお直しがなかなかできませんので…身重になると体重が多いかたで十キロほど増減するそうで、皆さま"念のため"すこし余裕のある指輪を選ばれますね」 「あぁ、はい」 それは、どんな組み合わせのカップルにも行われるセールストークなのだろう。 反射的に『赤ちゃんの予定はある?』にYESと答えてしまったが、予定は…ある…ある……のか? まだ腹を据え兼ねているハルである。 「ちょうどおふたりのサイズもございましたし、裏の刻印に少々お時間頂ければ、本日中にお持ち帰り頂けます…」 解いた手は、再び繋がれていた。

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