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32.おとぎの国

「はぁ…疲れた…」 「疲れた?」 「疲れたよ、さすがに…ここしばらくの疲れがドッと来てる気がする」 「そうだよね…こっち来てからずっと、記者会見とか式の準備やらでバタバタしてたもんね」 丘の上での婚礼式を終え、城に戻ってきたふたり。 疲れ切ったハルは、婚礼用の伝統衣装を着たまま、椅子に倒れ込むように座った。 品のいい調度品でまとめられた、美しい部屋だ。この部屋は、城の中枢部とは離れた位置にあり、見晴らしの良い塔の一角にあたる。 物語に出てくる城の塔といえば、戦さモノであれば監視塔、プリンセスものであれば姫が幽閉され、ミステリーものなら重要なキーアイテムが隠されていることが多い。 しかし、この城は電気ガス上下水道等インフラの大規模リノベーションを最近済ませたばかりであり、空き部屋だったここは客間に改装され、単独で水道や風呂も付いている。オメガであるハルは他人の気配に敏感なため、城の中枢部から離れたここならプライバシーが守られるだろう、と安心していた。 仮にもしリノベをしていなければ、もよおすたびに片道十数分かけて共用トイレまで小走りしなければならないところだった。 そして、ユキの部屋はすぐとなりだ。 寝るときくらい自分の部屋に戻ればいいものの「およめさんといっしょに寝るの!」と言って四六時中ハルの部屋に居座っている。まるで犬だ。犬なのだが。一度『ベッドが狭い』と蹴飛ばしたら獣型になって床で寝ていたことがあって、さすがにそれは哀れだったので同衾を許している。 「今日はもう予定ないんだっけ?」 「今日はもうスケジュール無い!明日からが本番だね」 「明日は…」 「明日は朝議。ハル皇太子妃の公務任命と、皆さまへのご挨拶をしてもらう」 明日は、全議員を集めた城の大広間にて皇太子妃の公務任命と、就任挨拶のスピーチをする予定だ。原稿(カンペ)を持ちながらのスピーチとはいえ、全議員に向かってマイクで話をするのは緊張する。 「…後でまたスピーチの練習するから、付き合ってくれるか?」 「うん」 ゆったりと椅子に腰掛け、婚姻の儀で使用した宝剣の装飾を眺めるユキ。 それだけで絵になるのだから、美しい男だ。 ユキは、獣型になった時にも付けたままでいられるように…と指輪をピアスにしていた。 ユキの、犬耳の縁できらめくリング。 (獣型は四つ脚のため、指に付けたまま変化すると指輪サイズが合わず指がもげてしまう) ハルは物思いにふけりながら、婚礼衣装の刺繍を撫でた。 左手の薬指に光るリング。 他の指にも、亡王妃から借りた、先祖代々受け継いでいるというジュエリーがきらめいている。 国を発ってから今日まで、怒涛のような日々だった。 都内某所で両家顔合わせをしたときの、相手が獣人の王族と知ったときの実父母の驚いた顔は忘れられない。 結納は本来嫁側が用意するものだが、今回に関しては身分的格差云々…ということもあり、獣人の王が皇太子と皇太子妃のための新居を用意してくれるとのこと。先日施工の様子を見に行ったら、基礎建設中の場所のすぐ近くに小屋があり、それはユキが幼少期に好んでよく過ごしていた建物だそうだ。同行したユキは「子供時代を過ごしていた場所で子育てができるなんて嬉しい」旨の話をしていたが…はてさて。 国を発つ前に聞いた、母の言葉を思い出す。 『アンタ小さい頃から、じゅうじんぞくのおよめさんになるんだって言って聞かなかったわよねぇ。まさかそれが現実になるなんてね…』 『いってらっしゃい』 泣き笑いしながら、ハルを抱きしめた母。 この新しい地で、新しい生活に馴染めるのだろうか… 「ハル、ハル。どうかした?」 はっとして顔を上げる。 美しい男。富も地位も手に入れているアルファ。 オメガとして生まれた自分に、こんな幸運が舞い込んでくるなんて思いもよらなかった。 「いや……なんでもない」 「なんでも無くはないでしょ」 「なんか…ほんとにケッコンしたんだなあって思ってた」 「なに、今更?そうだよ。ずっと言ってたじゃん」 何か優れたところがあるわけでもないごくフツーの自分に、どうしてそんなに固執するのかと不思議に思っていたけど。 「そういやおまえ、俺のどこが気に入ったの?」 「え〜〜〜…全部?」 「テキトーかよ」 「だって俺にもわかんないもん。見た瞬間この人だって思ったし。運命としか言えない」 さも愛しげに、額にキスをされる。 そっと前髪をよける優しい指先にキュンと胸が鳴る。 「夕食までまだ時間あるね」 「…うん」 「お風呂入る?」 装飾品をひとつひとつ外し、婚礼衣装一式をメイドに預ける。 整髪剤で堅苦しく固められていた髪をピンで抑えて、婚礼用の派手なメイクを落とす。 洗顔を泡立てる指先。その爪の先まで『王太子妃にふさわしく』綺麗に整えられているのを見ると、こんな自分になんでそこまで…となんだかむず痒い気持ちになる。これからこの生活に慣れていかなければならないのか。 『ふつうの男』だった自分と『王太子妃』になった自分。 なにかスイッチがあって、カチンと切り替わるわけではない。 そのギャップに、まだハルは実感が湧いていなかった。 まるで夢の中のようだ。 ずっとおとぎの国にいるような… バスローブ一枚になったハルは、装飾の多い堅苦しい靴も脱ぎ捨て、素足になって風呂場へ向かう。 この布を一枚剥ぎ取れば… 普通の学生でもない、王太子妃の姿でもない… ただのひとりの人間として、ユキの前に立つ。 「ハル〜はやくおいで〜」 先に湯に入って待っているユキ。 ハルはその呼び声に、すこし迷って… カーラーを外した。 オメガである自分にとって、カーラーは大切な場所を守る大切なもので…それを人前で外すのは、裸になるよりも"いけないこと"だと、思う。 そう、恥部を見せるよりも、禁忌だ。 ペニスはまだいい。公衆トイレや共同生活で用を足すときに露出するから、免疫はある。そして恥部(アヌス)は…見せようとしなければ見えない。 だが首は、見ようとしなくても見えてしまう。 日に焼けていない、真っさらな首。 いま、守るものを外してしまったそこは寒く、ひどく不安定な存在のように感じた。 まだ傷を付けられていない、噛まれていないうなじ。 最初の子は男がいいか、女がいいか… そういう類の質問は無い。なぜなら獣人の子は子犬の姿で複数生まれてくるからだ。5〜10匹のオス・メスの子犬。多少順番が前後しても、最初の男子が国の跡継ぎとなる。 ただ… "産み分け"というものがある。 『気持ち良くなったほうが、男の子が多く生まれるんだって』 来るべき発情期まで… 『たくさん気持ちよくしてあげるね』

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