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46.朝議
朝礼議会が行われるのは、王座の間だ。週に一度、王座の間に集まってそれぞれの職務の進捗を報告したり、議題を提出し全体としての方針を定めるのである。法律の制定、予算の議決、条約の承認、そういった意見交換の場でもある。
正装したユキ、ハル。そこへ獣人の王も加わり、一向は王座の間へ移動する。
「…とはいえ、ごく形式的なもので、あらかじめ報告書も議題も書類にまとめておりますので、現在ではそれを読み上げるのみになっております。『己の忠義を王へ見せる』昔からの慣習がそのまま残っているんですな」
「つまんないよ」
緊張しているハルに老執事が耳打ちしている横で、ユキはあくびを噛み殺している。
「リモートにするか、せめて簡略化したほうがいいとおれは思うね。掃除だ、お茶だ、お菓子だ、と毎週これの準備に資金と召使の人員を割くくらいなら」
「そうやって極限まで手間と経費を削減したら、伝統が薄れていくだろう」
「城のインフラを整える大規模リノベーションは受け入れたくせにね」
「それは……ぼっとんトイレから糞便を掘り起こして遠くの河に撒くのはもううんざりだと召使たちがストライキを起こすから……」
「ハル、わかってるね?おれたちの時代は効率化と合理化だ」
「ハルくん、君は古きを重んじる派だろう?」
伝統と規律を重んじる獣人の王と、改革を厭わない継承者。自分が嫁ぐ前からこんな状況なのだろう。平行線の論争に板挟みになり、ハルは苦笑するしかない。
「…さ、みなさま、議会堂へ到着致しましたぞ」
縦二.三メートルはあろうかという、巨大な扉。重厚な金の装飾が施された、観音開きの扉だ。その両脇には屈強なドーベルマン耳の獣人がドアマンのように立ち、守備している。一向が扉へ近付くと、ドーベルマン耳の守備は片膝を床へ突いて敬意を表そうとしたが、「礼はよい」と王がそれを止めた。守備はすぐさま姿勢を正して肩肘を張ったが、ピンと尖ったつややかな三角耳はぱたぱたと忙しなく動いていた。
「扉を開けよ」
獣人の王が低い声で唸る。
ーー朝議が始まる。
開かれた扉。耳を打つのは獣人たちの喧騒と、無数のフラッシュだった。二百名の議員、そしてその補佐官たち、マスメディアのキャスターとカメラマン、総勢五百名が議会堂へ集っていた。
入り口から数十メートル先、真っ直ぐ通路を進んだ先に三人の座がある。王と皇太子、皇太子妃の椅子だ。
議員席とメディア席は、通路を挟んで左右に分かれている。そのため三人が定位置に着くには、全員の注目を集めながら議会堂を真っ直ぐ突っ切らなければならない。
王が、一歩を踏み出す。続いてユキも。
ハルもひとつ深呼吸して、二人を追うべく、足を踏み出した。
迷うことなく歩を進める王と、皇太子。ハルは遅れを取るまいと足早に進むが……身長の高い彼らは歩幅が広い。肩で風を切り、豪華な正装の裾を翻して歩く二人。ハーフアップにしたユキの豊かな髪、その毛先一本一本に至るまで計算され尽くしたかのように風にゆらめいていた。
全員が、王と、皇太子の挙動を見守っていた。隙のない身のこなし。己の座を目指し、まっすぐに空を駆け抜ける星のように、強く激しい光。大衆から『見られる』ことに慣れている者に特有の、オーラとも言うべき強い存在感。人から関心を得れば得るほどに眩しく輝く、王気。
無数に炊かれるフラッシュライトのなか、三人は議会堂の中央に敷かれた絨毯を渡り、壇上へ上がった。
獣人の王は、王座へ。皇太子は、その隣へ。ハルもまた、皇太子の隣の座へ掛けた。
三者がそれぞれの椅子に掛けると、それまで起立していた議員たちも、一斉に着席をした。人の海が波打ち、ざわめいていた議会堂が、しんと静けさに包まれるーー王の号令を待っているのだ。
王が、穏やかに場を促した。
それを受けて、演壇にいたチワワ耳の小柄な獣人がかん高い声で話し出す。
「本日の議事進行を務めます、チワーワです。本日は予算定例会より、現下の物価の高騰による国民生活及び国民経済への悪影響を緩和するために講ずべき国民負担の軽減等に関する措置に関する法律案、所得税法等の一部を改正する法律案、国営警備部より、領域等の警備及び陸上保安体制の強化に関する法律案………(中略)
……それでは予算定例会より、現下の物価の高騰による国民生活及び国民経済への悪影響を緩和するために講ずべき国民負担の軽減等に関する措置に関する法律案について、審議経過のご報告をお願い致します」
議事進行のチワーワが話を区切ると、すかさず議員席の獣人のひとりが立ち上がり、壇上へ上がる。歳は50代頃。身体が分厚く、目のクマがあり、頬がブルドックのように垂れ下がっている。見るからに不健康そうな中年議員だ。
「予算定例会のブルドクスです。現下の物価の高騰による国民生活及び国民経済への悪影響を緩和するために講ずべき国民負担の軽減等に関する措置に関する法律案について、審議経過の報告を致します。前述の措置を講ずるに当たって、地方公共団体の財政に悪影響を及ぼすことのないようにとのご指摘を受けまして、現在、慎重に審議を重ねております。また、第一項に規定するもののほか、現下の揮発油、灯油、軽油、重油その他の石油製品の価格の高騰による国民生活及び経済への悪影響を緩和するため、その購入に要する費用に係る負担の軽減に資する措置を一層拡充するものとし、政府は、このために必要な措置を速やかに講ずるものと………」
「前項の悪影響の程度、その他の経済社会情勢を加味して政策を練るべきであるという指摘もございましたが、その点についてはいかがでしょうか?」
「慎重に審議を重ねております」
「………大丈夫かね?」
「え?はい」
突然、獣人の王に小声で話しかけられて、ハルは驚いた。
目をぱちくりさせて王を見返すと、王は心配そうな顔をしている。
「こ、こほん。いや、君を軽んじているわけではないのだがね、その、◯◯教授の愛弟子とはいえ突然小難しい話の場に放り込まれて、戸惑っているんじゃないかと、わしは心配をな……」
「王、ご心配には及びません。現下の揮発油、灯油、軽油、重油その他の石油製品の価格の高騰による国民生活及び経済への悪影響が発生した原因は、そもそも国連が原油採掘量を前年より大幅に制限していることに由来するのですよね?」
「そ、その通りだ」
「獣人保護区は国連から認定を受けた特別区ですから、その指示を受け入れるのは致し方ないことではありますが、前年、今年と苦しい状況を強いられている状況で、来年以降もそれが続く可能性がある以上、法改定をして国民を守るのは国の義務であると」
ハルは硬派な文学系院生である。こういった長丁場の審議応答の場には慣れている。
そもそも大学における座学「講義」とは、教授や大学教員らの起伏の少ないぼそぼそとした一方的な喋りを一時間半聴き続けるという苦行であり、興味のない講義を選択してしまった生徒はおよそ九〇%の確率で睡魔に襲われる。だがハルはそういった不真面目な生徒とは違い、熱心で有能な学生であった。専門用語と漢字ばかりの論文誌を読むこともあるし、教授の出席するシンポジウムや学会へ同席させてもらったこともある。
それに、国の経済状況は八話でユキから見せられている。ハルがカフェで勉強している場に突然ユキが現れ、『うちの仕事。ハルは知っておいてもらわなくちゃ』と言って分厚いファイルを渡された、あれである。その内容は事業計画書から収支報告書、決算書、メインバンクからの融資履歴、関税関係書類、石油天然ガスの年間総重量概算、鉱物資源の埋蔵鉱量……と膨大な量に及んでいたが、ハルはその後、隙を見つけては書類をめくり、状況を把握していたのだった。
「さすが俺の運命」
「久々に聞いたな、それ」
ユキの合いの手に、ハルははにかみを返した。
「頼もしい限りよの。息子の運命は、我が国の運命でもあった訳だ」
「……忠義を尽くします」
朝議が始まるまでは不安で一杯だった。経済学の専門家でも無し、一学生の付け焼きの知識で国政決議案についていけるのかと。
だが実際、こうして朝議についていけることを思うと…
すこし、展望が開けた気がした。
「皇太子、ならびに皇太子妃、この度は御結婚おめでとうございます」
「皇太子妃、信任のご挨拶をお願い致します。どうぞ壇上にお上がりください」
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