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60.遠距離恋愛二日目、通話
『聞こえる?』
「おう、聞こえる」
耳に押し当てたスマホの受話器から聞こえる、ユキの声。
『あ〜〜…なんか、電波悪いかな…』
「ちょっと悪いみたいだな。雑音入ってるもん」
『こっちの通信状態が悪いのかなあ』
「どうだろ?」
『今どこで電話してるの?』
「え、いつもの、塔の部屋」
『おかえり』
「た、ただいま…?」
ユキの声だ。
ユキが、そこにいる。
そう思うだけで、心が甘く締め付けられる。
考えてみれば、昨日の朝、王族騎士の出発を見送った後からずっと息苦しかった。
ケンカをしたことを謝らなきゃと焦り…
出発を見送らなければいけないという使命感や責任感に縛られ…
スマホでの連絡も事務的な内容ばかりで、タイミングが合わずにすれ違い、憤っていた。
勿論、危険な蛇族の国で、気性が荒いという蛇の獣人に囲まれて過ごしているユキの王子としての立場は、重々分かっている。だからこそ「構ってほしい」なんて、言えない。
今ようやく、電話越しに、ユキとふたりきりになれた。
それが、嬉しい。
だからこそ、謝らなきゃ。
「あ、のさ…」
『ん?』
「ケンカのこと、謝りたいって話なんだけど」
『メッセージで言ってたね、それ。なんのことだっけ』
「おまえが出発する前の晩にさ、ハメるだの、ハメないだの、勃たせろだの言ってさ、おれ、お前にモラハラ発言みたいなのしちゃったじゃん」
『………?』
「お前の考えてることがわかんないとか、行動が突破すぎて付いていけないとか…なんかそんなことも言っちゃった気がするし…」
『そうだっけ?おれは全然気にしてないよ』
ハルが思い詰めていたことに、ユキはあっけらかんと返す。
『俺の方こそごめん。ハルに、たくさん嫌な思いさせてるよね』
「え?」
『俺、この前暴走しちゃったじゃん』
「え…」
あの晩、理性を失いかけたユキは獣化して、ハルを襲った。
ハルの身体のあちこちに、真新しい小さな赤い引っ掻き傷がある。
それは、獣になったユキが逃げようとするハルの上に乗ろうとして…ハルを爪で引っ掻き、怪我させたものだ。
スマホを持つ手首の内側に、まるで自傷跡のように横に入った、赤い切り傷。
通話しながらハルはその傷を指でそっとなぞり、あの晩を思い返す。
鋭い牙。ベッドを踏み締める大きな四肢と、尖った爪。
ーーもし、本気で襲われたら?
『俺さ…ハルはずっと俺のこと好きでいてくれてるんだって過信して、ハルの気持ちのこと考えてなかった。本当はもっともっとハルを大事にしなきゃいけないのに』
「…そんな…」
ハルは、老執事のアドバイスを思い出す。
"ご安心頂きたいのですが、あのお方が怒るなんてこと滅多にございませんよ。特にハル様には"
(本当にその通りだったな…)
(おれの考えすぎだったんだ)
(…っていうか、改めて口に出すと、もしかしてすっごいしょうもないことでケンカしてたのか…?)
その場の勢いで発言して、相手の自尊心を傷つけたのでは…と後で自己反省するのは、付き合ってしばらく経ったカップルのよくあるケンカのパターンである。
会話が一区切りつき…
ガサガサ、ゴソゴソ…
しばらく雑音が続く。
「何?(笑)何してんの??ゴソゴソうるせえけど」
『え〜〜〜……待って…………』
「お前さあ……(笑)」
マイペースすぎるユキが面白すぎて、ハルは笑いを堪えている。たった一日ぶりだが、声が聞けたこと、ユキと電話越しに会えたことが嬉しくて、少しハイになっているのだ。
『…コヒューー……コヒューー……』
「ベイダーみたいな息聞こえるけど(笑)何?マジで何してんの?(笑)」
『…いま布団入った…』
「おねんねしたの?(笑)」
『………ハルの声聞きながらねんねする………』
「ねえ(笑)笑けてくるからやめて(笑)」
また、ガサガサ、ゴソゴソという雑音が。
『フシューー……フシューー……』
「寝たんかよ(笑)」
『まだ寝てない』
「おー(笑)」
『昨日と今日、何してた?』
『待って、じゃあおれも布団入る…』
ユキは布団に入ったと言うので、ハルもモゾモゾと布団に包まる。
顔のすぐそばにスマホを置いて、スピーカーにした。
「準備おっけー」
『はい』
「はいって何だよ(笑)お前、突っ込みがいくらあっても足らんわ(笑)」
『昨日と今日、何してた?』
「何って…仕事だよ」
『仕事?』
「ハンコ押したり…議案読んだり…」
『お疲れ』
「おう」
『あとは?』
「あとはー、あ、そうだ、タヌキイヌに絡まれた」
『あー、あいつね』
ハルは、自分がオメガであるという理由で人から虐げられた経験がない。
「皇太后妃ぃ?貴様が?」「男じゃないか!」
タヌキイヌからナイフのように真っ直ぐに突き立てられた、その時の傷が、今になってじくじくと痛んでくる。
男だから、何なんだよ。
そうだよ、おれはオメガだよ。男だけどオメガだから妊娠するんだ。それが悪いかよ?お前に何か関係あるか?
第二の性が何であろうと、人からどう思われようと、それが自分なのであり、どうやっても変えられない事実なのである。
仕事の出来なさそうなタヌキイヌ議員に比べれば、よっぽど人間ができている。
それにーーとハルは思う。
(それに、おれは、こいつの子どもを…)
欲しい、のかは分からない。
ユキと番ったその先に、コロコロした子どもがいれば、幸せだろうなとは思う。
そして、それがオメガとして生まれた自分にしか成し得ない、課題や使命、宿命のようなものだとも思っている。
子犬を抱き締めて、可愛いね、とユキと笑い合う未来を思い描いてーー
自分が望んでこの地へ来たのだ。
「タヌキイヌにすっげームカつくこと言われたんだけど…」
『そうなの?何言われた?』
「……男なのに皇太子妃なのはおかしいとか、なんかそんなこと。……いや、もうそのことは良いんだ。だっておれ、オメガに生まれたこと後悔してねえし」
ーー第二の性のおかげで、お前に会えたわけだし。
考えてみれば、自分の国を出て、幼い頃からずっと憧れていた獣人の「王子様」とスマホで話しているのである。
しかも、めちゃくちゃ顔の良い。
現実を自覚して、しばし沈黙してしまうハルである。
『……ハル?』
「あのさ、おれ、お前に言いたい事あって」
『え、なに?悪口じゃないよね?』
「悪口じゃねーよ」
『ハル、口悪いって(笑)』
「あーー…(笑)いや、だからさ……」
「おれのこと、見つけてくれてありがとうって言いたいのっ!」
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