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62.遠距離恋愛三日目

「…え?帰国が遅くなる…?」 老執事セバスチャンからその話を聞いたのは夕刻だった。 時刻は16時。執務時間も残り僅か、早く終わんねーかなーとダラけかけている所にそんな凶報を聞かされて、ハルは執務椅子から立ち上がった。 (だって、今夜帰ってくるって…!!) 「王族騎士団員から先ほど連絡が入りまして、どうやら帰国が一週間ほど遅れる見込み、と……」 「ど、どうしてですか?」 老執事に詰め寄るハルは、自分でも驚くほど焦っていた。 「詳しいことはまだ知らせがありませんが、なんでも蛇の獣人族から帰国を伸ばすよう打診があったらしく、それで…」 老執事に責任は何一つ無い。それなのに申し訳なさそうにモフモフの耳と尻尾を垂らし、落胆しているハルに同調してくれる。 「それで、って……危険は無いんですよね!?」 「…また王族騎士団員からの連絡を待ちます。ハル様の方には、ユキ様から何か連絡はありませんか?」 ハルは慌ててスマホをチェックする。 最後にユキから連絡があったのは、今朝。 『おはよ』 『今朝のぱんつの色教えて』 既読無視したそれが最後であった。 「連絡は特には…」 「そうですか…」 その時、執務室の外でなにやら騒いでいる物音がした。 どすん、どすん、という重そうな足音の後ーー 「王は戻っているか!?」 壊さんばかりの勢いで荒々しくドアを押し開けて執務室に入ってきたのは、環境大臣のタヌキイヌである。 タヌキイヌは広い執務室に探している姿が無いのを知ると、巨大な隈のある不健康そうな顔でハルをギロリと睨む。 「またお前か。王はどうした?今日帰国する予定のはずだが」 「不慮の事態にて、遅れております」 お前呼ばわりされてムッとしたハルは睨み返す。自分を嫌っている奴に、わざわざ気に入られようとする必要はない。 「はっ。そうやって理由をこじ付けてどうせ休暇でも取ってるんだろう。いつ戻る?」 「分かり兼ねます」 「何故だ」 「連絡が付かないのです…」 「ふん。おいじじい、この書類不備があるぞ。今すぐ書物庫で資料をまとめてこい」 タヌキイヌがそう言って執務デスクに叩きつけたのは、石炭の年間採石量をグラフにした資料である。 ハルも老執事も困惑する。なぜならその書類は国際連合に提出する前段階の内部参考資料であり、緊急性は低いからだ。 しかも退勤時間まであと僅か。執務室から書物庫へ移動するだけで終了してしまう。 「今すぐですか?」 「大至急だ」 「しかし…」 「立場を弁えろ、使用人」 環境大臣であるタヌキイヌは、一介の使用人でしかない老執事より遥かに地位が上である。 そして皇太子妃は、議員トップにあたる大臣より身分は高いが、政務での発言力はほぼ対等。しかしハルは、言わば先日就任したばかりの新人であり、影響力は恐ろしく弱い。 老執事は狼狽え、ハルを気遣って「この場をお暇してよろしいでしょうか」と声を掛けた。 ハルが苦渋の表情で頷くと、老執事は「お夕飯の時間までには戻れるよう、急ぎます」と言って執務室を小走りで出て行った。 この男、どういうつもりなのか。 無理難題を吹っかけて老執事を追い払ったタヌキイヌは、睨み付けるハルと目が合うと、いやらしく笑った。 背筋がぞくりと怖気立つような、気持ちの悪い笑顔だった。 「…ここで待っていても王は来ません。どうぞお引き取りください」 「おれのことは気にするな」 タヌキイヌは悠々と広い執務室を歩き、長居するつもりなのか、応接ソファーにどっかりと腰を下ろした。 「おれはまだ仕事が残ってますんで」 よし、見ないふりをしよう。 ソファーに座ってるアレは、タヌキの置物だと思おう。 ハルはそう決めて、執務デスクで途中になっていた資料の確認作業に戻ろうとした。 「……なあ、おい」 「……?」 この男はどこまで人の神経を逆撫でするのか。 嫌いな人間とも関わらなければならないのが、仕事である。シカトするわけにもいかず、視線だけで返事をしたハルであったがーー 「お前、いくらだ?」

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