75 / 83
75.小屋
十数時間後、ハルは朦朧とした意識の中で目を覚ました。視界は霞み、周囲の輪郭がぼやけている。体中には鈍い重さがのしかかり、頭には鈍痛がじんじんと響いていた。痛みが現実感を呼び戻し、意識を無理やり覚醒させていく。
「ここは……?」
掠れた声が乾いた空気に溶ける。体を起こそうとしたが、まるで全身が鉛に変わったかのように重く、あちこちが傷んだ。指先さえ動かすのがやっとで、頭が霞み、考えをまとめるのも難しい。身体は重く、熱っぽい。呼吸さえ浅く感じた。
――まだ薬の影響が抜けていない。
それか、冷たい川に落ちたせいで、体調を崩したのだろう。
喉がひどく渇いている。全身が内側からじりじりと熱を帯び、意識を奪われるような感覚に囚われた。それでも、わずかに残った理性を振り絞り、周囲を確認する。
狭く湿った空間。手を伸ばすと冷たく粗い木の感触が伝わった。小屋全体が簡素な木製でできており、壁板がわずかに軋む音が耳に入る。小屋の中は妙に蒸し暑く、空気が淀んでいた。息苦しさが次第に不安をかき立てる。
床は腐りかけ、穴の空いた箇所をアーミーグリーンのミリタリーシートで覆っている。その上には乾いた木の葉が乱雑に積もっていた。まるで打ち捨てられた守衛小屋を急ごしらえで虜囚小屋に改造したような、荒れた作りだった。
「……なんだよ、ここ……」
苛立ち紛れに呟きながら、ハルは鎖で拘束された手首と足首を見下ろした。手枷と足枷には鎖が繋がり、動ける範囲を厳しく制限されている。鎖の長さはかろうじて水瓶に届く程度で、それ以上の自由はない。
川で濡れた服は脱がされ、その代わりにありあわせの服を申し訳程度に着せられている。
薄暗く、不衛生で蒸し暑い――そこにいるだけで力が奪われるようだ。この粗末な小屋と拘束具の存在が、今の状況の残酷さをいやでも物語っていた。
――タヌキイヌ。
脳裏にその名前がよぎり、ハルは怠い体を引きずるようにして動き出した。
「タ……おい、いるか……!」
名前を呼ぼうとしたが、ハッとして、押し殺した声に変えた。名前が敵に漏れれば、タヌキイヌの正体や自分の地位が露見する危険がある。緊張を抱えながら小屋の中を見回したが、タヌキイヌの姿はどこにも見当たらない。
「……別の場所に囚われているのか?」
それを考えた瞬間、込み上げてきた吐き気に襲われた。薬の副作用が残る中、急に身体を起こしたことによる反動だった。
胃の奥から酸っぱい液が喉を突き上げるが、ハルは必死に飲み込む。額から汗が滴り落ち、心臓の鼓動が耳に響くほど速くなっていた。それでも何とか目を閉じ、深呼吸を繰り返して気を鎮めた。
――こんなところで弱っている場合じゃない。
今すぐ命に関わる薬ではなさそうだ――それだけは理解した。しかし、体内に何を打ち込まれたのかは不明のままだ。睡眠薬か麻酔か、それとも別のものか。考えを巡らせるたび、不安が胸を締め付けた。
「……まさか、人体実験……?」
思わず呟いた言葉に自分で震えた。急いで身体を調べる。腕、胸、腹――服を乱暴にまくりながら探ったが、傷らしい痕跡はどこにも見当たらない。臓器を取り出されたような兆候もなかった。
「……大丈夫、だよな……?」
自分に言い聞かせるように呟く。だが、眠っている間に何をされたのか、本当に安全なのかは分からない。未知の恐怖がじわじわと精神を侵食していく。
「タヌキイヌも……無事でいてくれ……」
床に這いつくばりながら、薄暗い小屋の中で彼の名を繰り返す。そのたびに鎖が耳障りな音を立て、ハルの焦りと不安を増幅させた。
ロード中
コメントする場合はログインしてください
ともだちにシェアしよう!