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77.目的

ハルはボロ小屋の隅で膝を抱え、薄暗い空間に沈黙が支配する中で思考を巡らせた。重く冷たい手枷が、孤独の重みを増幅させているようだった。時折聞こえる外の足音や笑い声が、嫌でも自分が敵の真っ只中にいることを思い出させる。 (まずいことになった。奴らが何かを企んでるのは間違いない……) (このままじゃ、ワーウルフの国に災厄が訪れるかもしれない……) (焦っても仕方ない。けど、助けを待つだけじゃ何も変わらない……) (今できることは、少しでも情報を掴むこと。奴らの狙いを突き止めて、この状況を覆す手がかりを探す) (ユキ……お前に迷惑をかけるわけにはいかない。お前が守る国を、俺も守り抜くんだーー!) ハルは唇を引き結び、握りしめた拳に力を込めた。孤独と不安に苛まれながらも、使命感だけは決して手放さないと誓いながら。 ハルは、じっとりと額に滲んだ汗を拭った。じゃらり、と重く手枷の鎖が鳴る。 (麻酔の後遺症かと思ったけど……体調が戻らない……。) 額の汗だけではない。身体全体がだるく、熱を持っているような感覚。それがただの風邪のせいだと決めつけるには、違和感が強すぎた。 (まさか……) 嫌な予感が頭をよぎる。 その時、誰かがこの小屋に向かってくる足音が聞こえた。 (誰だ……敵か、それとも……?) ハルは反射的に身をこわばらせ、息を潜めた。重い手枷が彼の手首に食い込み、嫌でも自分が完全に無力な状態であることを思い知らされる。 鍵が外され、小屋の扉が激しい音を立てて開いた。冷え込む夜風が中に吹き込み、か細いランプの灯りにハルは一瞬目を眩ませた。 小屋に入ってきたのは二人の蛇獣人で、その間にぐったりとしたタヌキイヌを挟むように支えていた。 「手間かけさせやがって」 蛇獣人の一人が忌々しげに吐き捨てると、荒々しくタヌキイヌを床に突き飛ばした。受け身を取ることもできず、太った腹からうつ伏せに倒れ込んだタヌキイヌは、苦痛の声を漏らした。 床に横たわるタヌキイヌの姿はひどいものだった。耳や頬には新しい傷があり、毛並みは所々血で固まっている。服もボロボロで、胸元の布が裂け、青紫色の打撲痕が痛々しく見えた。呼吸は荒く、目を閉じたまま何かを呟いている。 「無駄口を叩きやがって、いい気味だ」 蛇獣人の一人が吐き捨てるように言い、タヌキイヌを見下ろした。その目には軽蔑と苛立ちが混じっている。 「どうして、こんな……!」 ハルは声が震えないよう努めたが、わずかな恐怖が滲んでいるのを自覚した。 「俺たちに舐め腐った事を言うから、ちょっと『教育』してやったのさ」 蛇獣人は薄ら笑いを浮かべながら、床に転がったタヌキイヌを蹴飛ばした。タヌキイヌはうめいたが、最早抵抗する気さえないようだった。蛇獣人はタヌキイヌの手枷と足枷に掛かった鎖を、小屋に拘束した。 「言っておくが、逃げ場は無えからな。せいぜいと仲間割れでもしてくれよ」 嘲るような口調で吐き捨てるその声には残酷な満足感すら漂っている。蛇獣人たちは乱暴に小屋の扉を閉めた。その音が木造の壁に響き渡り、小屋の中は再び静寂に包まれた。 「大丈夫か?」 ハルが小声で問いかけると、タヌキイヌがかすかに目を開けた。その目には疲労と痛みが浮かんでいるものの、どこか毅然とした光がかすかに残っていた。 「どうしてこんなことに……」 ハルは、自分の中で怒りと恐怖が渦巻くのを感じていた。壁にもたれかかったタヌキイヌの荒い息遣いが、小屋の静寂を切り裂くように響く。顔の片側には青黒いあざが広がり、口元からは血が滲んでいた。その姿を見て、ハルは胸が痛んだ。 そっと傷口を確認しようとしたハルを、タヌキイヌは軽く手で制した。 「気にするな。こんなもん、慣れてる」 タヌキイヌは短く言い、一息つくと、壁際に置かれていた水瓶に目を留めた。匂いを嗅いでその中身が水である事を確認すると、顔や手を洗い流した。 「毒が入っているかもしれない」 ハルは低い声で指摘したが、タヌキイヌは口元に微かな笑みを浮かべ、答えた。 「毒はない。俺の鼻がそう言ってる」 その言葉に、ハルもようやく喉を潤すことを決意し、一口飲んだ。しかし、冷たい水が喉を通り過ぎても、渇きは少しも癒えなかった。 (おかしい……) 体の火照り、微熱、そしてやけに強い渇き――嫌な予感が胸をよぎる。それでも、ハルはそれを無理やり頭の隅に追いやり、今は目の前のことに集中しようとした。 タヌキイヌは水を飲んだ後に口を拭ったが、真新しい切り傷に触れたのか、痛そうに顔を歪めた。 「……小僧は殴られてないか?」 タヌキイヌは、控えめな口調でハルを労ってきた。ハルはその事に若干驚きつつ、首を横に振る。 「どこか痛む所は?」 「大丈夫」 ハルは、タヌキイヌの足に巻いてあったボロ布を巻き直してやった。この傷は、崖から落ちた時にできた傷だ。タヌキイヌが我が身を犠牲にして落下地点をずらしてくれたお陰で、ハルは怪我をせずに済んだのだった。 「奴らは一体何が目的なんだ?資源か?それとも国そのものか?」 ハルは話しながらありあわせの布を水瓶に浸して、タヌキイヌの顔についた血や泥を拭ってやった。 「そう、それが問題だ。まず最初に、奴らには雇い主がいる。それは分かってるか?」 「ああ」 「蛇獣人どもの動向は、議会でも何度も取り上げた。奴らは武装せず、むしろ、国境付近でのらりくらりと幕営していた。ピクニックでもするみたいにな。それなのに、何度追い払っても戻ってくる。どう考えても普通じゃない」 とりあえずの応急処置を終えて、ハルは腕を組んで座った。 「狙いは、やっぱり資源を奪うことなのか?」 「可能性は高いな」 タヌキイヌは表情を険しくする。 「蛇獣人の国は貧困と内紛が絶えない。国土のほとんどが砂漠化していて、耕作も難しいし、産業を育てる余裕もない。そんな環境で生きる彼らにとって、資源を奪うことは生き残るための手段だ」 タヌキイヌの声は冷静だったが、その目には鋭い光が宿っている。 「足りないものは他者から奪う……それが奴らにとっての当たり前だってことか?」 蛇獣人のリーダーも、そう言っていた。しかし、そんなことが罷り通る筈がない。 ハルがそう言おうとした時、タヌキイヌの尻尾がピンと立った。焦茶色の三角の耳を使って、外の様子を伺おうとする。 「……おい、どうした?」 ハルが声を潜めて尋ねる。 「静かにしろ。」 タヌキイヌは手を挙げてハルを制し、小屋の外に耳を澄ませた。焦茶色の耳がピクぴくと動き、しばらくして彼はニヤリと笑った。 「なるほど……分かったぞ。奴らの狙いは金(きん)だ。」

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