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第6話 隠形術

 本格的に夜が訪れて、この日は早めに休む事になった。撮影自体は雰囲気もあるし夜の方が良いようだが、今日は船旅の疲れもあるし、スタッフさん達の仕込みや準備などもあるようである。シャワーを浴びてから、俺は兼貞と二人の部屋へと戻った。  先に戻っていた兼貞は、寝台に座ってスマホを弄っていた。俺はタオルを片手に自分のベッドを見る。既に子鬼の姿は無い。シャワーを浴びる前に、荷物に数珠を一つ紛れ込ませておいた結果だ。だが、そんな俺の寝台の周囲には、浮遊霊がぐるりといる。寝台の上だけが聖域となっていた。 「……」  しかし、おかしい。俺の寝台の側はそのような状態だというのに、兼貞の寝台の方には特に何も密集していないのだ。俺が視えるから寄ってくるというのもあるのだろうが、まるで兼貞の方は、妖しに『いないもの』として扱われているかのごとく、ナニモノも近づいていかない。 「兼貞さん」 「んー? 呼び捨てで良いって」 「……ベッド、代わってもらえませんか?」 「やだ」  俺の頼みを、奴は切り捨てた。なぜだ。視えないのならば、こちらのベッドだって構わないだろうに。それとも何か気配くらいは感じ取れるのか? 「なんなら一緒にこっちで寝るか?」 「……」  はっきり言って、魑魅魍魎に囲まれて眠るのと、兼貞と同じベッドで眠るのは、どちらも嫌だ。しかし命の危機的な意味では、まずいのは霊的な存在である。しかし数珠をはじめとした法具があるから、寝台には入ってこないはずだ。俺は迷った。 「こっちで良いです」 「――ほう。俺の綺麗な綺麗な何もいないベッドより、そっちのうじゃうじゃしたベッドの方を選ぶのか。絆ってドMだったのか?」 「どういう意味だ? まさか本当は視えるのか? あ」  俺は思わず天使の口調を崩してしまった。すると兼貞が吹き出した。 「だから俺も、霊感があるって言ってるだろ?」 「……」 「尤も俺は今、隠形術(オンギョウジュツ)を使ってるから、妖しは俺の事が視えないけどな」  それを聞いて、俺は目を瞠った。聞いた事がある。確か、小右記等に出てくる、鬼気祭りと称されるような――陰陽道の手法である。玲瓏院家は土着の要素と密教が入り込んだ仏教の一つであるが、幼少時から多少は他の道術等の勉強もさせられる。何より、俺も高等部までは霊泉学院大学附属の高等部という心霊現象対策に特化した高校に通っていた為、総合的な勉強の時間にいくつか覚えさせられもした。 「絆はさも美味しそうに周囲に映っているらしい」 「兼貞……さんは、陰陽師なんですか?」 「だから呼び捨てで良いって。ま、実家はそっち系」  兼貞は楽しそうに笑いながらスマホをしまった。てっきり無能だと確信していたものだから、俺は驚きつつも怒りが沸いてきた。 「どうして視える上に術の心得があるのなら、呪鏡屋敷で結界を破ったりしたんだ?」 「ちょっと色々あって」 「冗談じゃない。どれだけ周囲が迷惑を被ったと思ってるんだ?」  上辺が崩れるのも気にせず、俺は思わず告げた。別にこんな奴の前で、もう猫をかぶる必要も無いだろう。 「怖い顔してるのも可愛いな」 「おい。巫山戯るな!」 「――俺にも、絆の力は美味しそうに映るんだよな」 「は?」 「気を吸い取る術というものもある」 「何が言いたい?」  俺は兼貞に詰め寄ろうとした。  ――その瞬間だった。 「ッ!」  何かが俺の左足首を掴んだ。  見れば俺の側の寝台の下から、女の霊が這い出てきた所で、ギリギリと俺の足首を掴んでいる。恐怖というより痛みと衝撃で、俺はその場で体制を崩した。 「うわ!」  慌てて手を絨毯の上につく。転んだ俺を、寝台に座って膝を組みながら、兼貞は余裕たっぷりの笑顔で見ている。 「本当にそっちで寝るのか?」 「……っ、見てないで、視えてるんなら助けろ!」  兼貞はじっと俺を見た後、静かに立ち上がった。そして動けない俺の前でしゃがむと、指先で俺の顎を持ち上げた。 「ちょっと気を味見させてくれるって言うんなら、助けようかな」 「は!? それは俺にどうしろと言っているんだ!?」 「簡単なのは、キス」 「頭がおかしいんじゃないのか!? っ、痛」  足首を強く握って引っ張っている女の霊は、俺を寝台の下に引きずり込もうとしているらしかった。力が強い。このように実体を持つ存在相手では、俺の唱えるお経などほとんど効果はなさない。身につけている数珠を投げつけたら解放されるだろうが、寝台下に引きずり込まれないよう両手を必死に絨毯についている現状では、それが出来無い。 「このままじゃ、そいつに取り込まれるぞ?」 「だから助けろって言ってるだろうが!」 「俺のベッドで一緒に寝て、気を味見させてくれるなら良いよ」 「なんだよそれは!」 「最初に見た時から、俺、絆の事気に入ってたんだよね」 「は? っ、ああ、もう、分かったから助けてくれ!」  俺は折れる事にした。確かにこのままでは埒が明かない。本当に不服ではあるが、生命には変えられないだろう。俺の言葉を聞くと、兼貞が呪符を取り出した。 「急急如律令」  どこか笑みすら含んだ声音を、兼貞が放った。するとその瞬間、俺の体が解放された。必死で吐息しながら、俺は絨毯を前に進む。するとポンポンと兼貞が俺の頭を叩くように撫でた。 「約束、な。こっち来いよ」 「……なんでだよ」  理不尽だと思った。兼貞のせいで例えば紬だって手伝いに行ったし享夜は大変な作業をするというのに、どうしてちょっと助けてもらったからといって、俺は兼貞に気とやらを提供しなければならないというのだ。  それでも確かに、怨霊が屯しているベッドで寝るよりは……良い、のか? 悩みつつも俺は起き上がった。兼貞は寝台に座り直すと、俺を手招きした。 「早く」 「……」 「ほら」  しかし助けてもらったのは事実である。俺は唇を噛みつつ、兼貞の寝台へと向かった。すると兼貞が横になって壁際に詰めた。俺は隣に腰掛けてから、ゆっくりと横になる。 「わ」  兼貞は、そんな俺を横から急に抱きしめた。狼狽えて声を上げた俺を見ると、兼貞がクスクスと笑った。 「じゃ、チュウさせてもらう」 「な」  俺の頬に、兼貞が口づけた。俺達は男同士である。なんだこれ。呆然としていると、今度は兼貞が俺の唇を指でなぞった。 「お、おい……ん」  そしてそのまま、俺の唇を奪ったのだった。  その瞬間――俺の体から力が抜けた。おかしい。何かがごっそり抜けていく感覚がする。 「やっぱり美味しいな」  唇を離すと、今度は兼貞が俺の額にキスをした。だが、俺の体はもう抵抗しようという気にすらならないほどに弛緩していた。本当、なんだこれは? そう思った次の瞬間には、猛烈な眠気に襲われて、俺はそのまま睡魔に飲まれて眠ってしまったようだった。

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