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第14話 映画の初の撮影

 映画の撮影の日が訪れた。俺は相坂さんが運転する車を降りてすぐ、周囲を見渡した。なお、享夜は無事に、俺達が見舞いに行った翌々日には意識が戻ったようだった。よって俺の最重要事項は、兼貞への口止めとなっている。  あの後、幸い紬は追求してこなかった。照れ屋の弟は、自分からは下ネタを切り出せないようで、本当に幸いだった。  本日の収録は、妹役の水間ちゃんに近づいてきた、兼貞扮する虫を、新人刑事である兄の俺が初めて追い払う場面である。水間ちゃんの役は『マリア』、兼貞の役は『ハルト』――芸名と一緒である、それで俺の役は、『コウキ』である。どう考えても、兼貞の為に書き下ろされた脚本なのだが、それは良い。相手役は俺では無かったかもしれないが、今は俺だ。  洒落たカフェの前で、ハルトがマリアに花束を渡す場面に俺が遭遇する。若干シスコン気味のコウキがそこに割って入る場面だ。  兼貞は、俺よりも先に現場入りしていた。俺は口止めをすべく歩み寄ろうとし、即辞めた。兼貞は通行人やカフェの客といったエキストラの女性陣に囲まれていたのだ。なお、俺に近づいて来る女性はいない……。  最初から憂鬱な気分になっていると肩を叩かれた。 「KIZUNA、髪型を少し直そう」 「あ、はい」  そのまま俺はヘアリストさんに呼ばれたので、裏手に回った。そして雑念を消す事にした。さすがにこの場で兼貞が吹聴しているような空気は感じないし、あれは犬に噛まれたと思って忘れて良いのかもしれない。それよりも今は撮影が問題だ。俺は鏡に映る自分のスーツ姿を改めて見た。白いシャツ、黒い背広だ。実際には俺の年齢で刑事さんにはなれないだろうが、あくまでも映画であるし、少し大人びた演技を心がけ――たいが、『コウキ』は妹の事となると頭に血が昇る方であるし、子供っぽい性格でもあるから難しい。 「KIZUNA、準備は出来たか?」  そこに監督がやってきた。俺は慌てて立ち上がり、大きく頷いた。丁度髪の毛も直してもらった所である。 「普段の天使で優しいイメージとは少し異なるが、新しい扉だ。頑張るように」 「は、はい!」  実は天使は演技であり、台本の役の方が俺の素に近いのだったりするが、それは言わないでおく。なお、本気で兼貞の事も追い払いたい気持ちがあるので、この配役自体にも文句は無い。 「よし、撮影を始めるぞ」  監督の指揮のもと、プロデューサーが見守る中、そうして撮影が始まった。  俺は一度目を閉じ深呼吸してから、気分を切り替えた。  そして――妹を魔の手から排除する兄になりきった。一瞬、刑事としての仕事を忘れて、元気よく怒りながら、マリアに近づく男を排除する熱血漢になりきった。そして台詞を全力で発し、目線を台本の通りに動かす。  ……結果、焦った。  台本では、俺に追われたハルトは、名残惜しそうにマリアを見てから、立ち去るのだ。だが兼貞は、堂々と俺を見て、小馬鹿にするように笑ったのである。台本と違う! しかもイラッとする顔をされた。思わず俺は頭にきた。そして今は天使の顔をする必要は無いのだ。怒りのままに俺は兼貞を睨み返した。それから唇を引きつらせて、無理な笑顔を浮かべる。絶対に許さないという、本音混じりの心境で、次の台詞を述べた。 「カット! 二人共良かったよ、今ので行こう。台本とは違うけど、迫力が良かった」  ……。  結果、褒められた。  すごく複雑な気分になりつつ、俺は気が抜けてしまった。ホッと息を吐く。すると兼貞が歩み寄ってきて、ポンと俺の肩を叩いた。だから触るなという話である。 「よく俺の演技にかじりついてきたな」  兼貞は俺の耳元で囁くように言った。完全なる上から目線であった。ぎょっとして俺は兼貞を見た。すると兼貞は、俺が初めて見る、非常に獰猛な瞳をしていた。ぎらついている。え。なんだこれ、なんだこの迫力は? い、いいや、俺だって負けていなかったはずだ。少なくとも撮影中は――だ、だがしかし、完全に今現在は負けている自信がある。俺は初めて兼貞に気圧された。これが若手No.1の迫力か……? 「次も期待してるから。お前なら、ついてこられるだろ?」  少し掠れた声で、兼貞が俺の耳元で続けた。俺は思わず唾液を嚥下した。ゾクリとした。しかし――絶対に負けない! 俺は思いっきり大きく頷く事にした。  その後は、ハルトとマリアの逢瀬場面の撮影が続いたので、俺はスポーツドリンクを飲みながらそれを見ていた。見ていて思ったのは……やはり兼貞は上手い。水間ちゃんも上手いが……それとは別のベクトルで、俺は兼貞を見てしまった。兼貞は、容姿だけでは無かったのだ……それを思い知らされた。  だからこそ、絶対に俺は負けるわけにはいかない。  続いて、二度目に俺が兼貞を追い払う場面がやってきた。  すると今度は、奴は若干忌々しそうに俺を見てから、焦燥感が溢れる様子でマリアを一瞥し、そしてやはり台本には無い視線の動きで俺を見た。今回こそ少し余裕がある風に笑うという場面だったのだが、奴は堂々と俺を睨みつけてきた。台本では徐々にコメディタッチの追いかけっこになっていくのだが――ここまででは、とてもそうは思えない。完全に挑発されている。そして俺の役は……その挑発に存分に乗っかって構わないのだ! 「カット。いやぁ、いいね、いいね! というか、KIZUNAってそんな表情も出来たんだね。演技の幅が広いなぁ。兼貞君はそのまま続けて。自然体で。そのままの兼貞君が見たい」  ……褒められた!  俺は全身に熱気を感じた。スポットライトが熱いからではない。演技をしていると沸騰しているような感覚に陥るのである。  次に三度目に追い払う場面がやってきた。今度の兼貞はどんな変化球で来るのか。俺は台詞を一度回想した後は、コウキになりきった。  するとハルトが、今回は俺を見て――動きを止めた。表情だけではなく動作まで変えてきやがった。しかもなんだ? 突っ立っている。チラチラとマリアと俺を交互にみるだけで、立ち止まっている。は? 俺にどうしろと? 俺の役目は追い払う事だぞ? 「妹に近づくな!」  とりあえず俺は台詞を放った。そして台本の通り、割って入る事にした。だが兼貞は動かない。勢いがついているせいで、このまま行くと、俺は兼貞に激突する。え。だ、だが、妹を守るためならぶつかるくらいしかねない兄がコウキだ。俺は意を決してそのまま進んだ。  その時だった。 ひらりと兼貞が俺を交わし、転倒しかけた俺を抱きとめた。へ? 素で呆気に取られた俺が兼貞を見ると――奴は台本の通り、ふわりと微笑していた。ちょっと目を惹かれる笑みだった。 「カット! 今のも二人共アドリブが良かったけど、怪我だけはしないように注意してね!」  声が飛んできた。え。本当に今ので良いのか? 俺は困惑した。兼貞は俺から手を離すと余裕たっぷりに笑った。 「よく突っ込んできたな。ま、絆なら出来ると思ってたけど」 「な」 「ついてこいよ? 信じてるから」 「!」 「お前ならやれるよ」  兼貞が微笑した。しかしやはり気迫がすごい。もう現場が兼貞オーラに飲み込まれている。台本なんてあってないようなものである。新人なんだぞ、俺達は? え? なにこれ。とはいえまぁ、W主演とはいえ、兼貞を活かすための映画だろうし、これはこれで正解なのか? どちらにしろ、俺は全身全霊で演技をするしかない。  その後、再び、ハルトとマリアの逢瀬場面となったので、少し俺は休憩した。

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