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第22話 映画のクライマックスの撮影
ロケには、ワゴン車で向かう事になっていた。これは、今後の宣伝で、撮影の合間の秘話などで映像を使うかららしい。俺と兼貞は同じ車だ。カメラさんも同じだ。なお、撮影自体は、今回がラストシーンの撮影もあって、これで終わりとなる。
車内は暖房が温かい。一番後ろの席に俺と兼貞は並んで座っている。今回は、ひとつ前の席に、宣伝用映像を撮影するカメラマンの、渚 さんと、兼貞のマネージャーの遠寺 さん、助手席に相坂さんが座っている。運転しているのは、別のスタッフさんだ。
「これでラストか」
メンズストールの首元に触れながら、兼貞が呟いた。隣で俺は細く長く吐息する。最後まで気は抜けないし、クライマックスの撮影であるから緊張もある。
「頑張ろうな、絆」
「はい」
真正面には俺の本性を知らない二名がいる為、俺は天使のような笑顔を取り繕った。すると兼貞が小さく吹き出した。
撮影が行われる唯丘市のスキー場は、今は使われていないらしい。イベントや撮影などで整備される以外は、常時は営業されていないそうだ。パンフレットと台本を膝の上にのせていた俺を――その時、兼貞が不意に抱き寄せた。
「っ」
「終わったら俺の家に遊びに来るんだもんな?」
「離……――ご厚意感謝します」
カメラが回っている。思いっきり突き飛ばしかけたが、俺はこらえた。
同時に、動悸が酷くなってきて困った。
ひきつった笑顔で、俺は兼貞を見てから、なんとか兼貞側に傾いてしまっていた体勢を立て直す。
「俺達プライベートでも仲良しだもんな?」
「そのアピール、撮ってもらってどうするつもりですか……?」
「えー?」
兼貞はいつも通りだ。いつも通りすぎて、俺はマイノリティの噂が立つ事に恐怖する。しかし渚さんは楽しそうにカメラを回しているし、首だけで振り返っている遠寺さんは黒縁眼鏡の位置を直しているだけで、不審そうな様子はない。そこにちょっとホッとした。
「否定されなくて嬉しいな」
カメラが回っていなかったら、全力で拒否する! ただ撮られていたら、俺のイメージが壊れるだろうが……!
「兼貞さん」
「いつもの通り呼び捨てで良――」
「あのな!」
ついにこらきれずに俺は天使の上辺を崩した。そして兼貞の手を振り払ってから、口元だけは笑顔を形作ったが、思わず睨んでしまった。
「俺達のプライベートなんて誰も興味がないと思うんですが!」
それから俺は、渚さんを見た。偶発的にカメラ目線になってしまった。
「そんな事ないですよぉ、兼貞君の前でちょっと幼くなる絆くんとか、絆くんの前だといつもより子供っぽくなる兼貞君とか貴重で、ファンは大喜びすると思いますよ! 二人とも、どちらかというと大人っぽいし、年相応に見えるというか」
……。
それってどちらにしろ、俺達の絡みは子供っぽいという事ではないか……!
子供っぽい天使ってどうなんだ?
本当に需要があるのか?
そんなやりとりをしながら、俺達はロケ地脇のホテルに到着した。
今回の部屋は、兼貞とは別々だ。
決戦の地で和解するが、最初は俺が雪原で兼貞を追い詰める場面であるし、他に俺の危機の場面などもある。配られたロケ弁を手に、あてがわれたホテルの部屋に入った俺は、既に全て頭に入っているが、改めて台本を見た。
俺単独の場面においても、台本から逸れても良いのだろうか――という疑問が当初はあったが、他の場面の流れを考える限り、逸れるしか無い。なお、一番最後に兼貞と撮る場面は、吸血シーンだ。兼貞は俺の手首を噛む予定だ。吸血鬼は首から吸うイメージだし、他の事件では首に噛み傷があるが、実際にはどこからでも撮る事が可能な設定らしい。日光に弱いなどの弱点も、今回は出てこない。
「頑張るぞ」
俺は一人気合いを入れなおして、ロケ弁を食べた。到着が遅かったから食事の用意は無いとの事だったので、明日の朝からは普通にホテルのレストランで食べるらしい。
……。
集中しよう。そう思うのに、俺は厚焼き玉子を見ながら、何故なのか兼貞について考えてしまった。兼貞がいない状況で、食らいつくような演技は無理だ。兼貞がいたから、その兼貞に俺は食らいついていたわけであり、今回求められるのは、俺の個性だ。
絶対に負けるわけにはいかない。
これは変わらない決意なのだが……何故なのか過ぎる兼貞の笑顔は優しい。明日は敵対している心境の部分も撮影するのに、切り分けられない。憎き兼貞、憎き兼貞、と、俺は必至で念じるはめになった。
「あいつが優しいのが悪いんだ」
ぶつぶつ呟いた後、俺は早めにシャワーを浴びて、眠る事にした。
翌朝。
指定された時間にレストランへと向かうと、相坂さんの姿があった。
俺の撮影が多いため、俺は他のキャストよりも少し早い時間に食事だ。
兼貞の姿は無い。朝から見なくて気分が良いはずなのに、なんとなく寂しく感じてしまう。って、どうしたんだよ俺は!
目玉焼きとカリカリのベーコン、レタスと卵のサラダを食べつつ、俺は雑念を振り払う事に必死になった。そうしていたら、相坂さんが微笑した。
「緊張? 大丈夫?」
「大丈夫です」
「ええ。KIZUNAならやれるわ! いける! 信じてるからね」
相坂さんの声援に、俺は大きく頷いた。
こうして食後、撮影が始まった。
黒いコート姿で、俺は必死の形相で雪山を進む。膝まである雪をズボズボと無視して、兎に角『憎き兼貞』がいると思しき中腹のロッジを目指して進む場面だ。午後一番で大御所俳優役が到着するので、その前には撮影を終えなければならないと決まっている。
「カット! OK!」
なんとか一発で撮り終わり、ひとまず俺の肩からは力が抜けた。汗だくになってしまったが、冬の風がすぐに体の熱を冷ましてくれる。セリフもなく、ただの身体動作と表情だけの演技というのは、思いのほか大変だった。その後はロッジで待機し、大御所俳優が到着したところで、その撮影に入る。
警察上層部にいた、真の犯人役が、俺を毒牙にかけようとする場面だ。
……上手い。
そういうしかない。この人物は、普段は良い人物役ばかりしているから、驚きの展開(配役)という扱いでもある。なんでも兼貞と事務所が同じだそうで、その縁で兼貞を買っているから、出演してくれたのだそうだ。俺が幼少時からテレビで見て知っていたレジェンドの姿に、最初は気後れしそうになったが、演技に集中してしまうと『対等』という気分になるから不思議だった。挨拶も何度かしたのだが、この方自体が若手である俺の事も決して見下すような事がないからだと思う。
芸能界には、様々な役者さんがいるというのを教えてくれた、最新の俳優さんだといえる。
と、そんな胸中に蓋をして、俺は真犯人を睨みつけた。
セリフの応酬をし、ついに相手が本性を現し、俺に向かって牙を突き立てようとしたその時――颯爽と、兼貞が姿を現し、相手を倒した。ここだけ切り取ったら、戦隊ヒーローものとしても通るのではないかと思える台本の内容だったのだが……そこから始まった二人の演技を見ていたら、ドがつくシリアスホラーにしか見えなくて、俺は震えた。二人とも、上手すぎる。そして俺は普段強気なのに怯えた表情を見せた後、血を飲んでいないせいで一瞬劣勢になった兼貞を助けるべく、銀の銃弾が装填された拳銃で発砲する場面に備えた。
――ダン。
そんな音がして、俺の演技とスタッフの指示に合わせて、大御所俳優が倒れた。
直後兼貞扮する吸血鬼が驚いたように俺を見てから、俺の手首を強く握った。
予定通りである。さすがに大御所の前では台本通りで行くのか?
と、考えていたら、台本にない事が発生した。
兼貞が俺を強く強く抱きしめたのである。
え? 台本では手首を握ったまま、ロッジに移動するはずだぞ? 焦っていると、兼貞がじっと俺を見た。そして、不意に俺の耳元で囁くように台詞を続けた。
「お前に何かあったらと思うと、気が気じゃなかった。俺にとって、お前達兄妹との時間は貴重で――それを壊したのは、俺でもある。俺が、その幸せに浸らなければ……」
台本には、こんな台詞は無い。
「――妹の死は、お前のせいじゃない。お前には、幸せに浸る権利が無いとでも言いたそうだが、自意識過剰だ」
俺は必死で、俺役の刑事が言いそうな言葉を捻りだした。
「妹は帰ってこない。でもな、それはお前が幸せになってはならないという事ではないんだ」
「なら、俺はこれからも、お前のそばにいても良いか?」
「……好きにしろ」
「最初から、お前の血の匂いに惹かれていた。欲しい」
少し掠れた声で続けられて、俺は大混乱した。台本では、妹ロスで血が飲めていなかった設定であり、血の匂いは似ているらしいが、俺の血はそこまで求められていなかった。でも、カットの声がかからない。え。
「お前が欲しいんだ」
今度は力強い声で繰り返された。困った。演技上でも困るが、まるでコウキという役じゃなく、自分に言われている気持ちになるから困ったのだ。自意識過剰は、俺の方だ。が、ここは役になりきっているという事にしよう。俺は、今、ハルト役の兼貞を兼貞として見ていて役者失格だろうが、俺に出来るのは、役になりきる事くらいだ。
「それがお前の救済となるのならば、いくらでも好きにすれば良――」
と、言いかけた直後、ガブリと首に噛みつかれた。え。手首からのはずだろう!?
俺は演技を忘れて、素で目を見開いた。
容赦なく、兼貞は俺の首を噛んでいる。本当に噛んでいる。え? えええ?
大混乱して、俺は咄嗟に右手を持ち上げた。すると手首を再び掴まれ、同時に――馴染みのある感覚が襲ってきた。僅かだが、気を抜かれているのが分かる。今、演技中だぞ!?
「っ」
痛みはない。だが体から力が抜けかけて、俺は思わず倒れそうになった。すると抱きとめられて、より強く噛まれた。長々と俺の首を噛んだ後、完全に俺の体から力が抜けきる寸前で、兼貞が口を離した。
「お前の隣にいる事で、俺は救われる」
ばっちりとカメラ目線になっているのを俺は、ぼんやりと確認した。
「カット!! 良かったよ!!」
最後だけ、台本通りの台詞だった。俺はその言葉を聞いた時、思わず兼貞の頭をポコンとこぶしで叩いた。
「何をするんだよ、離せ!」
「お疲れ、絆」
「台本と違いすぎて焦っただろう!」
「役に入り込んじゃって」
「あのなぁ!」
思わず天使の上辺など忘れて俺が睨んでいると、倒れていた大御所が起き上がって、腹を抱えて笑い出した。
「私も良かったと思うよ。KIZUNAくんのアドリブの台詞にも心を打たれたし、最後の吸血シーンもこちらの方が胸に響く」
「え、あ……有難うございます」
「絆、アドリブ上手いですよね?」
「そうだねぇ。兼貞くんも上手だが――本当に編集作業は大変だろうが、最高の演技だったと思うよ」
こうして無事に、クライマックスの撮影は終わった。
残りはシナリオに微修正が入る事になり、そこに必要となるかもしれない場面を、主に俺と兼貞で撮る事になった。対立していた二人の和解場面がもう少し追加されるとの事だった。
しかし本当にこれで良いのか? 俺には全く分からなかった。
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