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第3話

 ――座敷牢とは、解体されるものだ。しかし、碕寺の裏の旧本尊脇に建築されているその庵は、俺が遊びに来ていた幼少時から、変わらずそこに存在していたものだった。これまで風景の一つだと考えていたその庵に、人が住んでいるとは思ってもいなかった。 「……」  鍵を開けた時生が、戸口に立って、中を見ている。俺はその横から、内部を見た。戸の内側に、もう一つ、鉄格子のはまる扉がある。その先には、黒に近い木製の床、柱、それらで構成された空間は、六畳といったところか。右の奥の木の床が外されている。糞尿を処理するための場所だろう。布団も無い。 「こんな……」  俺は思わず震える声を出した。そこには、白い髪に緋色の目をした少年が、一人裸足で座っていた。少年は退屈そうな顔をしていて、俺の声に気がつくと、緩慢に視線を上げた。それから何を言うでも無く、再び俯いた。彼の視線を追いかければ、漆塗りの食膳がある。  ……ヒヨクによく似ている。  二十代だったヒヨクと目の前の子供では、年齢は違うのだが、どこか顔立ちも似ていたし、何より色素異常である点が、俺の記憶を刺激した。纏う白い和服も同じに見えた。ただ、そこにはガーゼや包帯は無い。代わりに、左の首元の皮膚が、象の肌のように灰色である事を俺は見て取った。怪我の痕に見える。 「何が理由でここに?」 「蛇神様は、俺が知る限り、最初からここに居るが」 「馬鹿を言うな。まだ十にもならないんじゃないのか? まさか色素異常が理由で、生まれた時からここに居ると言うのか?」 「いいや。俺が生まれた時から、蛇神様はここに居る。最初は俺達よりも年嵩の見た目をしていた」 「それは別人なんじゃないのか? 兎に角、こんな場所に押し込めておいたら、人間は生きてはいけない。すぐに解放しろ。あの首の痕はどうしたんだ? まさか折檻したわけでは無いだろうな?」  思わず俺は、時生を糾弾した。すると時生が俺の腕を取り、強く引いた。足が縺れかけた俺は、そのまま外へと連れ出された。目の前で時生が庵の戸に施錠する。南京錠が重々しい音を響かせた。 「時生!」 「廣埜、あれは人間では無い」 「非科学的な事を言うな。外見の差異など――」 「若返る人間が存在するというのか?」 「それは存在しない。だが……」 「折角久しぶりに会ったんだ。元々俺達は話をしようという趣旨でここへ来た。酒と肴を用意させるから、家の中で話そう」  時生はそう述べると、そのまま俺の手を引き歩き始めた。言葉を探しながら、俺はその後に従った。社務所の脇を通り過ぎ、碕寺の母屋に向かう。玄関で靴を脱ぐと、客間に案内された。幼少時と全く変わらない風景に懐かしさを覚えたのは一瞬で、俺は窓からも見える座敷牢の事で頭がいっぱいだった。 「兎に角時生、非人道的すぎる」  給仕をしてくれた手伝いの者が下がってから、俺は猪口に触れた。すると正面で、熱燗の徳利を片手に、時生が片目だけを細める。 「人間だ、同じ。だから、生きる権利はあるはずなんだ」 「では、人間で無かったならば?」 「え?」  時生の声に、思わず俺は聞き返した。だが時生は、手酌をしながら先を続けた。 「仮に、『アレ』が人間だとして、その上で病人だとした場合だが」 「ああ。俺は人間だと確信している。これでも医者だ」 「この村には、現在常駐している医者はいないと話しただろう?」 「それが?」 「もし蛇神様を解放するにしろ、それ以前に……解放して構わないただの病人なのかを確認するにしろ、それが可能な者が誰も村にはいない」 「それは――」 「俺もあの存在が病人だと言うなら、外で介抱すべきだと思うぞ。だがその判断が可能な者は、現状この村にはいない。だから廣埜に会わせたんだ。お前がこの村に戻って、じっくりと診てくれるのならば、安心だからな」  それを耳にして、俺は息を呑んだ。虚を突かれた俺が大きく目を見開いていると、再会した時と同様に時生が柔らかく笑った。 「俺もお前がこの村に戻ってくれたら、何よりも安心だ」 「時生……」 「俺は廣埜に帰ってきて欲しいんだ。俺の寺は兄が継ぐし、俺も別段、庄屋家業を廣埜が継いで村長になれば良いと言いたいわけじゃない。医学が好きなら、その道で良いだろう」 「……、……」 「ただ戦争も始まったばかりで、いくら田舎とは言え、この村にだって何があるかは分からない。だから逆に医者が居てくれた方が有難いと言うのもあるが――俺は国を守る。ひいては村も、お前も」  俺の持つ猪口にゆっくりと熱燗を注いでから、時生が俺の目を見た。 「廣埜は村に居て、村を守ってくれないか? 戦が終わった時、帰る場所が無くなっていたのでは、やりきれないからな」  すぐには答えを導き出せないと、俺は感じた。だが、時生にそのように考えてもらえる事が、嬉しかったのは間違い無い。

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