4 / 9

第4話

 ――結局俺は、節巳村へと戻る事に決めた。家族は喜んでくれたし、小さな診療所を構える許しも得た。 「本当にお人好しだな。ああ言えば、お前は戻ると思ったんだよ、俺は」 「ん?」  この日も碕寺へと向かった俺は、微苦笑してから吹き出した時生を一瞥した。あまりよく聞いていなかった俺が顔を向けると、軽く首を振ってから、時生が鍵を俺に見せた。 「宜しく頼んだぞ」 「言われなくてもな。すぐに人間だと証明してみせるさ」  俺はしっかりと鍵を受け取り、この日から単独で座敷牢に入る事になった。  座敷牢の中には、不思議な匂いが漂っていた。香がある様子は無いが、汚物の臭いも無い。鉄格子のはめられた窓が高い位置にある。まず外の戸を閉め、次に内側の格子戸を開けた。そして中へと入る。時生は仕事へと向かった。 「初めまして」 「……」 「絢戸廣埜と言うんだ。君は?」  俺が尋ねると、座っていた少年が、気怠そうに視線を上げた。 「連理」 「レンリ? どのような字を書くんだ?」  識字の程度を調べる意図での質問だった。どの程度の学があるのか、正確に知りたい。現時点では会話には不自由は無さそうだと、そう判断しながら見守っていると、少年が小首を傾げた。 「比翼連理の連理だよ」 「……なるほど」  ヒヨクと聞いて、俺は幼少時の事を一瞬想起した。 「連理は、親の名前は分かるか?」 「僕に親はいない」  その言葉に苦しくなった。自分の失言を悟った心地になる。レンリの声とも重なった。レンリも親がいないと話していた。 「同情する必要は無いよ。寂しくは無いからね」 「寂しさに慣れる事は、良い事ではないと俺は思う」 「絢戸は優しいんだね」  大人びた事を言う連理に苦笑してから、俺は持参した柿を見た。 「食べながら話そう」 「うん」  俺は連理のそばで膝をつき、柿を剥きつつ続けた。 「いつからここに?」 「天保の頃かな」 「江戸だと? こら、大人を揶揄うものじゃない」 「信じないのは勝手だよ。その前は、別の座敷牢に居たんだ。寺の前は庄屋の家で、そこも『絢戸』だった。ああ、村長の家だった事もあったかな」 「……」 「僕の事を大層嫌っていて、寺に押しつけたんだよ。特に君の妹が、僕を嫌いみたいだ」 「どうして俺に妹がいると?」 「見れば分かるよ。僕は、蛇神だからね。特に節巳の血に纏わる事象と輪廻は、僕の専門だ」  なるほど――確かにこれは、精神病を患っているのだろう。自分を神だと思い込むのは、特に多い症例だ。外見だけが理由では無く、精神疾患も併せて、座敷牢へと入れられたのだろうか。 「そうだった。あの時も、僕が君を喰ったから、君の今の妹が怒って、今の碕寺の次男も怒って、僕をここに閉じ込めたんだったなぁ。ああ、懐かしい」  妄言に付き合うべきでは無いから、俺は柿を皿にのせて差し出しながら、静かに頷いておいた。そしてひとしきり懐かしそうな顔で語っている連理を見てから、改めて診察をする事に決める。 「連理、君は何歳だ?」 「さぁ? 気付いた時には、生じていたから」 「数えで十二、実際には十歳前後だろう?」 「それは外見の話だよね?」 「人の外見は、年齢で変化するからな。どんどん大きく育つんだ」 「人は、ね」 「連理、君は人間だ。それは、分かるか?」 「ううん、僕は人間では無いよ。絢戸こそ、理解出来ていないんだよ」  この日、俺達の話は平行線を辿ったが、精神病の者との対話というのは、こういった形式となる事も珍しくは無い。耳を傾ける事、そして投薬、それらが肝要だ。  このようにして、俺の新たなる村での日々が始まった。

ともだちにシェアしよう!