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第13話 昼食
馬車で到着したツァイアー公爵家にて、俺は玄関で家令や執事、侍女・侍従に出迎えられた。何度か訪れた事があるので、顔を知っている者もいた。
特に家令のケイザスという初老の人物は、幼少時からいたので、よく知っている。小さい頃、俺に毒見をしてからではあるが、ひっそりと飴玉をくれた事がある。少々お茶目な人物だ。
逆に執事の方は、違う人間になっていた。
「こちらが当家の執事で、レクトスだ」
「お初にお目にかかります、クラウス第一王子殿下」
二十代後半くらいに見える。執事としては若いと言える。ケイザスはリュゼル叔父上について今後この邸宅を出る可能性が高いし、このレクトスという青年は、爵位を継ぐシュトルフ直属の人間なのだろうなという印象を受けた。
「世話になる」
断罪回避が成功した場合、俺は続いて円満な家庭生活をどうにかして手に入れなければならないため、心象は悪くしたくない。だから俺は王族らしい微笑を浮かべた。するとレクトスが改めて頭を下げた。
「お食事の用意は整っております」
ケイザスがそこに穏やかな声をかけた。シュトルフを見ると、頷いてからあちらも俺を見た。きっと先に伝令で知らせていたのだろう。俺達はそのまま、ツァイアー公爵家のダイニングへと案内された。
白いテーブルクロスがかけられた席には、二人分の皿の用意しかない。俺はそこで、ふと思い出した。
「クリスティーナは?」
あちらも卒業し、今は休みのはずだ。てっきり俺は、クリスティーナもこの邸宅にいるのだと思っていた。玄関で姿が見えなかったのも、すぐに食事の席で会うからだと思っていた。
「ダイク第二王子殿下のお誘いで、魔法植物園に出かけている」
「なるほど」
ダイクは積極的だ。あちらはあちらで上手くいっているのだろうと判断し、俺は何度か頷いた。話が落ち着いた時、使用人が歩み寄ってきて、俺とシュトルフそれぞれのグラスに食前酒を注いだ。
この国では、十八歳で成人する。なお、他国とは異なり、飲酒についての年齢制限は無い。ただ貴族の多くは、夜会デビュー後に飲酒を覚える。なお、王立学園では、飲酒は禁止だから、俺は外部の夜会や王宮で嗜む程度にしか飲んだ事が無い。飲み方やマナーは家庭教師に叩き込まれてはいるし、アルコール分解魔術がこもった魔石も常に携帯してはいるが。王族たるもの、酒で失態を犯すような事があってはならないと、俺は教育されてきた。
そこへ皿が運ばれてきた。
海老のスープを見て、俺は漠然と考える。
母上から貰った資料には、シュトルフが『嫌いなもの』として『トマト』が挙げられていた。俺の当初の計画だと、トマト好きのフリをして好感度を下げる予定だったわけであるが、今は逆にシュトルフの好感度を上げた方が良い状況になってきた。つまり俺はもう、トマトについては忘れるべきだろう。俺個人は、トマトが好きでも嫌いでもない。ちなみに好きな食べ物は、昼朱羊だ。俺はラム肉がたまらなく好きだ。
「どうぞお召し上がり下さい。お口に合えば良いのですが」
シュトルフがぼんやりとしていた俺に声をかけてきた。顔を上げると、シュトルフは嘗ての常であるように、どこか冷酷そうな貴族らしい貴族の顔をしていた。
「お招き感謝する」
一方の俺も、現在は王子らしい振る舞いだ。二人きりの食事ではあるが、壁際には何人もの使用人達が控えている。彼らの心象だって俺は下げたくない。
こうして昼食が始まった。
まずはスープから味わう。その後、運ばれてきた前菜も美味で、俺はメインが楽しみになった。王宮の料理長の腕は一級であるが、ツァイアー公爵家のシェフも負けていないと思う。
「どうぞ」
メインが運ばれてくる頃には、俺は料理に集中していた。集中しているのは料理であっても、会話は可能だ。マナーを気遣い食べながらも雑談を忘れないというのは、仕込まれた王族作法である。高位貴族のシュトルフも似たようなものなのか、完璧なマナーで食べつつ、俺にあれやこれやと話を振ってくる。
「という事で、デザイナーを抑えた。ギリギリだった」
「衣装に関してこだわりはない。寧ろ日程を押さえてくれた事、感謝する」
「式場は降嫁の作法に乗っ取り、王宮か旧宮殿となるだろうが、そちらは宰相閣下と相談する事になる」
「分かっている」
「招待客のリストは宰相閣下から過去の例を受け取っているから、後でまとめておく」
「助かる」
そんなやり取りをしながら俺達は食事を進めていった。その内――シュトルフが黙っている事に俺は暫しの間気がつかず、パクパクと食べていた。皿を下げられる段階で、俺はそれに気づいて顔を上げた。
「シュトルフ? どうかしたか?」
「――内輪の友人を招いての小さな披露宴や、そうでなくとも、式自体に招きたい友人の希望は?」
「ん? なんだいきなり」
「いや、その、俺ばかりが進めているからな、ずっと尋ねたかったんだ。俺は二度目の式でもあるから、特に個人的な希望は無いが……クラウス殿下、基本的に一生に一度だ。殿下の悔いがないようにと思ってな」
手馴れた仕草でワイングラスを呷るシュトルフを見て、俺は少しの間考えた。
――一生に一度。
実際には、離婚は法的には可能ではあるが、この国ではあまり貴族間では見かけない。家同士の関係の悪化を防ぐため、愛がなくなったり仮面夫婦になろうとも、婚姻関係は維持するパターンが多い。それも俺のような立場の場合、基本的に離婚は厳しい。俺とシュトルフが離婚したら、王家と公爵家の仲が悪化してしまう。さらには、俺の場合母方のバルテル侯爵家も黙ってはいないだろう。
瞬時にそう考えたが、それ以上に……俺の事を想ってくれている様子のシュトルフに、なんだか申し訳なくなった。
「俺は平気だ。それに、クラウスで良い。何度も言わせるな」
「……」
そこにメインの料理が運ばれてきた。
「あ」
ラム肉のステーキだった。俺の大好物である。思わず頬が緩む。即座に俺は皿に取り掛かった。そして、目を見開いた。
「これは、昼朱羊だ。ザイルファ伯爵領地の直営牧場の子羊肉だろう?」
「よく分かるな。さすがだ」
「俺はこれが大好物なんだ」
「知っている」
「え?」
「嫌いな食べ物はエノキだろう? 好物は、昼朱羊とオールマールレ海老とピーマン」
「!」
その通りである。なお食べるだけであれば、俺はなんでも食べられる。だが内心で、好んで食べないのはエノキだ。そして好きな食べ物はそのままだ。
「まさかシュトルフ、お前俺の事を調べさせたのか?」
「どういう意味だ?」
「どうして俺の好き嫌いを知っているんだ?」
俺は母の資料を見なければ、表情を以前まであまり変えなかったシュトルフの好みなんて分かりっこなかった。ここ数日のシュトルフは赤面したりと顔に出るが、以前はもっと鉄壁の無表情か険しい顔の氷タイプだった。
「好きな相手の事だ。見ていれば分かると何度言わせれば気が済むんだ」
「っ」
「しかし不思議なものだな。クラウス殿下は、俺を好きだそうだが、俺の好き嫌いなどご存知なさそうだ」
勝ったような顔で言われて、俺はムッとした。元来俺は、負けず嫌いである。
「知っているぞ! お前はトマトが嫌いで、朝成鮭が好物だ!」
「な」
するとシュトルフが目を丸くした。驚愕したように俺を見ている。
どうやら母上の資料は当たっていたようだ。
「本当に……俺の事を……少しは見ていてくれたのか?」
「? 今も正面から見ている。今後伴侶となるのだから、俺達は素直に言い合うべきだ」
今度は俺が勝ち誇った顔で言ってやった。言い負かすのは気分が良い。シュトルフはそんな俺を見て瞳を揺らしてから、珍しく微苦笑した。
「正妃様の密偵がいきなり俺を探り始めたから何事かと思ったら……まさか俺の好みをクラウスに教えるためだとはな」
「う」
「図星か。だが、だとしても――調べられる程度には興味をもたれた事が分かって俺は満たされている。きっとクラウスの指示ではないのだろうが、少なくともクラウスがその資料の内容を覚えている事が嬉しいぞ」
「え」
シュトルフは微苦笑したまま肩を揺らして吹き出した。それを見ていたら、俺の胸がギュッとなった。全部シュトルフにはバレているようであるが……それでも良いなんて、こいつ、俺の事を好きすぎないか?
「その上今後は、直接聞かせてくれるのか。そうか。期待している。なんでも希望を述べてくれ。叶えられる範囲で俺は叶え、クラウスを幸せにする用意がある」
そう言って笑ったシュトルフは、無駄に格好良かった。
汗をかきつつ、俺は答える言葉を探したのだが、出てこなかったので、美味しい料理に向き合う事に決めた。
なお、食後紹介されたシェフは、王宮の前料理長経験者であり、リュゼル叔父上に引き抜かれたのだと聞いた。腕が確かな理由が分かった。だが、俺はその時になっても、シュトルフに何を言っていいのか頭が回らなかったのだった。
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