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閑話 秘められない秘め事

一音一音がストンと身体に落ちてきて、波紋のように広がっていく。身体が共鳴して震える。 目を閉じてそこに広がる景色に、僕は黙って耳を傾けた。 夕食後に(しき)の部屋にお邪魔させてもらって、小さな小さな演奏会。ルームメイトだし、その、こ、恋人なんだからいつでも勝手に入ってきていいって言われてはいるんだけど、やっぱりこの部屋は僕にとって気安く入れる場所じゃない。 電子ピアノにキーボード、それによくはわからないけれど音楽の編集のための機械がこの部屋には所狭しと並んでいて、僕は邪魔にならないように色のベッドをお借りして小さくなっている。ここが、僕の指定席。 余韻を残して消えていくピアノの音を、ヘッドホンをぎゅっと押さえて最後まで耳をすませる。 およそ五分の夢みたいな時間。最後の一音が溶けるように消えていき、名残惜しいけどヘッドホンを首にかけ目蓋を開けば、電子ピアノに向かっていた色がこちらを振り返った。 「どうだ?」 問われて僕は先程まで耳から身体中に響いていた旋律を思い起こし、余韻を噛み締める。 「……朝霧の冷えた空気の中に朝日が差し込むみたい。身の引き締まるような鋭い音の中に、朝がくるって希望と明るさがある。……凛とした音なのに温かみを感じる不思議な曲。」 感じたままを素直に伝えたんだけど、色はがくりとその場で肩を落とした。 「いや、そうじゃなくて。」 「え、あ、ご、ごめんなさい。気の利いた感想が言えなくて。あの、その、」 もしかして解釈が間違ってたのかな。言葉、足りなかったかな。とっても素敵な曲で感動したんだけど、どうしたら伝わるんだろう。 上手く言葉が出てこなくて口をぱくぱく動かすしかできない僕に、色は落ち着けと笑った。 「あのなぁ、……美鳥(みどり)さん?」 「は、はいっ、」 「俺、今一応仕事中なんですけど。」 言葉の意味がわからず首を傾げれば、色はまたがっくりと肩を落とした。 「……次のステージの曲、こちらでいかがでしょうかね。」 「あ。」 そう、だった。すっかり忘れて聴き入ってしまってた。 ようやく僕はこの部屋に来た目的を思い出し、色に…じゃなくて、sikiに頭を下げた。 「ご、ごごごめんなさいっ、」 確か前回も同じ事をして笑われてしまったはず。僕はどうしてこうsikiの曲となると我を忘れちゃうんだろう。 しゅんとした僕に、色はやっぱり笑った。 「今回は『和』をテーマにしたいって言うから、前に緑茶のCM用にワンフレーズだけ作ってた曲をきちんと作り直してみたんだけど、」 「……うん。この曲がいい。」 目を閉じて想像してみる。 この曲を、どう表現しようか。考えるだけでわくわくして胸が高鳴る。 もう既に構成を考え始めている自分がいて、僕の頭の中はこの曲でいっぱいになってしまっていた。 うん、この曲がいい。 お願いしますと頭を下げれば、色はわかったと電子ピアノの前から立ち上がって部屋の奥のデスクに向かう。 パソコン画面を見つめながら色が何度かカチカチとマウスをクリックすれば、パソコン本体が音を立て始めた。 「今の録音CDに焼いとくから。週末レコーディングするまで仮で使ってろ。」 「う、うん。」 毎回思う、なんて贅沢なんだろう。あのsikiが僕の演技のために曲を提供してくれている。sikiにとってもいい宣伝になるからと言ってもらってはいるけど、僕は本当にお役に立てているんだろうか。 音に負けない演技を。そう思っていても、僕はいまだに胸を張れそうにない。こんな事言ったら色に怒られちゃいそうだけど。 だって櫻井色(さくらいしき)は、僕の神様だから。 待つこと数分、色はパソコンから出てきた一枚のCDにタイトルを書き込みケースに入れてくれた。 差し出されたそれにありがとうと頭を下げて受け取ろうとしたんだけど、僕の手がケースに触れるより早く色がケースを素早く引いて、僕の手は空を掴んだ。 「え?」 にやり、色が意地悪に笑う。 「デモの音源作ったし、俺の仕事は終わったわけだけど……飛鳥(あすか)の今夜と明日のご予定は?」 耳元に顔を寄せられ低い声で問われれば、ぞくりと背筋が痺れた。 「あ、あの……明日は、その、朝のトレーニングはお休みして、演技構成を考えるつもり……だけど、」 色は手にしていたCDをベッドのヘッドボードに置き、僕の隣に腰を下ろした。 さっきまで鍵盤を滑って音楽を生み出していたその指が、僕の髪を撫ぜる。 「……で、今夜のご予定は?」 横髪をかきあげ耳の後ろをするりと撫ぜた指は、僕の頬に。 恥ずかしくて伏せていた僕の顔がほんの少しだけ上に向けられたと思った時には、唇に熱が落とされていた。 重なる唇は直ぐに離れていって、その口元には笑みが浮かぶ。 「あ、あの、ちょっと、」 僕の言葉は最後まで紡がせてもらえなかった。 気がついた時には僕の視界には寮の天井と、僕を見下ろす熱を灯した瞳が広がっていて。真っ直ぐな視線に射抜かれて心臓がぎゅっと切なくなる。 「あの、今は、駄目…」 「今日のシャワーはいつもより長かった気がするけど?」 「っ!?……そ、れは…」 どうしよう、ちゃんと色に伝えないといけないのに、見つめられると息すら上手く出来なくなっていく。 「あの、触れて欲しい…けど、今は…、んっ」 唇にまた熱が灯る。 今度は僕の唇をこじ開けて、口内まで熱が侵入してきた。舌を絡め取られて、色の熱と混ざりあって溶けていく。 キスがこんなに気持ちいいものだって、この人に触れられるまで知らなかったのに。一度知ってしまった身体は、この先が欲しいとじんわりと身体中に熱を灯す。 「ぁ、……」 僕の身体を離れていく熱を、思わずもの欲しげに見つめてしまった。 ……何か、伝えなきゃいけなかったはず、なんだけど。 「いいよな?」 熱を孕んだ声が耳元に響く。 何だっけ、何か大切な事。 ああ、でも、欲しい。 火照ってぼんやりとした頭では何も考えられなくて、僕は色に手を伸ばしたのだけれど、 ガンガンガンッ 答えは、扉の向こうから聞こえてきた。 乱暴にノックされる扉の向こうで木崎先生の声がする。 『おい、点呼だからな、開けるからな!』 いいか、あけるぞ、と再三繰り返され、僕と色は顔を見合せ我に返った。 そうだ、点呼……まだ終わってないって伝えたかったんだ。 「ちょ、ちょっと待て!開けんな!」 『そういう返しはいらねぇんだよ!点呼くらい待てねぇのかお前らは!!』 先生の声はちょっと泣きそうだった。 先生はその、僕と色との事は知っていて。つまりはその、僕達が直ぐに部屋の外に出られない理由もわかっているわけで。 「あの、ちょっと今すぐは……その、お、おさまるまで待ってほしい、です……」 『だから、そういう生々しい返しはいらねぇんだよ!!』 涙声で叫ぶ先生にどうしてあげることも出来ず、僕と色は数分後ようやく顔を合わせた木崎先生に思いっきり怒られてしまったのだった。

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