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第6話
ふぁ、と漏れた欠伸と共にぐーっと腕を伸ばす。
職員棟の屋上、いつも三人でいつものようにお昼ご飯。ただ少し違っていたのは今日が修了式だった事。
学校は既に終わって春休みに突入したんだけど、寮では昼食が出ないのでほとんどの生徒が校内に残っていつも通り昼食にありついている。
その話題は成績表と春休みの予定だろう。
「二人はさ、実家に帰らなくていいの?」
お気に入りのメロンパンを頬張りながら僕も例に漏れず聞いてみたんだけど、二人の反応は何とも曖昧なものだった。
「あー、親父が海外公演だとか言ってたから多分家帰っても誰もいないな。レコーディングの帰りに顔出すくらいはするだろうけど。まぁ、な。」
「うーん、帰っちゃうとその分練習出来なくなっちゃうから、ね。」
……まさかとは思うけど、春休みのわずかな間でも離れたくないとかそんな理由じゃないよね。
疑いの眼差しを二人に向ければ、無言でそらされる視線。もうツッコミを入れるのも馬鹿らしくて、僕は視線をメロンパンへと戻した。
「あ、あの、晃 は御実家に帰らないの?」
苦し紛れか社交辞令か。僕に投げられた質問に、一瞬きょとんとしてしまった。
「あれ?……そっか、知らなかったっけ。」
一緒にいすぎて何でも話した気になっていたけど、そう言えば飛鳥に家の話をした事がなかったという事実にようやく気がついた。
「僕のとこ、両親離婚して父子家庭なんだけどさ、父さん外資系の企業のまぁそこそこ偉い人で、日々世界中飛び回ってんのよ。だから住むところもウィークリーで借りてるから……今どこだろ。この間シンガポールから戻ってきたみたいな話は聞いたけど。」
僕の両親が離婚したのは僕が中学二年生の時だった。中学を卒業する一年半の間は僕の為に都内のアパートを借りてくれてはいたけど、僕がこうして全寮制の高校に入学してからは下手すると数日で住居が変わってしまうのでメールのやり取りくらいしかしていない。
「大変なお仕事なんだね。」
「本人は今の会社に入るのが夢だったらしくて、好きでやってるみたいだよ。」
だからこそ、邪魔な僕はお荷物にならないように家を出て、なるべく会わないようにしてる。……なんて、純粋でお人好しな飛鳥の前では口が裂けても言えないけど。
「色 や飛鳥 だって今のまま音楽とスケートをやっていくなら地方や海外を飛び回ることになるんじゃない?」
代わりに口をついて出た言葉に、色と飛鳥は互いに一瞬顔を見合せ表情を曇らせた。
「……だろうな。落ち着いていられるのもあと一年だけだ。」
それは春の陽気に合わず、ずっしりと重く響いた。
ああ、そうか。二人はわかってるのか。
あと一年。この学校を卒業したら気軽に会うことすら難しくなるだろうって事。
そっか。だから、休みの間もできる限り一緒にいようとしてるのか。
口には出さないけど、二人はもう覚悟を決めてるんだ。
「……一応聞くけどさ、二人とも卒業したら別れるなんて選択肢は、」
「「絶対ない」」
顔色を変えて即答した互いの言葉にそれぞれ驚いて、二人は顔を見合せ照れ笑い。ほんのり赤く染った顔で互いを見つめるその視線には、愛しさが溢れ出てる。
漂う空気はちょっと胸焼けしそうだった。
あー、僕は邪魔ですね。はい。
メロンパンの最後の一欠片を口の中に放り込んで、僕は制服のポケットに入れていたスマホを取り出した。
まだまだ寮に帰るには早すぎる時間だし、かといってどこかに出かける気にもなれないし。
邪魔者は退散しなきゃと思うのに、なんでだろう、一人にもなりたくない。
「……食後のカフェオレでも飲みに行こうかな。」
なんとなく、くせっ毛をかき乱しながらデスクに向かう横顔がふと浮かんで僕はゴミをまとめてその場に立ちあがった。
そろそろ雪崩を起こしそうになっていた参考書や書類の山達を片付けてやらないといけないし、色と飛鳥の思い出作りのためにスケート部の合宿の提案とかしてもいいかもしれない。
最もらしい理由を並べて、自分自身の行動を正当化して。僕は二人の前から退散しようとしたのだけれど、
「え、」
突然手にしていたスマホが振動して僕は反射的に画面を確認した。
メッセージアプリからの音声通話の着信。そこに表示されていた名前は、今まさに脳裏に浮かんでいたその人だった。
部活等の連絡用にと僕が半強制的にアドレスを聞き出して何度かメッセージのやり取りはした事があるけど、こんな事初めてだ。
無意識のうちに息を飲んでから、通話のアイコンをタップする。
「……もしもし。どうしたの?」
『藍原!お前今どこにいる!』
「へ?えっと、職員棟の屋上…」
『いいか、そこ動くな!』
要件も分からないまま一方的に通話が終了される。
焦りを隠そうともしない声。あの人がこんなにも動揺してた事、今まであったっけ。
「晃?どうした?」
「わかんない。木崎 せ…」
何があったのか考えるより早く、バンッと屋上の扉が勢いよく開かれる。
全力で走ってきたんだろう。思いっきり肩を上下させ荒い息を繰り返す先生に、色も飛鳥も僕もただ事ではないと身構える。
「な、なに。どうしたの?」
酸素を取り込むのが精一杯の先生から返事は返ってこない。
ただじ、っと僕を見つめ真っ直ぐ歩み寄ってきた先生は、呼吸が整わず言葉もないままに、いきなり僕を抱きしめた。
「え、」
無骨な手が僕の後頭部と背中に回され、僕は先生の胸に顔を埋める。
耳元で聞こえる荒い息遣い。心臓が、ドキリと音を立てた。
「な、なに、」
「……いいか、落ち着いて聞け。」
頭が追いつかない。
ありえない速さで心拍を刻む自らの心音を聞きながら、同じように早鐘を打つ心音を木崎先生の温もりを感じながら、それでも背筋をぞくりと何か嫌なものがよぎる。
よくない事だ。
働かない頭でも、それだけは理解できた。
「今、都内の病院から連絡があった。……駅のホームで心臓発作を起こして救急搬送されてきた遺体の所持品に、お前の親父さんの保険証が入ってたと。」
「、」
ぎゅっと、僕を抱きしめる手に力が込められる。
「……遺体の、身元の確認をして欲しいそうだ。」
視界が、真っ暗になった。
理解出来るはずの単語が頭の中をすり抜けていって、耳元で聞こえていたはずの声も、動揺する色と飛鳥の声も、ここじゃないどこか遠くの世界からの音に聞こえる。
真っ黒く塗りつぶされた世界の中で、僕を強く抱きしめる温もりだけがそこに確かに存在していた。
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