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第7話
正直、屋上で話を聞いてからの記憶は曖昧だった。
木崎先生が車を出してくれて、ついた先の病院で僕はカーテンを締め切った狭い部屋に案内されて。
そこで眠っていた人を見て、父さんって僕が呟いた瞬間、周りの大人たちは慌ただしく動き始めた。
僕は入れ代わり立ち代わり僕に話しかけてきた大人達の言葉に答えて、沢山の用紙に記入をして、お気遣いありがとうございますって定型文を呟いて。
何も考えられないまま、目まぐるしく変わっていく世界を他人事のように眺めていた。
何時間そうしていたのかわからないけど、病院に父さんの姉である伯母さんが駆け込んできて、もう大丈夫よって抱きしめてくれて。
そうして僕は今、寮に戻る先生の車に揺られている。
印鑑とか、他にも必要なものがあって、一度帰ってゆっくりしておいでって伯母さんに言われたから。
色んな事がありすぎて、全く現実味がない。窓を通り過ぎていく景色は、まるでテレビでも見てるみたいにフィルターのかかった別世界だった。
ただ常に隣にいてくれた先生の存在が、僕を現実逃避させることなく引き止めてくれている。
実感はまだわかないけど、でもこれはドラマでも何でもなく現実なんだなって。ぼんやりとした頭でそれだけは理解していた。
「……帰ったら少し部屋で休んでろ。必要なものは俺が揃えとくから。」
言葉が上手く出てこない。
なんて言っていいのかわからなくて運転するその横顔を見れば、ちらりと視線がぶつかった。
深い悲しみに満ちた瞳が、僕を映している。
「……ごめん。」
ようやく口から出た声は、小さく震えていた。
それでも、木崎先生はそれには気付かないふりをして、運転しながらいつもみたいに僕の頭に手を伸ばして雑に髪を一撫ぜした。
「……謝るな。こんな時まで他人に気を使わなくていい。」
視線は前を向いたまま、けれどその言葉は真っ直ぐ僕の胸に落ちてきた。
「話したい事だけ話して、泣きたい時に泣け。」
「……うん。」
ぼんやりと窓の外を眺める。
流れていく景色は、やっぱりどこか現実味がなかった。
いい天気だ。
川沿いの道に植えられた桜が花開いて、そろそろ満開になろうとしている。
人一人死んだって、世界は何も変わらず、綺麗なままだ。
「……今は何も考えなくていい。そのうちちゃんと現実を受け入れられるし、悲しみも湧いてくる。今は無理して笑う事も悲観する事もしなくていい。」
大きな手が、また僕の頭を雑に撫ぜる。
僕は何も返せないまま、ぼんやりと無感情に外の景色を眺める事しかできなかったけど、先生はそれ以上何も言わず、何も聞かず、ただ黙ってハンドルを握っていた。
…………ごめんなさい。
脳裏に浮かんだ六文字。今のは口にしていだろうか、それとも僕の心の中だけの声だっただろうか。
先生は何の反応も返さないからわからなかったけど、空っぽの頭に浮かんだ言葉は僕の中から消えてくれなかった。
仕事一筋で子供が苦手だった父さん。それでも、愛する人の望みを叶えたくて、僕が産まれて。でも、そのせいで愛する人と離れる事になって。
もう少しだったのに。
僕が消えれば、もしかしたら父さんはまた愛する人とやり直せたかもしれなかったのに。
なんで父さんだったの?
なんで、なんで、
――僕じゃなかったの?
胸にあふれてきた思いは、けれど誰にも言えないものだってわかってたから。
瞳を閉じて、蓋をして。
そうして僕はまた窓の外、フィルター越しに綺麗な世界をぼんやりと眺め続けた。
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