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第8話

葬儀社の手配にお寺への連絡、打ち合わせ、供花の確認に納棺の義、父さんが亡くなったって事実を深く考える時間もないまま、伯母達の助けを借りなつつ通夜は滞りなく終わった。 あとは明日喪主として葬儀と初七日をこなして、落ち着いてから遺品整理をすればいい。 ようは生徒会長としていつもやっている通り、代表として決められた事をやるだけだ。 集まってくれた親戚にお礼を言って棺守りは僕一人で大丈夫だからと皆には帰ってもらった。 無理しなくてもいい。交代で残るからと言ってもらったけど、今日の帳簿の確認に明日の葬儀の準備等やる事はまだあったし、安らかに眠る父さんを前に、今日は眠れる気なんてしなかったから。 それに、有難いことに僕は一人じゃなかった。 「ほら、お前ら少しでも腹に入れとけ。」 葬儀場の片隅にある親族控え室。畳敷きの6畳間に座卓が置いてあるだけのシンプルな部屋。親戚達は明日の葬儀を前に一度自宅へと戻って行ったため、本来ならここには朝まで僕一人のはずだったんだけど、当たり前のように居残ってくれた3人のおかげでこの部屋は昼間より賑やかだった。 先生の買ってきてくれたコンビニ弁当を広げる光景はさながら遠足みたいだ。 「こういう時って肉とか食ってよかったっけ?」 「今はそこまでこだわらねぇのが一般的だな。しきたりだなんだより、身体壊さないのが一番だ。食える時食っとけ。」 「ありがとうございます。」 僕と同じく彩華高校の茶色いブレザーに身を包んだ色と飛鳥。そして喪服を着た木崎先生は、日中は親族達に遠慮して会場の隅で、だけどずっとずっと離れることなくここにいてくれた。 親戚が帰った今もこうして当たり前のようにここに残って僕のそばにいてくれている。 「ほら、お前も何でもいいから食っとけ。」 頭上から目の前にコンビニの袋が降りてきて、僕はそれを受け取り座卓に置いて中身を確認する。 プリンにメロンパンにフルーツ牛乳。最近ハマってよく食べていた物ばかりが入っていて、思わず笑ってしまった。 「……ありがと。」 くしゃりと僕の頭をひとなでしてから、先生は僕の隣に腰をおろす。 「弁当もあるから食えるなら食って、少しでも睡眠とっとけ。先はまだ長いぞ。」 「うん。わかってはいるんだけどね。」 食欲もなければ眠気もない。 自分の身体が自分のものじゃないみたいな不思議な感覚。ろくに食べることも無く、感情を出すでもなく。今の僕は親戚や皆の前でかろうじて笑ってるだけのロボットみたいだった。 色も飛鳥も心配してくれるのはわかってるのに、どうしてもいつもみたいにできない。 「……俺も実感わいて悲しいだとか感情出てきたのは葬儀が終わってからだったな。」 ぽつりと隣から漏れてきた言葉は聞き流すには少し重くて。思わず顔を上げてその横顔を注視してしまった。 色も飛鳥も動きを止めて、同じように木崎先生に視線を送る。 独り言のつもりだったんだろう、僕達の視線を受けて先生は気まずそうにくせっ毛を髪をかき乱した。 「……大学の時の話だよ。講義の最中に警察から連絡がきてな。交通事故で両親ともいっぺんに。って、今する話じゃなかったな。悪い。」 先生は誤魔化すようにまた僕の頭に手を伸ばして、髪を一撫ぜする。 「とにかく、昨日まで生きてた人間が突然居なくなるなんて簡単に受け入れられるもんじゃないさ。全部終わってからゆっくり考えてやれ。」 「……うん。そうする。」 人一人死んだって世界は回る。回る世界の中で僕は一人取り残されてしまったような気がしていたけど。 ちらりと、コンビニ弁当を開封するその横顔を盗み見る。 一年生の時から担任で幾度となく僕の我儘で振り回してきたこの人に、暗い過去があるなんて知らなかった。全然気づけなかった。 そうだよね、皆表に出さないだけで、僕と同じような境遇の人なんてそれこそ星の数ほどいるのかもしれないんだ。 僕は目の前のコンビニ袋からプリンを取り出して封を開ける。 久々にまともに口にしたその味は、いつもよりちょっとだけ甘い気がした。 「食えるだけ食ったら隣行け。眠れなくても暗い部屋で横になるだけで違うから。」 襖一枚挟んだ隣の部屋には遺族が何時でも仮眠をとれるようにと布団が置かれている。 本当なら僕じゃなくて皆に休んでほしいんだけど、お人好しなこの人達は多分僕が休むまで自分達も寝ないって言うんだろう。 「わかったよ。」 小さく頷けば、僕に向けられていた三人分の視線が柔らかさを増した気がした。 むず痒さを感じながら、僕は無言でプリンを口に運ぶ。 自分自身の事なんてどうでもいいのに。そんな僕を大事に思ってくれる人達がいる。 しっかりしなくちゃ。少しでも食べて、少しでも休んで。この人達のために、僕は自分を大事にしなきゃ。 「みんな、お茶でも入れよっか。」 食欲がないながらもプリンを何とか完食して、僕は少しでもこの人達に何か返そうと腰を上げたのだけれど、 『この先はご親族様以外立ち入り禁止です!』 外から聞こえてきた声に立ち上がりかけた身体が止まった。 「?、なんだろ。」 遠くで葬儀場のスタッフらしき人の声が聞こえる。そろそろ深夜と呼ばれる時間になろうとしているこの時に、静まり返った葬儀場の中ではその慌てた声は遠くからでもはっきり聞こえた。 『ですから困ります!』 『――あら。でしたら私だって親族ですわ。あの人は私の夫ですから。』 聞き覚えのある声に、僕の身体は一瞬にして凍りついた。 うそ。 なんで、どうして。 どうしてここにあの人が、 「藍原?」 ざ、と瞬時に血の気が引いていく。 頭が真っ白になった。 『母親が息子に会いに来て何がおかしいんです?通してくださいな。』 『ですが、そのような話は聞いておりませんので、』 ドクンと心臓が跳ねる。 ガタガタと震え始めた身体を、僕は自らを抱きしめるように必死に押さえ込んだ。 「晃、どうしたの?」 明らかに様子のおかしい僕に皆が動揺しているのはわかっていたけど、もうどうにもできなかった。 震えがおさまらない。急激に血の気の引いた身体は、極寒の中に放り込まれたようにカチカチと奥歯が音を立てはじめる。 「藍原、おい、藍原っ!」 思いっきり肩を揺すられてるのはわかるのに、僕の視界は像を結んでくれない。先生の声が遠くに聞こえる。 駄目。 嫌だ。 もう、思い出したくないのに、 『晃ちゃん、いるんでしょ?』 遠くから聞こえた声がガンガンと頭に響く。 あの日の光景が、ヒステリックな声が、痛みが、蘇ってくる。 耳を押え、目を閉じて、振り払おうとしても、消えない。消えない。消えてくれない。 嫌だ。怖い。誰か、誰か、 ――父さん、 「……飛鳥、晃連れて隣の部屋行ってろ。」 混乱と恐怖と動揺がひしめく室内に、色の声が響いた。 「え、あの、」 「いいか、部屋の電気消して、布団かぶって寝たふりしてろ。絶対にこっちに出てくるな。」 「あの、でも…」 「いいから行け!」 有無を言わさぬ剣幕に、飛鳥は弾かれたように立ち上がり僕の腕を掴んだ。 そのまま強い力で隣の部屋へと引きずり込まれる。 硬直した身体は畳に投げ出され、勢いよく襖が閉められる。 暗闇の中で、飛鳥の腕がぎゅっとぼくの身を助け起こし抱き寄せてきた。 「おい、櫻井、」 「いいから、話合わせろ。」 襖の向こうで困惑する先生と色の声が、耳元で飛鳥の早鐘を打つ心音が聞こえる。 誰もが正確に現状を理解できないまま、廊下の向こうから聞こえていた声はどんどん近づいてきていた。 「失礼します、晃ちゃん入るわよ。」 聞こえる声、襖の開く音。 その距離の近さに、僕の身体は条件反射のように大きく跳ねる。 先の見えない不安と絶対的な恐怖を前に、僕達は誰からともなく息を飲んだ。

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