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閑話 マネージャーは見た!

「……あれ?」 一瞬、我が目を疑った。 休日に近所のショッピングモールに買い物へ。それ自体はいつもの事で、いつものようにお気に入りのお店で服を見てから食料品を買い求めにモールの一番奥にある生鮮食品のコーナーへ向かっていたのだけれど、ふと見知った後ろ姿を二人分発見してしまってカートを押していた足はピタリと止まった。 いや、まさか。だってここは彼らの生活する土地からは離れている。それでも一瞬見えたあの長身のくせっ毛と、小柄な黒髪は多分。 もしそうだとすればsikiがお世話になっていますとマネージャーとして一言ご挨拶と、小柄な少年には色さんから話は聞きましたとお悔やみの言葉を伝えるべきなのだけれど。 一瞬見えた後ろ姿に自信が持てずに、とりあえずきちんとお姿を拝見してからだなと二人の近くに歩み寄った。 『ねぇ、今日何食べたい?好きなの作ってあげる。』 聞こえた声に、声をかけようと伸ばした手は固まってしまった。 『んな事急に言われても、』 『今のうち好き嫌い言っとかないと毎回トマト入れちゃうよぉ?』 『……お前なぁ。』 声をかけるどころか身体は咄嗟に逃げるように動いて陳列棚に身を隠す。一瞬頭が真っ白になった。 あの声は。でも、いや、今の話の内容は。え?え?どういう事?? 念の為かけていた黒縁の眼鏡を外し、ハンカチでレンズを磨いてかけ直してみたけれど、やはりあの後ろ姿は間違いなく木崎(きざき)先生と藍原(あいはら)さんだ。 色さんと仕事の打ち合わせをするのに何度か校内にお邪魔した事があるし、お世話になっているお礼にと月に一度行われている美鳥(みどり)さんのアイスショーは、フィギュアスケートファンとしても微力ながらお手伝いさせていただいてる。何度も目にしたその姿を見間違えるはずがない。 けれど、二人で大きな買い物カートを押しながら食品を買い求めるその姿と聞こえてきた会話は、ありえないというか、いけないものを見てしまったのではと不安と罪悪感に駆られてしまった。 どうしたものかと、とりあえずそっと距離をとりながら二人の様子を伺う。 棚の隙間から覗き込む姿は傍から見れば怪しいことこの上ないものだろうけど、色さんのマネージャーとしてお世話になっている二人に声をかけないわけにもいかないし、かといって声をかけていい状況じゃない気もするし。 周りの視線がチラチラと突き刺さる中、どうしたものかと覗き見しながら頭を抱えるしかなかった。 『いくら春休みだからってそう何度も買い出し来れないんだから、買い忘れないようにしなきゃ。』 『へいへい。』 スマートフォンの画面を確認しながらあれもこれもとテキパキと木崎先生の押す大型カートに入れていく藍原さん。後ろからついていく先生の顔には疲労が色濃く浮かんでいる。 「あ。……合宿。」 ようやく至った回答に、思わず自らの手をぽんと叩く。 学生さん達は春休みという長期休暇の真っ最中。先生と生徒が私服で遠くのショッピングモールに買い出しに来ていたって、何らおかしい事はないじゃないか。 そうか、そうか。そういう事か。 ほんの一瞬でもありえない想像をしてしまった事に、馬鹿だなぁと自分自身でツッコミを入れて。隠れる必要なんてどこにもないじゃないかと改めて声をかけようとしたのだけれど。 突然ズボンのポケットが振動して、伸ばしかけていた手はお二人にではなくポケットの中で着信を知らせるスマホへとのびた。 「(しき)さん、」 画面に表示されていた名前を確認して 急いで通話のアイコンをタップする。見えていないとわかっていても背筋を伸ばし居住まいを正してしまうのは、染み付いた愛社精神というか、癖みたいなものだった。 「もしもし、」 『もしもし、休みのところごめん。今大丈夫?』 電話の相手は自分がマネージャーを務める会社の看板アーティスト。けれどその正体は世間には公表されていない。一応周りを見渡して、誰しもが気にもとめずに買い物に勤しむ姿を確認してから大丈夫である事を伝えた。 一つ隣の通路の陳列棚では木崎先生と藍原さんが何やら真剣に調味料を選んでいるようだが、今はこの電話が最優先だ。 「何かありましたか?」 『いや、結局この間録音出来なかっただろ?その時に少し話してた事、やっぱり何とか出来ないかと思って。』 無理言ってごめんと申し訳なさそうに聞こえてきた声に、問題ないですよと即答した。 「既に業者も選定して、ある程度の話は進めてあります。近いうち、お話にお伺いしようと思っていた所でした。」 『マジか。あ、じゃあ明日とか大丈夫?』 「はい。だいじ…」 なるべく早く話をまとめて練習に入りたいという要望に、記憶していたスケジュールを思い起こして時間を伝えようとしたのだけれど。 ふと、視界の隅に映った二人分の後姿に、言いかけた言葉を飲み込む。 「…………あの、今って合宿中だったりするのでは?」 代わりに口をついてでた疑問に、電話の向こうからはぁ?と訝しげな声が聞こえた。 『合宿なんてしてないし、予定もないけど?』 「え。」 ちょっと、まって。部活の買い出しじゃない……? いつの間にかお二人は棚を挟んだ向こう側、僕の目の前まできていて、思わずごくりと息を飲む。 『これで最後かな。』 『……風呂上がりのアイス、いるんじゃねぇの?』 『えー、いいよ。』 『俺もビール買うし。部活や授業じゃあるまいし、一緒に暮らすのに互いに遠慮は無しだろ。』 棚越しに、僕の目の前で。 聞こえてきた言葉に、僕の身体は一瞬にして凍りついた。 『……総士(そうし)さんさ、さすがに僕を甘やかしすぎじゃない?もう色々買ってもらってるし。』 『お前はもっと我儘言うくらいでちょうどいいんだよ。ほら、誰かに見つかる前に行くぞ。』 はーい、と元気な声と共に遠ざかっていく後ろ姿を目で追うことすらできなかった。ありえない出来事にショートした思考回路は身体に指示を出す事を完全に放棄していて。電話片手に瞬き一つ自由にする事が出来なかった。 『…いさん?おーい、(すい)さーん。』 耳元で聞こえる声に、助けを求めるように口元がわななく。 「……色さん、」 『どうした?』 「あの、……人目を避けるように仲睦まじく休日に一緒に買い物して、一緒に暮らしてるって、……これどういう関係なんですかね。」 『はぁ?』 漏れた声は、自分でも情けないくらい震えていた。 答えが、わからない。 でも何か、大変な物を見てしまった気がして、背筋を冷たい汗が伝う。 『なに、誰か結婚でもしたの?』 「っ、」 耳元から聞こえてきた回答に僕の思考の電源は完全にオフになって、握りしめていたはずのスマホはするりと手から滑り落ちた。

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