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第18話
今、なんの話しをしてたっけ?
三者面談をいかにして断るか。どうやってあの人を遠ざけるか。大事な、大事な話を四人でしていたはずなんだけど……
「え、どういう事?」
聞こえてきた言葉の意味がさっぱり理解できなくて発言者を注視すれば、木崎 先生はあー、っとくせっ毛を思いっきり雑に掻き乱した。
「だから、戸籍なんざ成人しちまえばどうとでもなるんだよ。とりあえず養子縁組で戸籍を移して住所を辿れないようにしとけば、卒業してどこに引っ越そうともバレないだろ。後は卒業までの残り一年なんとか理由つけて面談断るか、最悪俺が、だからその…養父として話を…」
「いやいやいや、それこそ学校にどう説明するつもり!?」
「……三年に上がってもお前達は俺のクラスだってもう決まってんだよ。担任以外生徒の個人情報扱ったりしないから、黙ってりゃバレな…」
「馬鹿じゃないの!?」
思わずデスクを叩きつけてその場に立ち上がる。
反動で座っていた椅子が勢いよく倒れ、色 も飛鳥 もビクリと肩をふるわせたけど、それどころじゃない。
僕は先生に思いっきり人差し指を突きつけた。
「言ってる意味わかってる?養子縁組だよ?そんな簡単に、」
「わかってる。……別にほとぼり覚めてから縁組解消すりゃいいだろ。」
いや、わかってない。この人自分がどんだけ馬鹿な事言ってるか絶対わかってない。
「じゃあ他にどうしろって言うんだよ!」
いい手があるなら言ってみろと睨みつけられても、確かに何も言えないんだけど。それにしたってこれはない。
色も飛鳥も状況についていけずにぽかんと僕達のやり取りを眺めるだけだった。
「あのさぁ、僕ゲイなんだよ?同性愛者に養子縁組しようなんて、それ、意味わかって…」
「わかってる!」
バンッと今度は先生が思いっきりデスクを叩きつけ立ち上がる。
ぎ、と睨みつけられて思わず怯んでしまった。
部屋の隅では意味がわからないと一人首を傾げる飛鳥に、色が何やら耳打ちしている。
「わかってんだよ!それでも、わかった上でそうしてもいいと思うくらいには……守ってやりてぇと思ってんだよ。」
「な、」
一瞬にして全身の血液が沸騰した。
ヤバい。今絶対耳まで赤い。
こっちを睨みつける先生の顔も真っ赤になっている。
何これ。なんで、なんでこんな事になってるの。この空気、どうしろと!?
「……え、つまりこれって、プロポーズって事?」
部屋の隅から聞こえてきた言葉に、僕も先生も羞恥を誤魔化すように飛鳥を睨みつけていた。
「「そこちょっと黙って!」ろ!」
「ひ、ご、ごめんなさいっ、」
『ひぃっ、』
沸騰した僕の頭はもう大パニックだ。
部屋に響く怒声に、飛鳥の悲鳴。
そして部屋の外から聞こえてきた物音と蚊の鳴くような声。
……ん、物音?
ドサッと何かをぶちまける音と小さな悲鳴が扉の向こうから聞こえてきて、僕達は皆反射的に口を噤んだ。誰からともなく顔を見合せてから、無言で準備室の入口へと視線を向ける。
いきなりしんとした室内で色がゆっくりと席を立ち恐る恐るドアを開ければ、そこには小柄なスーツ姿の男の人が、ドアの前で固まってしまっていた。
「あ、あああの、その…」
廊下にぶちまけられた大量のカタログらしき冊子。
わずかにずり落ちた黒縁の眼鏡が、彼の動揺具合を如実に表していた。
スーツを着ていなければこの学校の生徒だと言ってもまだ通用するかもしれない童顔なその人は、その顔を真っ青にしていた。
「彗 さん…」
タイミング最悪だと色が頭を抱えれば、彗さんはビクリと肩を弾ませ、僕達に向かって思いっきり頭を下げた。
「あ、ああの、ぼ、わ、私は何も見てません!聞いてませんから!!」
ごめんなさい、聞いてません、ずり落ちた眼鏡をかけ直すこともせずひたすらに謝り倒す彗さんに、僕は逆に冷静さを取り戻していた。
頭を抱える色の横をすり抜け、廊下に散らばった冊子を一冊ずつ拾い上げる。
「あー、ごめんね?彗さん。なんか変な話聞かせちゃって。」
拾ったそれをまとめて彗さんに押し付けるように渡してやった。
「へ、あ、あの…」
ぽかんと口を開けた彗さんは、震える手でカタログの束を抱き抱える。
「まったく、先生の冗談は笑えないんだよね。」
しょうがない人だよねぇとわざと声に出して笑ってやれば振り返った先で先生は僕を睨みつけていた。
「藍原 、」
「冗談だよね?まさか一教員が生徒のプライベートに踏み込んでくるわけないもんね?」
先生の顔が思いっきり歪む。
それでも僕は思いっきり口角を上げて笑顔を貼り付けた。
笑わなきゃ。いつもみたいに、笑え。
「お前な…」
「この先、同じような生徒が出るたび同じように構ってやるつもり?そんな事、出来るわけないっしょ。」
「それは……」
ぐっ、と先生が拳を握りしめる。
言葉は出てこないみたいだった。
それでいい。この人に、これ以上迷惑はかけられないんだから。優しさに甘えてこれ以上近づいたら、勘違いしそうになる。
「あ、あの…」
状況がわからず僕と先生を代わる代わる見つめる彗さんの肩を、大丈夫だよとぽんぽんと叩いてやった。
部屋の隅では色と飛鳥もどうしていいのかわからず二人で顔を見合せている。
「仕事の話しに来たんだっけ。僕は退散するからごゆっくり。」
ここにいたら色の仕事の邪魔になる。
それはこの部屋を離れる正当な理由だ。
僕はデスクに置きっぱなしになっていたノートパソコンを掴み、先生の視線から逃げるように飛鳥と色にじゃあねと小さく手を振って、足早に踵を返した。
「藍原!」
伸ばされた先生の手が僕を捕まえるより早く、数学準備室を抜け出してピシャリとその扉を閉めてやる。
扉の向こうで僕を呼ぶ声は聞こえないふりをして、僕は逃げるように……いや、実際逃げ出した。少しでも早く、遠くに離れたくて、早足だったその足はいつの間にか駆け出していた。
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