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第20話
「おばちゃーん、いつものプリンくださーい。」
「おや、春休みだってのに生徒会のお仕事かい?会長さんは大変だねぇ。」
春休み中の為食堂は閉まっているものの、部活の生徒や先生達のために購買だけは通常通り営業してくれている。
僕は昼食時にはまだ早すぎる閑散とした購買でおばちゃんと言葉を交わしてからフルーツ牛乳とプリンをゲットした。オマケにって販売期限ギリギリらしかったクッキーをいただいてしまったのは、まぁ普段から営業スマイルを忘れない僕の日頃の行いによるところだろう。
購買の袋片手に来た道を戻る。
食堂のあるこの棟と部活棟は繋がっていないので、一度下まで降りて外に出てから再び生徒会室のある部室棟のしかも四階まで階段で上がるという何ともめんどくさい道のりだ。
本当に、なんかもう全てがめんどくさい。このまま生徒会室に戻らずどこかに遊びに行くのもアリかもな。
静まり返った部室棟に戻ってはきたものの、階段を上ろうとした足はそこで一瞬止まってしまった。
「あれ、藍原 ?」
進むか、戻るか。どちらに踏み出すか悩んでいた足は、聞こえてきた声にとりあえず進むことを止め僕は背後を振り返る。
「ラッキー。まさかここで藍原に会えるとは。」
ブランドショップの限定Tシャツに明るく染められた髪。そんな格好で校内をうろついても誰も咎めないのは、彼が三週間前にここを卒業した卒業生だからだ。
校内での数少ないご同類。いわゆるまぁ、遊び相手だった一人。名前は……何だったっけ。
「こんにちは、先輩。どうしたの?」
こういう時敬称というのは便利だ。笑顔を貼り付け素知らぬ顔で声をかければ、名前を忘れた先輩は僕の肩に腕をまわしてきた。
「いやぁ、明日で俺退寮するから部活の後輩たちと少し話をな。そしたらバス乗り過ごしちまって。暇つぶしの相手探してたとこ。」
「あー、なるほど。」
彩華高校は山奥のど田舎にある。最寄りの駅まで唯一僕たちを運んでくれるバスは二時間に一本というなんとも厳しい環境なので、天然の監獄なんて生徒たちの間では言われている。
おかげさまで夜中に外に抜け出すような真似は物理的に不可能で、生徒は規則正しく大人しく生活を送るしかない。……まぁ、内々で遊んでる僕達みたいな人間も中にはいるわけだけど。
「何か色々噂話は聞いてたけど、藍原寮に戻ってたんだな。……なぁ、久しぶりに今夜行ってもいいか?」
「あー、」
肩に回されていた手がするりと下に降りて僕の腰を意図を持って撫であげる。
人気のない部室棟の階段の踊り場。それでも僕は一応辺りに視線をめぐらせる。
「実は今職員寮にいるんだよね。一人部屋で心配だからって先生達の配慮でさ。」
正直に告げれば先輩はつまらなさそうに眉をひそめた。
「なんだよ、そんな事になってんのか。」
ち、と耳元で思いっきり舌打ちされた。
「過保護すぎだよねぇ。」
「過保護っつーか見張りだろ?二人目出さないようにって教師連中も必死なことで。」
「二人目……?」
気になる単語に視線を向ければ、先輩は不思議そうに首をひねった。
「そっか、事情を知る先輩達ももう居ないから、お前ら知らないのか。校内でその話はタブーみたいなところもあったしな。」
先輩はチラリと周囲に視線を巡らせてから、俺は兄貴も彩華 だったからなと声を潜め、僕の腰を抱き寄せ耳元に顔を寄せる。
あー、だんだん思い出してきた。この人、とにかく距離が近いんだよなぁ。多分本命は束縛するタイプ。
名前は……なんだったっけ。
「彩華が元々隣町の海沿いにあったのは知ってるか?」
「うん。五年前にこっちに移転してきたんだよね。」
「そう。本当なら俺達の代くらいまで向こうの予定だったらしいんだけどな。移転の準備が進み始めた頃に自宅の部屋から飛び降り自殺したやつが出たんだと。当時は全寮制じゃなかったから、家と学校で責任の押し付け合いだったらしいぜ。周りの風当たりも冷たかったみたいだしな。」
「へぇ。」
だから移転が早まったと言われれば、ようやく理解出来た。
なるほど。ここが天然の監獄な訳も、今回の僕に対する教師陣の行き過ぎにも思える対応の訳も、そういうことか。
そりゃこの環境で二人目なんて出そうものなら学校としての信用は地に落ちるだろう。あの面倒くさがりな木崎 先生が、大した反論もせずこの状況を受け入れたのも納得だ。
……っていうか、僕そんな話聞かされてないんだけど。隠し事って訳じゃないけど、意図的に隠されてたんだと思うとなんかちょっとムカッとした。
「ったく、迷惑な話だよな。俺らだって緩い環境で遊びたかったっての。なぁ?」
先輩の手が再び僕の腰に絡みつき、耳元に熱い吐息がかかる。
「……夜がダメならさ、今からどーよ?」
「今から?……マジで言ってる?」
「マジもマジ。ちゃんと前みたいにお前の条件のむからさ。」
背中から腰のラインをするりと撫ぜられ、同時に首筋にふ、と息をかけられぞくりと身体が震えた。
そうだった。この人、上手いんだよなぁ。欲望に忠実なのかと思いきやわりと対応は紳士的だし、そういう事をする相手としては申し分ない人だった。だから基本的に一度きりな遊び相手の中で、この人とは何度かそういう事をしていたわけで。
「何だっけ、部屋真っ暗がいいんだろ?写真部のやつら今日いねぇから、暗室とかどうよ?」
「うーん、どうしようかな……」
多分、去年の僕ならいいよって即答してたと思う。一人でいると色々考え込んじゃうし、思い出しちゃうし。全てを少しの間でも忘れる事ができるなら願ったり叶ったりだ。
でも、僕は答えられなかった。
いいだろ、とちょっと甘えた声が僕の鼓膜をくすぐる。
ああ、もうひとつ思い出した。この人、色と同じところに泣きぼくろあるんだよな。
暗闇の中、至近距離でうっすら見えていたその泣きぼくろに、ありえない願望を重ねてたっけ。
「何だよ。あれか、もしかして片想いしてた相手捕まえられたとか?」
「ううん。それどころか完膚なきまでに失恋した。」
「じゃあいいだろ?」
いいはず、なんだけど。
欲望の熱が灯ったその目元をぼんやりと見つめながら、何故だか僕の脳裏にはくせっ毛を掻き乱す横顔が浮かんでいた。
「……不純同姓交遊は校則で禁止されてないけど、衛生上ちゃんとつけてよね。」
そんな、お説教にもならないお説教を、真面目な顔して僕にしていた数学教師の存在が、どうしてだろう、頭から消えてくれない。
「それもわかってるって、ちゃんと持ってるし。」
先輩がズボンのポケットから銀色のパッケージを取り出して、僕の目の前にチラつかせる。
どうしよう。何で僕悩んでるんだろ。
「な、いいだろ?」
どうしよう。
どうでもいい事のはずなのに、どうしてこんなに胸が苦しいんだろ。
「なぁ藍原。いいだ…」
「いいわけないだろ。」
背筋を震わせる低い声は、僕達のすぐ後ろから聞こえてきた。
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