27 / 74
閑話 解なき問い
『……木崎先生の事好きだって言ったらどう思いますか?』
あの日あの時あいつに言われた言葉は、俺の中で生涯消えない言葉になった。
そいつは教師二年目で初めて受け持ったクラスの生徒だった。
成績優秀、人当たりもよく、クラス委員も引き受けてくれて面倒みもいい。全てをソツなくこなすからこそ、逆に気になっていた。
何か、抱えてる。
いつしか数学準備室に入り浸ってはコーヒーを飲むようになっていたその存在がある日泣きながら告げてきた思いを、あの時の俺は本当にちゃんと受け止められていたんだろうか。
『いいわけないだろ!俺は教師で、お前は生徒なんだよ。だから……』
俺は教師としてちゃんとやれてたんだろうか。
答えは今でもわからないままだ。
小さな物音が聞こえた気がして、微睡んでいた意識がわずかに現実に引き戻される。
ここ数日どうにも眠りが浅い。ソファなんて狭い場所で寝ているからか、それとも胸の内でぐるぐると渦巻いているもののせいか。
そしてそれは俺だけではないようで、月明かりも届かない真夜中に水を飲みに起きてきたんだろう物音を、ぼんやりとした意識の中で聞いていた。
冷蔵庫を開く音、水を注ぐ音。ふぅ、と深い吐息。
昨日も同じように起きてきていた。父親を亡くし、生活環境が変わり、母親という問題を抱え。心穏やかに眠れという方が無理なんだろう。
感情豊かであけすけなようで、心の最深部は誰にも見せない。一人で抱え込んではそれを悟らせないように笑ってるような奴だ。今も、誰にも言えないものを抱え込んでいるんだろう。
それを少しでも軽くしてやれたらと思って春休み中の共同生活を受け入れたはずだったのに……
引き受けるべきじゃなかった。
自分の行動に反吐が出る。
「……どうしよう、眠れないや。」
しん、と静まり返った暗闇にぽつりと落とされた声。
本当なら大丈夫かと声をかけて、あいつが眠れるまで起きて付き合ってやるべきところだろう。
でも、そう出来なかった。
意識はもう完全に覚醒していたが、俺は閉じた目蓋を開くことなくその場から動かなかった。
気配が、こちらに近づいてくる。
足音を立てないようゆっくりと。それは俺の眠るソファの前で立ち止まった。
雑に腹にかけていたブランケットを綺麗にかけ直してくれたのが気配でわかる。
なんで、ここにいるんだよ。
昼間、澤井に声をかけられたのはわかっていた。夜もここに帰ってくるのは強制じゃないと言ったのに。それでも藍原 は俺と共に家に帰ってきて、夜も抜け出す事無くここにいて、一人で眠れない時間を持て余している。
互いに合意の元で遊ぶ事は別に悪いことじゃない。それでこいつが本当に心預けられる相手が見つかるならと思って今まで目をつぶってきた。
だってそうだろ。
物心ついた時からずっと想ってきた幼なじみを親友に譲っちまえるようなお人好し。ほとんどの事は要領よくソツなくこなすのに、自分の事となるとてんで不器用な奴なんだ。
恵まれない境遇であっても笑ってるような、強くて健気な奴なんだ。
そんなこいつが、幸せになれないなんて嘘だろ。
「……先生、」
そんな苦しそうな声じゃなくて、幸せそうに笑って名前を呼ぶ相手がどこかにいるはずだろ。
その手を掴んで抱き寄せて、甘やかしてくれる誰か。
こいつが心の内全てをさらけ出してもいいと思えるくらい頼って縋れる誰か。
俺以外の、誰かが。
唇に温かな感触。
それはすぐに離れて、切なく漏れた吐息が唇にかかった。
それでも俺は動かなかった。
目を開けて、その手を掴んで。そうしてどんな言葉をかけたとしても、それはこいつを傷つけることになるから。
守ってやりたいのに、傷つけることしか出来ない。
なんで、俺なんだよ。
もっといるだろ。いるはずだろ。
「……ごめんね。」
どうすればいいのか答えがわからないまま、気配は俺の元から離れて寝室のドアがパタンと閉じられた。
再び訪れた静寂。
隣の部屋で眠れない夜を過ごすのだろう存在を思いながら、今夜は俺ももう眠れそうになかった。
ともだちにシェアしよう!