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第25話 スカイブルーは藍の空
約束通り午前四時。
付き合えと言われたものの、どこに行くのかは教えてもらえないまま。
夜も明けない暗闇の中、先生の運転する車で連れてこられたのは隣町の海だった。
「すっごい久しぶりに海来たかも。」
深夜とも朝方とも言えるような半端な時間。誰もいないしん、とした砂浜に穏やかな波音が響いている。
これが太陽が高く登る時間帯なら裸足になって波に足をつけるくらいはしたのかもしれないけど、空にはまだ欠けた月が登っている時間帯だ。明かりのない夜の世界から抜けきれていない今は、足元すら危ういし何より肌寒い。
砂浜に車を停めて外に出てはみたものの、僕達はそのまま車によりかかり暗い海を眺めながらただ波の音を聞いていた。
「ほら、これ飲んで暖とってろ。」
渡されたタンブラーを受け取り、中身を一口。
いつの間に用意してたんだろ。いつものカフェオレがじんわりと身体を温めてくれた。
無意識に緊張していた身体が弛緩して、漏れそうになった欠伸をかみ殺す。
ちらりと隣に視線を向けたけれど、先生は僕の視線には気づくことなくぼんやりと空を眺めていた。
日の出が近づいているんだろう。闇夜の漆黒はほんの少し和らいで、空に瞬く星達はうっすらとしか見えない。それでもまだ、朝を迎えるには早すぎる時間だ。朝でもない、夜でもない、中途半端な時間。
「……ねぇ、なんでこんな時間にここに来たの?」
答えの出なかった疑問を口にすれば、先生はようやく僕に視線を移してその口元に笑みを灯した。
「時々な、懐かしくなって見に来るんだよ。」
その視線はまた、空へと向けられる。
「彩華 高校が五年前に今の場所に移転してきたのは知ってるか?」
「うん。それまでは、たしかこの辺にあったんだよね。」
「ああ。俺はそこの卒業生なんだけど、夜中に寮抜け出してはこの辺に集まって馬鹿やってたよ。」
「ふぇ!?」
突然のカミングアウトに思わず変な声が出た。
まさかの先輩だったなんて初耳だ。
びっくりしすぎて言葉も出ない僕に、先生はイタズラが成功した子供みたいに楽しそうに口元を歪めた。
「三年の時だったか、誰かが元旦に初日の出見ようぜって馬鹿言い出してな。その頃はまだ全寮制じゃなかったから寮組と自宅組で時間決めてここに集まったんだよ。馬鹿だから日の出時間調べずにだいぶ早い時間から集まっちまってさ、みんな適当に時間潰してたんだけどな…」
口元に笑みを残したまま、先生がす、と空を見上げる。
「つまんねぇとか、早く朝日見てぇとか、皆色々言ってんのを横目に、何となく空見上げて思っちまったんだよ。」
照れくさそうにくせっ毛を掻き乱す先生につられて、僕も思わず視線を空へと移した。
夜と、朝との狭間の空。
「……すげぇ綺麗な色してんなって。」
ポツリと漏れたその一言は魔法みたいに僕の世界の色を変えた。
漆黒でもない、朝焼けでもない。中途半端な、空……だと、さっきまで思っていたはずなのに。
瞬き見開いた僕の瞳に映ったのは、見た事のない……いや、今までまともに見ようとしていなかった空の色。
「綺麗……だね。」
夜から朝に変わるほんの僅かな時。波音の先、水平線の向こうで空はうっすらと白み始めているのに、見上げればいまだ夜の中に欠けた月と星が煌めいている。
夜から朝のグラデーション。漆黒の絵の具に僅かに青空を落とした、深い青、優しい黒。
「スカイブルーって言われて俺が思い出すのは……いつもこの藍色なんだよ。」
「、」
思わず手にしていたタンブラーを取り落としそうになった。
まさか、その為に。
らしくない先生の行動と言動に思わず隣を注視すれば、その瞳は僕を見つめ、口元からは自嘲の短い吐息が漏れた。
「日の光が差し込む前の藍色だって立派なスカイブルーだと思うんですけどね。藍原晃 くん?」
自分でもらしくない台詞を言っている自覚はあるらしく、眉間に皺を寄せ困ったように笑うその人に、僕もつられて笑ってしまった。
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