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第28話

ただほんの少し触れたくなったんだ。 今日くらい、これくらい、許されるかなって。 触れるだけ。ほんの一瞬温もりを感じて、すぐに離れる。でないと、泣きそうだったから。 冗談だよって笑えるうちにソファから立ち上がろうとしたんだけど、 「え、」 先生の手が僕の腕を掴んで思いっきり引いた。強い力に抵抗もできず、倒れ込んだのは先生の膝の上。 腰に回された手が、僕の身体を抱き寄せる。 「せん、せ…」 抗議も、驚きも、言葉にする前に唇を塞がれた。 軽く触れ合うだけのキスじゃない。 荒々しく触れてきたそれは、うっすら開いていた僕の唇をこじ開けてくる。 「ん、ふっ……」 舌で舌を絡め取られて、ぴちゃぴちゃと水音が鼓膜をふるわせた。 絡み合う熱は背筋を震わせ、身体の奥にしまいこんでいた欲望に火を灯していく。 欲しい。 もっと触れて、もっと感じて、この人の全てが欲しい。 目の前の存在に腕を絡め、求めずにはいられなかった。 まるでそれ自体が生き物みたいに蠢いて、互いの舌を捉えて離さない。もっともっとと貪欲に湧いてくる気持ちを抑えきれずに、僕は口内の熱を感じながら目の前の人を強く抱き締めた。 僕の腰に回された手も、ぎゅっと痛いくらいに抱き寄せてくる。 「ふっ、……ん、」 触れれば触れるほど、近づけば近づくほどに喉が渇いて心臓は締め付けられ、息ができなくなっていく。 キスって、こんなに苦しいものだったっけ。 もっと深く触れあっていたいと思うのに、きりきりと胸を締め上げてくる痛みに、ついには耐えきれなくなって唇を離した。 「……せ、んせ、」 「……」 二人分の乱れた息遣いが深夜の部屋に響く。 先生の膝の上、互いの吐息が感じられるくらい近くで、濡れた瞳が互いを映す。 「……藍原(あいはら)、」 眉間に皺を寄せ、真っ直ぐにこちらを見つめて絞り出すように僕の名前を呼ぶ。その口元はうっすらと開いたかと思えばきゅっと引き結ばれた。 言わせちゃいけない。 今の行為が同情にしろ、そうじゃなかったにしろ、言葉にさせちゃいけない。 木崎総士(きざきそうし)は教師だ。生徒を拒絶することも、受け入れることも、どちらもこの人を傷つける。 もしこの先に進んだら、その瞳に宿る熱の意味を言わせてしまったら、きっとこの人は自分で自分を許せない。 教師として教え子を守ろうとしてくれているこの人にそんな思いはさせたくない。 「……じょーだん、だよ。」 僕は先生の胸を押し、身体を離した。 ソファを降りて、苦痛に顔を歪める先生に笑ってやる。 うまく笑えてるか自信はなかったけど、それでも今の僕達はこうすることが正解だと思ったから。 「もー、先生ノリ良すぎなんだから。」 「あいは…」 「ごめんね、変な事に付き合わせて。」 必死に口角を上げて、早口でそこまで言い切ってから僕は先生に背を向けた。僕の腕を掴もうと伸びてきた手をかわして、逃げるように寝室へと向かう。 「……おやすみなさい。」 辛うじて絞り出せた声は情けないくらい震えてた。振り返ることすら出来なくて、勢いよく後ろ手でドアを閉める。 そのまま床に崩れ落ちた。 「……ばか。」 じくじくとした痛みが身体中に広がって、苦しさに息もできない。 胸が痛くて、痛くて。軋んでヒビの入った心臓は、自分では治せないってわかってるのに。 この痛みは何度経験したって慣れる気がしない。それなのに、どうして止められないんだろ。 ほんと、僕は馬鹿だ。 寝室のドアに背中を預けたまま、長い長い息を吐き出す。 朝になったら、いつも通り。何もなかったみたいにおはようって言わなきゃ。 「……あーあ、なんでこう報われない恋ばっかりしちゃうかなぁ。」 吐き出した問に答えは当然かえってこなくて。僕は膝を抱えて、長い夜を過ごすしかなかった。

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