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第29話 Indigo blue sky
「おはよー。」
「…おはよう。」
翌朝、僕らはやっぱり何も言わず、聞かず、いつも通りだった。
今日の朝食は厚切りのトーストにプレーンオムレツにサラダ。多分和食の方が好きなんだろうなというのはここ数日共に食事をしていてわかってはいたんだけど、時間的に余裕がなかったので手を抜かせてもらった。それでも昨日先生が作ってくれた黒焦げの目玉焼きよりはマシだと思うし。
今日は月に二回行われているスケート部のアイスショーの日。いつも飛鳥が練習でお世話になっている畔倉 アイスアリーナで二週に一回、三十分だけリンクを使わせてもらってスケート部の、と言うより飛鳥のアイスショーをさせてもらっている。
初めこそ近隣の小学校や保育園にこちらから声をかけて招待していたんだけど、今では評判を呼び観覧依頼がひっきりなしにきている状況だ。
選手としてジュニア時代に世界選手権優勝まではたしている美鳥飛鳥の演技が間近で見れるとあって、ショーは毎回大盛況。おかげで地方のみならず全国から飛鳥を取材したいと依頼もきている。
選手を引退しても世間から注目を集められれば、この先プロとしての仕事に繋がっていくんじゃないか。そう考えて僕が企画提案したアイスショーは今のところいい結果をもたらしてくれているみたいだ。
そんなわけで、MCを担当している僕としても責任重大。アイスショーの当日はアリーナのオープン前の飛鳥の早朝リハーサルから始まり、音響や全体の流れの確認、観客席のチェックなどやる事は多い。
「ねぇ、そろそろ準備しないと遅刻するよ?」
テーブル越し、いまだのんびりトーストを齧っている先生に僕はスマホを突きつけ時間を知らせてみたものの、先生はあー、となんともやる気のない声を発しただけで焦る様子はみせなかった。
一応僕と同じく彩華 スケート部のロゴが入ったスタッフTシャツに着替えてはいるものの、くせっ毛は寝癖のせいでいつも以上にくるくると鳥の巣みたいになってるし、無精髭も伸び放題。いつもならそろそろ駐車場で色と合流して先生の車に乗り込んでいる時間なのに。
僕の心配をよそに、先生の口からは大きなあくびが漏れた。
「あー。今日はな、まだ大丈夫だ。」
「はい?」
「今日はあれだ、適当に理由つけてお前をギリギリまでここに引き止めておくように仰せつかっててな。」
「へ?……なんで?」
訳のわからない状況に眉をひそめれば、先生はニヤリと弧を描いた口元に人差し指を寄せる。
「ひみつ。お前を驚かせたいんだと。」
「……いや、それならそもそもサプライズする事も隠しとかなきゃいけないんじゃないの?」
「あ?適当に理由つけて誤魔化したところでお前を騙し通せるわけないだろ。」
なんとも情けない開き直りに僕としては笑うしかない。
「ま、たまには企画する側じゃなくて、される側ってのもいいんじゃねぇの?」
そう言われてしまえば僕としては、わかったと言うしかない。いや、何が起きようとしているのか全然わかってないけど。
とりあえず、現状僕にできることは素知らぬ顔してこの人達の計画に流されてあげる事だけだ。
「……じゃ、コーヒーでも入れますか。」
そうなるともう少しの時間この人と二人っきりなのかと思うと、何だかちょっと居心地悪くて。僕は誤魔化すようにキッチンに逃げ込んだ。
そうして僕と木崎先生が畔倉アイスアリーナに到着したのは、本当にアイスショー開始ギリギリの時間だった。
いつもならオープン前には既に最終打ち合わせまで終えて、直前まで他のお客さんの邪魔にならないように裏で待機してるのに。スケート部のスタッフTシャツを着た僕達がリンクに姿を表したせいで、常連のお客さん達はざわつき始めてしまった。
多分僕の顔を覚えてくれているんだろう。チラチラと向けられる視線に営業スマイルで手を振りつつ、とりあえず僕は隅のベンチでスケート靴を履き、先生から通信用のヘッドセットと司会用のマイクを受け取る。
「このまま本番いけそうか?」
「へ?いけるとは思うけど、色や飛鳥と打ち合わせ…」
『いいから早いとこ始めろ。』
声は装着したヘッドセットから聞こえてきた。
色 、の声だと思うけど……なんだろ、何かいつもより声がこもって聞こえる。
でも、僕は疑問を口に出す暇すら与えてもらえなかった。
『そ、そろそろ10分前の放送流しますね。ほ、ほほほ本日は私、小比類巻彗 が音響を担当させていただきます。』
よろしくお願いしますっ、とガチガチにかたい声が耳に飛び込んでくる。
こひる…なんだって?一瞬頭に疑問符が浮かんで、すぐにそれが長すぎる彗さんの苗字である事を思い出した。
色のマネージャーである彗さんは毎回アイスショーの時にはボランティアとして木崎先生や畔倉アイスアリーナのスタッフさん達と一緒に観客の整理誘導を担当してくれている。
sikiがお世話になっていますから、というマネージャーとしての発言も本当なんだと思うけど、実は大のフィギュアファンの彗さんは毎回観客整理をしながらも間近で見る飛鳥の演技に観客以上に大興奮しているのを知っている。
そう、いつもなら客席いいるはずなんだ。
「え、なんで彗さんが音響?」
そこは本来なら色がいるはずの場所なのに。
僕の疑問に答えは返ってこなかった。
始めますっ、と彗さんの声が聞こえたと同時に、会場内に放送部に吹き込んでもらっていた音声がスケート部の発表が間もなく始まる事を告げ、滑走するお客にリンクを開ける協力を促した。
「じゃ、俺は人員整理に行くから。」
僕と同じくヘッドセットを装着した先生は、くしゃりと僕の頭をひとなでしてからあっという間に僕に背を向け離れていく。
え、何が、どうなってるの?
『晃、早いとこ始めろ。』
やっぱりどこかこもって聞こえる色の声がショーの開始を促すけど、これから何が始まるのか聞きたいのはこっちの方だった。
何が起こってるの?何があるわけ??
何もわからないまま僕はお客がひいて無人になったリンクにマイク片手に向かうしかなかった。
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