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第35話 最後の秘密

畔倉(あぜくら)アイスアリーナ二階観客席の隅にある物置部屋。年代物の音響装置含め備品等が置かれていたこの部屋は、オーナーの許可を得て、今では(しき)が環境を整え最新鋭の設備が置かれる音響スペース兼飛鳥(あすか)の控え室になっている。 あれからぼろぼろに泣き崩れた僕と飛鳥は、ショーが終わって自由にリンクを使えるようになった子供達にあっという間に取り囲まれ、どうしたのと慰められ、お誕生日おめでとうと祝われ、とにかく人だかりで収拾がつかなくなりそうだったので早々にこの部屋に移動してきた。……着ぐるみの色を犠牲にして。 木崎先生が人だかりを整理しつつ急遽行われた黒猫のしーちゃんによる写真撮影会という時間稼ぎのおかげで、なんとか涙は止まってくれた。 ちなみに、子供達に揉みくちゃにされた後ようやくこの部屋に戻ってこれたしーちゃんとカメラマン役の先生を捕まえ、僕も飛鳥も(すい)さんまでもしっかりちゃっかり記念撮影済みだ。 「……あっつ、」 黒猫の頭がすぽんと外され、中から疲れきって汗だくの色が顔を出す。 黒猫の頭を床に置き、音響機材の前に置かれた椅子にどっかりと腰を下ろした色に彗さんからお疲れ様ですとペットボトルが差し出された。 「ったく、なんで俺がこんな目に、」 「まあまあ、おかげで不特定多数に顔を見られることなく演奏できたし、子供達にも大人気だったじゃないですか。」 じ、と恨みがましい視線が彗さんに送られているところを見ると、たぶん発案者は彗さんなんだろう。けれど色は恨みつらみを口にすることなく、肉球の手袋を床に投げ捨ててから差し出されたペットボトルを素直に受け取り、一気にその中身を飲み干した。 「それでは、私はレンタルピアノの業者がそろそろ回収に来るはずなので対応してから帰りますね。」 失礼しますと僕達に一礼する彗さんに、僕達も席を立ちありがとうございましたと頭を下げる。 顔を上げた僕に、彗さんは優しく微笑んだ。 「勝手ながら、藍原さんは私にとっては弟みたいに思うところがありまして。……今日はお元気そうなお姿を拝見できて安心しました。お誕生日おめでとうございます。」 「うん、ありがとう。」 「あの、色々あるかとは思いますが、その……お幸せに。」 僕の手を取りぎゅっと握りしめた彗さんは何故だか最後に木崎先生に深々と頭を下げてから部屋を後にした。 ……何か、こう、ボタンの掛け違いというか、何と言うか。会話が微妙に噛み合っていなかったのは気のせいだろうか。彗さんを見送る皆の視線がなにやら凄く気まずそうな気がしたんだけど、その理由を問うより早くもう限界だとばかりに暑い!と叫んで着ていた着ぐるみを脱ぎ始めた色に僕は口を開くタイミングを失った。 着ぐるみを脱ぎ捨て僕や先生と同じくスケート部のTシャツにストレッチパンツ姿に落ち着いた色は、音響装置の足元に置かれていた自らのバッグから一枚のCDを取り出して僕へと突きつけてきた。 「え?」 「……誕生日おめでとう。」 ぶっきらぼうな言葉と共に押し付けられたそれは透明なプラスチックケースに入れられ、真っ白なCDの表面には色の手書きなのだろう癖のある字でタイトルが記されていた。 Indigo blue sky 藍色の空。 「……これ、」 「さっきの曲。素人録音だから音質はあんま良くねぇけどな。」 色の曲。 色が……僕のために作ってくれた、曲。 「あの……」 言葉が上手く出てこない。 さっきまで氷上で見ていた光景も、僕の手の中にあるこの曲も、夢でも見ているみたいにいまだ実感がわかなくて。 言葉もないまま顔を上げれば、そこには優しい笑みを浮かべた飛鳥と、不機嫌そうに口をへの字に曲げた色の顔があった。 その奥では木崎先生がにやりと口の端を上げ僕達を見つめている。 色が一歩僕との距離を詰め、目つきの悪い目をさらに釣りあげた。 「……優先順位なんてねぇんだよ。」 ぎ、と僕を睨みつけ、今にも胸ぐらをつかみそうな勢いでぶつけられた言葉に僕は息を飲む。 「恋人だ友人だでなんで優先順位決めないといけねぇんだよ。どっちも大事に決まってんだろうが!」 「しき、」 「あんま恥ずかしい事言わせんな。」 言葉が、出てこない。 激しい怒りに包まれた優しさが僕の胸に刺さって、息もできないくらいに広がって、僕の心臓を満たしていく。 「僕も色と同じ気持ちだよ。辛い事があるならそばにいたいし、悩みがあるなら一緒に考えたい。」 「、」 僕は、馬鹿だ。 視界の隅に、優しく笑う先生の口元が映った。 色も飛鳥も、いつだってこんなにも近くにいたのに。僕の声を聞いて、手を差し伸べてくれる距離で、隣で、見守ってくれていたのに。 僕が二人を想う気持ちと何一つ変わることなく、二人は僕を想ってくれている。 「……少しは思い知ったかよ。」 「……思い知った。…思い、知らされた。」 ようやく絞りだせた言葉は、情けないくらい掠れていた。 二人の想いが胸にずんと響いて、おさまったはずの涙がまた溢れ出そうで。 でも、まだ泣き崩れるわけにはいかなかった。 僕は手にしたCDをぎゅっと抱えて握りしめ、真っ直ぐ前を、色と飛鳥と……先生を見つめる。 ふぅ、と震える吐息を長く吐き出した。 「みんなに、……言わなきゃいけないことがある。」 こんなにも胸の内をさらけだして想いをぶつけてくれた人達に、僕は返さなきゃ。 涙こらえて、掠れた声で。僕の抱えるもの全てを。 もう、迷いはなかった。

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