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第43話
逃げ場のない狭い部屋。悲鳴を聞き付け生徒指導室に駆けつけた先生達によって、事情はあっという間に校内にいた教師陣に知れ渡ることになった。
春休み中の為校内にいた先生達はそう多くなかったけど、最悪な事に居合わせた校長が青い顔して飛んで来るまでそう時間はかからなかった。
色 も飛鳥 も部外者と判断されて他の先生達と共に教室の外へと追い出され、校長と僕達三人での事情聴取。事態は最悪の状況だった。
「ほ、保護者の、あろうことか女性に暴力をふるうなど、ぜ、ぜ、前代未聞ですよ!」
三者面談に来て、担任の男に腕を捻りあげられた。
わざとらしく手をさすり、都合のいいように切り取られた事実が彼女の口から語られれば、校長は真っ青な顔で申し訳ありませんと頭を下げたあと、顔を真っ赤にして木崎 先生を責めたてる。
「き、教師としてあるまじき行為です!」
「ち、ちが…」
「藍原 。……いい。何も言うな。」
きちんと説明しなきゃ。僕を守るためだったって、僕が過去にこの人に何をされたのかも、全て説明しなくちゃってわかっていたのに言葉が出てこない。
絶叫する校長に木崎先生は何も言わなかった。なんの反論もせず、ヒステリックに叫ぶ校長の言葉をただ黙って聞いていた。
「ま、誠に申し訳ありませんでした!」
校長に背中を叩かれ、先生は無言で頭を下げる。
その全てを彼女は汚いものでも見るかのように蔑んだ瞳で見つめていた。
「……今のまま、このような所に大事な子供を預ける事は出来ませんわ。改善を要求いたします。」
「は、はい。すぐに改善策を検討させていただきますです、はい。」
隣で先生がぎゅっと拳を握りしめたのがわかった。
改善、が何を指すのかなんて分かりきってる。このままでいいわけない。このままこの人の言いなりになってしまえば、木崎先生は。
何とかしなきゃ。そう思って開きかけた口は、僕に視線を移し優しく微笑むその狂気の瞳を前にしてビクリと身体ごと強ばった。
「明日、またお伺いいたします。そちらのご返答次第ではこの子を転校させる事も考えさせていただきます。」
どうしたら。
考えようにも、入り込んできたどす黒く重いものに思考を取られていく。
僕のせいで、先生が。僕が、そばにいたから。
言いつけを守らない、悪い子だったから。
やっぱり、この人に逆らう事が間違いだったんだ。
「さあ、晃 ちゃん帰りましょ。帰って二人でお話しましょう。」
僕が前みたいに、この人のそばにいれば。そうしたら、誰も傷つかずにすむんだ。僕が、この手を取れば。
行きましょうと差し出された手。グルグルと思考の中で黒く蠢くものが僕の身体を動かしていく。
「……僕は、」
「行かなくていい。」
震えながら伸ばした手は、けれど、彼女に掴まれる前に横から伸びてきた手によって遮られた。
「外泊は前日までに届けを出す決まりです。」
僕の手に優しく触れた無骨な手は、そっと僕の手を押し戻した。
彼女の瞳が一瞬驚きに見開かれ、すぐさまそこに怒りの色を宿したけれど、先生は臆することなくその瞳を見つめ返す。
「……そうですか。先生はあくまでそういう態度をとられるんですね。」
駄目だ。このままじゃ。
怒らせちゃ駄目だよ。もうやめよう。上手く出てこない言葉の代わりに先生のジャケットの裾を引いたけど、先生は絶対に譲らないと真っ直ぐ前を睨みつけたまま。
隣で校長が今にも泡をふきそうなくらいに青い顔をして言葉にならない何かを発していたけど、先生はそれにも動じなかった。
「生徒が明らかに間違った道に進みそうなら止めてやる。危険な目にあいそうなら守ってやる。……それが教員だと思ってるんで。」
今ここでそんな態度を取ればどうなるかくらいわかっているはずなのに。
それでも態度を変えない先生に、ついには彼女の口から落胆とも諦めともとれる吐息が漏れた。
「わかりました、本日は帰ります。……どのみち明日には全て決着がつきますものね。」
僕と先生を一瞥して、ふふ、とその口元に笑みを灯す。
「良いお返事を期待しています。」
最後に校長にそう念押ししてから、彼女は失礼しますと軽く一礼し、そのまま生徒指導室を後にした。
一瞬しんと静まり返った室内に直ぐさま二人分の足音が近づいてくる。
「な、何だ君達…」
「っ、あきら!」
彼女と入れ替わりで室内に飛び込んできた飛鳥は、真っ先に僕に駆け寄りぎゅっと僕を強く抱きしめた。
「助けられなくて、ごめんなさい…」
恐らくは外で全てを聞いていたんだろう。耳元で、涙に震える声がした。
その背後では色がぎゅっと拳を握りしめ、僕と木崎先生を無言で見つめる。
考えが甘かった。僕一人が被害にあう事は想定していたし覚悟もしていたのに、まさかこんな方法でくるなんて。
完敗だ。完全に追い詰められた。
その事実に僕達は言葉を失うしかなかった。……たった一人を除いて。
「……また、貴方ですか。」
怒りに震えた声が、室内に落とされた。
ぼんやりと僕を見つめていた木崎先生の無感情な瞳が、声の主へと向けられる。
「こ、今度という今度は、許すわけにはいきませんよ!」
先生に指を突きつけ喚き散らす校長に、僕達は何も反論できなかった。
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