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第46話 過去と答え
「ほら。」
差し出されたカップを受け取る。
二人で無言のまま寮の先生の部屋へ戻って無気力にソファへ腰を下ろした僕に、先生は黙ってカフェオレを入れてくれた。
一口、ほろ苦さを飲み込んで小さく息を吐く。それでも、胸の中にあるモヤモヤとしたものは消えてくれない。僕はカップを目の前のローテーブルに置き、同じようにカップ片手に隣に腰を下ろしていた先生に向き直った。
「……こんなの、絶対認めないから。」
多分、睨みつけてしまっていたと思う。先生は気まずそうに視線をそらせ、手にしていたカップをテーブルに置いた。その手が、優しく僕の頭を一撫ぜする。
「もういいんだ。俺はそもそもここにいる資格なんてねぇんだよ。」
「っ、そんなこと…」
「六年前からずっと思ってた事なんだよ。だから、お前は気にすんな。」
六年前。先生の口から出たその単語に、僕の中のモヤモヤは大きくなっていく。
「……なんで、昔の事持ち出すのさ。今回も六年前も、先生は何一つ悪くない!」
「……あれは、俺のせいだろ。お前の事だって、他の先生ならもっと上手くやれてたかもしれないしな。」
何もかも納得できない。それなのに、目の前の人は眉根に皺を寄せ悲しそうに笑うだけ。
そんな顔、見たくないのに。そんな言葉聞きたくないのに。この人が背負う必要なんてどこにもないのに。
何でこの人はこんなにも罰を受けたがってるの?
胸の中のモヤモヤは、どんどんイライラに変わっていく。ぎ、と睨みつければ、先生はやっぱり力無く笑った。
「お前、いつから知ってたんだ?柊木 の事。」
聞き覚えのない単語に首を傾げる。
「ヒイラギ、さん?……ああ、自殺した生徒さんの名前?」
「んだよ、名前知らなかったのかよ。」
「名前どころかなんにも知らないよ。」
「は?」
正直に答えれば、先生は瞳をまん丸に見開き僕の顔を覗き込む。
信じられないとその目が言外に語っていたが、眉間に皺を寄せられようが、口元をゆがめられようが、知らないものは知らない。
「こないだ澤井先輩にそういう生徒がいたって話しを聞いただけ。校長の口ぶりから多分担任だったんだろうなっていうのはさっきわかったけど、あとはなーんにも。名前も今知ったし。」
「いや、…は?だってお前、守るためだったとか、証拠はないだとか、妙に詳しく…」
「はぁ?そんなもの見なくてもわかるっしょ?」
何言ってるんだろう、この人。僕の方こそ意味がわからなかった。
困惑する先生の胸元に僕は人差し指を軽く突き立ててやる。
「木崎総士 だよ?そんなことするわけないじゃん。」
「……は?」
「人間の本質なんて六年やそこらで変わんないよ。生徒を自殺に追い込むなんて事、先生は絶対しない。そんなもの見なくてもわかるよ。」
証拠なんてあるわけないんだ。だって、教え子に手を差し伸べることはあっても、追い込む事なんて絶対しない。何があろうとも最後まで見捨てることはしない。それが、木崎総士なんだから。
「お前、たったそれだけの理由で…」
「それだけって、それが全てっしょ。それだけで十分だよ!」
昔も、今も、この人は教師であろうとしただけだ。なんで皆、先生自身もそんな簡単なことがわからないの?
悔しさで、気づけば突きつけていたはずの指は握りこぶしに変わり、先生の胸を何度も叩いていた。
「準備室で話、聞いてあげたんでしょ?頼れって、言ったんでしょ!いつもみたいに、コーヒー入れてあげてさぁ、」
「それは…」
「ヒイラギさんがその言葉を信じきれなかっただけでしょ!」
「違う!」
叫びに近い声と共に、胸を叩いていた手を掴まれる。
「違う……俺が、俺があいつを追い詰めたんだ…」
僕の手首を掴んだその手も声も、小さく震えていた。そのままズルリと力無くソファに落とされた手を、僕は逆に握り返してやる。
「……叩いた、あいつの頬を。……追い詰めたんだ、俺は…」
初めて聞いたこの人の弱音。
小さく震える目の前の人は、なんだかいつもより小さく見えて。
大丈夫だよって両手でうなだれる手を握りその手の甲をよしよしと撫でてやれば、先生はほんの一瞬悲しそうに笑って、それから僕に長い長い話をしてくれた。
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