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第53話

真横にあったカウンターの椅子に思いっきり身体をぶつけて、衝撃に呼吸が一瞬止まった。 受身を取る暇もなく、身体は床に崩れ落ちる。 バンッと勢いよく開かれるドアの音が聞こえた気がした。 「あき…先生!?」 「木崎(きざき)っ!」 一体何が。 ぶつけたらしくズキンと痛む頭をおさえれば、脳裏に先程までの光景がフラッシュバックした。 そうだ、机がなぎ払われたと思った瞬間には、目の前の人が手にしたナイフが。 「っ、」 考えるよりも早く身を起こせば、苦痛に歪む横顔が目に飛び込んできた。 「せんせっ!?」 「お前ら来るなっ!!」 鬼気迫る叫びに、部屋の時間が止まる。 僕に向けられたはずのナイフが、先生に。僕を刺そうと彼女の手に握られたそれに、先生は僕を跳ね飛ばし、自ら向かっていったんだ。 僕を守るために、ナイフを素手で。 ぎゅっと刃を握る先生の手から、ぽたぽたと落ちる、赤。 心臓が、嫌な音を立てた。 「っ、いやっ、は、離してっ!」 パニックに陥ってナイフを離そうとしないその人と揉み合いながら、先生は刃を掴んでいた手に力を込めてそのままナイフを奪い取った。流れ落ちる鮮血に赤く染ったナイフを、そのまま後ろに投げ捨てる。 「櫻井っ!美鳥っ!」 先生の声に、入口で固まっていた二人が弾かれたように肩を揺らす。 真っ先に動いた(しき)が、パニックに叫ぶ彼女を背後から拘束した。 「なにっ、し、色君!?離してっ、」 「飛鳥!ナイフ確保しろ!」 「っ、う、うんっ!」 飛鳥が僕と先生の間を通り過ぎ、床に投げ出されたナイフを掴んだ。誰にも触れさせないようにその場にしゃがみこみ、両手でしっかりと握りしめる。その手はカタカタと小さく震えていた。 「櫻井、離すなよ!」 「わかってる!」 叫ぶ先生の身体がぐらりと傾く。 僕は咄嗟に動いていた。 「先生っ!!」 その場に崩れ落ち、膝をつく先生の身体を横から支える。 その右手からはボタボタと血が流れ、床は赤く染っていた。 「っ、せんせぇ、」 血の気が引いて青白い顔。その額には玉のような汗が滲んでいる。 うそ。どうしたら。このままじゃ先生が。 頭の中は真っ白。奥歯がカタカタと音を立てるのを止められない。 ただただ恐怖に震える僕の目の前で、先生は口元に笑みを浮かべた。 「落ち着け、ただの貧血だ。死ぬような傷じゃねぇよ。」 苦痛に掠れつつも、しっかりとした声。眉間に皺を寄せ顔をゆがめてはいるものの、呼吸はしっかりしている。 なにより、抱き支えるその身体から感じる、規則正しい心音。 大丈夫、この人は死なない。 生きてる。 「っ、」 ぐっと拳を握りしめ自らを奮い立たせる。 冷静に、冷静になるんだ。 「いやっ、離してっ!」 「ふざけんなっ!あんた(あきら)を殺す気かよ!」 あの人は色が押さえてくれている。ナイフは飛鳥が握ってくれている。 もうこれ以上何も起きない。起こさせない。 大丈夫、大丈夫だ。 何度も自分に言い聞かせて恐怖を追いやる。 僕が、全てを終わらせなきゃ。 ぐっと奥歯を噛み締めて、僕は先生の首元に手を伸ばしネクタイを思いっきり掴んで引き抜いた。 「あ、ばかっ、お前これ一張羅だって言っ…」 「うるっさい!」 ポケットから取り出したハンカチを血まみれの先生の手の平に当て、奪い取ったネクタイでぎゅっと縛り付ける。 「ぐ、」 「我慢する!」 苦痛に歪む顔を無視して、思いっきり締めつけてやった。 「馬鹿はそっちっしょ!下手したら死んでたんだよ!?」 「うるせぇ。結果オーライなんだからいいだ…」 「よくない!チョーク持てなくなったらどうすんの!」 青白い顔で軽口を叩く先生を睨んで黙らせる。 血の滲んだハンカチをネクタイで何度もきつく縛り付けながら、僕は先生の背後で呆然とことの成り行きを見守っていた飛鳥に視線を移した。 「飛鳥、職員室と保健室!先生達呼んできて!」 「あ、わ、わかったっ!」 言うが早いか猛スピードで飛び出して行った飛鳥を見送り、応急処置を終えた僕はゆっくりとその場に立ち上がった。 いまだ半狂乱に叫び色の拘束を解こうと抵抗するその人を、ぎ、と睨みつける。 「っ、離してっ、このままじゃ駄目なの、私は晃ちゃんのためを思って、」 心臓が沸騰して、身体が震える。 傷つけた。僕の大事な人達を、こんな事に巻き込んでしまった。 みんなが、僕のせいで。 ……ううん、違う。 そうじゃない。僕のせいじゃ、ない。 込み上げるものをおさえるように、小さく息を吸い込む。 無言で歩み寄って、叫び狂うその人の目の前で、僕は右手を振り上げた。 「晃ちゃ…」 「いい加減にしろ!」 パシンッ 僕の怒声と乾いた音が、室内に響いた。

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