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第57話

触れるだけの口づけは、先生に肩を押されてあっという間に離れていく。 それでも僕は先生を組み敷いたままその場を動くことなくじ、とその人を見下ろした。 「っ、藍原(あいはら)、こういうのは無しだってわかってたろ、」 「知らない。そんな約束した覚えないもん。」 「お前な、」 「嫌なら今すぐ僕をふって。柊木(ひいらぎ)さんと境遇の似てた僕に同情してただけだってはっきり言って。」 ピタリと先生の抵抗が止んだ。 いつもの軽口じゃない、本気だってわかったんだろう。僕を見上げるその瞳が揺れる。 「……んでだよ、一回り離れてんだぞ。」 「歳なんて関係ない。」 「櫻井の事、」 「もうとっくの昔に吹っ切れてる。」 「……俺は教師で、お前は教え子なんだよ!」 「退職願出したくせに。あんた今教師ですらないじゃん。」 ぐ、と眉根に皺を寄せ先生が言葉につまる。逃げようともがく身体を、僕は体重をかけて押さえつけた。 離せと、絶対イヤと、一歩も譲らず。互いの瞳に射抜かれて呼吸ひとつまともに出来ない。 胸が軋むほど苦しくて、視界が滲んだ。 「……ねぇ、今夜だけ。明日になったら全部忘れる。」 ポタリと、僕の瞳から溢れ出たものが、先生の頬に落ちた。 それでも、先生は身動ぎひとつせずに黙って僕を見上げる。 「明日にはちゃんと先生と生徒に戻るから、だから、……木崎総士(きざきそうし)の本音、教えてよぉ。」 声は、情けないくらい掠れていた。 こぼれ落ちる涙が先生の頬を濡らしていく。 もう、嫌なんだ。何も言わず諦めて終わるのは。 声を上げて手を伸ばせば、もしかしたら届くかもしれない。僕にそう教えてくれたのは、他ならぬこの人なんだから。 「……すき、だよ。」 嗚咽混じりに吐き出した想いに、先生は絶望の表情で固まった。 苦痛に顔を歪め、避けるように視線を泳がせる。 これが、答え。 わかっていたはずの結果に心臓が引き裂かれる。 「……ごめんね。」 涙、止めなきゃ。 もうこれ以上この人に迷惑はかけられない。そう思うのに溢れてくるものが止められない。 とにかく、もう解放してあげなきゃ。 泣きながら、それでも笑って離れようって思った……のに、 「くそっ!」 先生が叫ぶように吐き捨てたかと思った瞬間には伸びてきた手に強い力で胸ぐらを捕まれ、世界が反転した。 気がつけば僕の身体はシーツの海に沈んでいて、見下ろしていたはずの先生に組み敷かれてる。 なんで、 理由を問うより早く、先生はぎ、と僕を睨みつける。 「惚れてるに決まってんだろ!」 怒鳴りつけるように落とされた言葉は、一瞬にして僕の涙を止めた。 ドクンと、心臓が跳ねる。 「せ、んせ…」 「同情なんかでてめぇみたいなちんちくりんのために人生捨てられるか!」 「な、だ、誰がちんちくりんだ、誰が!!」 「お前だ、お前!」 先生が僕の胸ぐらを掴みあげ、思いっきり身体を揺さぶる。 「ふざっけんな!いつもいつも土足で踏み込んできちゃ人の事かき乱しやがって!歳も性別も立場もあっさり飛び越えてきてんじゃねぇよ!」 どんっ、と肩を押され、僕の身体は再びベッドに沈み込んだ。 ふざけんなって抗議の言葉を口にするより速く、覆いかぶさってきた先生が僕の言葉ごと唇を奪う。 噛み付くみたいに乱暴な口づけはあっという間に離れて、熱をもった瞳が僕を見下ろす。 「人がどんだけ耐えてきたと思ってんだ!全部台無しじゃねぇかっ、」 たぶん、先生は本気で怒ってる。 でもその口から出てきた言葉は、それは、紛れもなくこの人の本音。 「言っていいわけねぇんだよ!…………お前みたいな教え子のガキに本気になってるなんて。……言っていいわけねぇだろ。」 僕が欲しかった、言葉。 心の内に触れられた。その事実に、胸が熱くなる。 「先生、」 手を伸ばせば、先生は僕の手を掴んで引き寄せ、抱きしめてくれた。 「それ、やめろ。……罪悪感半端ねぇから。」 今だけは。 耳元で聞こえた言葉に僕はくすりと笑って、それから小さく頷いた。 今だけは。今夜だけは。 「……総士さん。」 その名前を呼ぶだけで、じん、と心臓が震えた。 溢れ出てくる想いを、今夜だけは止めなくていい。一夜でもいい、この人の匂い、体温、心音、声、全部が欲しいんだ。その全てをこの身に刻みつけたい。 「(あきら)、」 互いに瞳に欲望の色を宿して、僕達は見つめ合い、どちらからともなく唇を重ねた。

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