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閑話 ヘタレとド天然
数十分前に点呼も終わり、まもなく消灯時間を迎えようとしていた時刻。
コンコンッと控えめにノックされたドアに、俺は電子ピアノの電源を落としてから、どうぞと声をかけていた。
ややあってかチャリと控えめに開かれたドアからチラリとパジャマ姿の亜麻色が顔を覗かせる。
「色、……今、いいかな?」
どうぞと再び促せば、飛鳥はベッドの隅にちょこんと腰を下ろす。
俺は使い終わったヘッドホンを壁にかけて戻してから、飛鳥の隣に座った。
「どうした?」
「あの、その…」
チラリと俺の方に向けられた瞳は、すぐにそらされ俯いてしまった。
そろりと伸ばされた手が俺のシャツの裾を控えめに掴む。それは、言葉にするのが苦手な飛鳥の意思表示。だから俺はいつものように飛鳥の言葉を待とうとシャツを掴むその手を取ったけど、
「飛鳥?」
その手が小さく震えていることに気づいてしまった。
ぎゅっと握る手に力を込めれば、不安そうに揺れる瞳が真っ直ぐに俺を見つめる。
「いまさら、その……震えが、止まらなくて。」
衝動的に俺は小さく震える手を引いて、その身体を抱きしめていた。
「大丈夫だ。もう終わった。」
「うん。……うん。」
無意識に深く考えようとしていなかった数時間前の出来事。
木崎の負傷を除けば全員無事だった。だけど、それはあくまでも結果だ。……誰かが命を落とすなんて最悪の未来が、もしかしたらあったかもしれない。それくらい危険な状況だった。
怖くて当然だ。俺だって、思い出すだけで背筋がゾッとする。
大丈夫だと、自分自身にも言い聞かせながら、俺は抱きしめた飛鳥の背を優しく撫ぜた。
「……晃は、ずっとこんな恐怖を抱えてたんだね。」
「だろうな。」
俺の背に伸ばされた手が、ぎゅっと強く抱きしめ返してくる。
「……僕が、奪っちゃったんだ。抱きしめて、大丈夫だってそばに居てくれる人を。」
ぽつりと零れた小さな呟きに、俺は思わず苦笑する。
「何言ってんだよ。飛鳥も晃のそういう居場所になってただろ?」
「っ、そうじゃなくて、…………、」
俺の肩口に埋めていた顔を勢いよく上げ、けれど飛鳥は言いよどみぐっと口を噤んだ。
結局無言のまま、そっとまた肩口に埋められた頭を俺はそっと抱き寄せる。
「もう終わったんだ。何か気にしてる事があるっていうなら、明日からまた晃のそばにいてあいつの言動に振り回されてやればいいんだよ。」
一応の決着はした。そして、あの親子にとってはここからが始まりなんだと思う。これからだって、俺たちは変わらず晃のそばにいてやれるんだから、今からの俺達に出来ることをゆっくり考えていけばいい。なだめるように頭を撫ぜながら飛鳥に、俺自身に言い聞かせる。
いつの間にか、飛鳥の震えは止まっていた。もう大丈夫だと、ゆっくりと肩口から顔を上げた飛鳥の口元に小さな笑みが灯る。
「ありがとう。……晃に申し訳ないな、僕ばっかり色に甘えて。」
「何言ってんだよ。晃が甘えて縋りたい相手は俺達じゃないだろ?」
「っあ、」
俺は飛鳥の手を引き、そのままベッドに倒れ込む。
いきなりの事に体制を崩して俺に覆い被さるように倒れ込んできた飛鳥に、俺は触れるだけの口づけを落とした。
「こういう事は俺達がしてもしょうがないだろ。」
「…………そう、だといいけど。」
恥ずかしさからか俺の胸に顔を埋め、ぼそぼそと呟やかれた言葉はよく聞き取れなかったけど、ぎゅっとしがみつくように回された腕に俺は小さく笑ってしまった。
「先生と晃、今頃どうしてるかな。」
「さあな。今日の様子を見る限り、木崎も……まぁ、そうなんだろうけど。」
脳裏にあの時の木崎の必死の形相が浮かんだ。
教師として俺たちを守ろうとしたのも本当だろう。だけど、教師としての義務感や生徒への愛着だけであんな事できるわけがない。
あまりにも立場の違いすぎる友人の恋路は望み薄だと心配していたというのに。晃へ向けられた視線も、笑みも、激しさも、あれはどう見たって教師ではなく木崎総士一個人のものだった。
俺達が出来ることを手探りで探していた中、あいつは教師としての人生を捨て、命すらも投げ出す覚悟を決めてあの場に立っていたんだ。……あれには素直に感服した。あんなにも純粋で激しくひたむきな想いがあいつの中にあったなんて。
「晃には木崎がついてるんだから、飛鳥は気にせず好きなだけ甘えとけばいいんじゃねぇの?」
「……うん。そうだね。」
ふわりと微笑んだ飛鳥の唇が、お返しのように俺に降ってくる。
「じゃあ、その…………今日、一緒に寝たい、な。」
おずおずと恥ずかしそうに視線をさまよわせながら伺いを立ててきた飛鳥に、俺の心臓はドキリと跳ね上がった。
「あの、その、まだ少し怖くて。一緒に居てほしいなって。」
「あー、一緒に寝る…………だけ、な。」
ですよね。いや、さすがにあんな事があったわけだし、今日の今日でそういう事は……そうだよな、出来るわけないよな。
「だめ、かな?」
不安げに首を傾け縋るような瞳で見下ろされれば、ムラムラと湧いてきていた欲望はゴクリと飲み込むしかないわけで。
「もう……好きにしてくれ。」
降参とばかりに脱力すれば、飛鳥は嬉しそうに隣にころりと横になり、ありがとうと純粋な言葉と笑みを向けてくる。……吐息を感じられるくらい近くで。
ああ、くそ、本当にタチが悪い。この苦行いったい何日目だよ。
無自覚に人の心を揺さぶるのは止めてくれと心の中で愚痴りながら、俺は部屋の明かりを落とし、ぎゅっと飛鳥を抱き寄せて目を閉じた。
押し倒して迫ったら、押し倒されちゃった。などとどこかスッキリした顔の晃から予想を遥かに超えた報告を聞かされ、絶叫どころか発狂しそうになったのは、数時間後の翌朝の話だ。
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ちょっとヘタレな音楽家×ド天然フィギュアスケーターの馴れ初めを知らない、気になる、と思った方は、前作の「Midori」を是非どうぞ。
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