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第64話

数日後、なんだかんだと本当に色々あった春休みも終わり、僕達は無事に今日の始業式を彩華(さいか)高校でむかえられることとなった。 飛鳥の朝練も本日はお休みだったらしく、寮の食堂が混み出す前に早めに朝食をとった僕達はのんびり寮の隣にある歩いて一分の校舎へ登校中。ほとんど散ってしまった桜並木を雑談しながら並んで歩き、各々時折漏れる欠伸をかみ殺す。 朝が苦手な(しき)はともかく、毎日のように早朝練習をしている飛鳥が非常に眠そうにしている理由については……まぁ、聞くだけ野暮ってものなんだろう。 「クラス何組かな?」 「AでもBでもどこでもいいだろ。誰かさんのせいで三人同じクラスだってのはもうわかってるしな。」 「ほんと、ワクワクも何も無いよねぇ。」 春休み中のごたごたの最中に誰かさんが口を滑らせてしまった為、昇降口横の掲示板を確認するまでもなく、僕らは卒業まで一緒にいられるともう判明してしまっている。おかげさまで新学期特有のソワソワした気持ちは微塵もない。 「あ、でも担任の先生は……大丈夫かな?」 不安に眉をひそめた飛鳥に色は心配ないだろと苦笑する。 「木崎(きざき)が担任を降ろされるようなことがあればどうなるか、校長はわかってるだろうからな。」 じ、と向けられる色からの視線は無視して、絶対大丈夫だよと飛鳥にウインクしてやれば、亜麻色の瞳は嬉しそうに細められた。 「……みんなで進級できて本当によかった。(あきら)の事も、先生ずっと言わないつもりなんだと思ってたから、色々安心したよ。晃が受け入れてくれて、本当に良かったよね。」 「ん?」 安堵に胸をなでおろしながら漏らされた言葉に、僕はふと違和感を感じて立ち止まる。 「なんで主語が木崎(あっち)なんだ?」 違和感の答えは同じように足を止めた色の口から発せられた。 そうだよ、僕がその、先生を好きになって半ば強引に迫ったわけであって。 あれ、でもそういえば先生っていつから…… 僕達の疑問に、飛鳥はえ?と首を傾げた。 「え、だって木崎先生ずっと晃の事好きだったでしょう?少なくとも僕が転校してきた時にはそうだったわけだし。」 「「は?」」 僕と色の声が綺麗にハモる。 聞き捨てならない言葉に、気がつけば飛鳥に詰め寄っていた。 「え、ちょっと待って。それどこ情報?」 飛鳥が転校してきたのは一年も前の話だ。あの当時の木崎先生にはそんな素振りどこにも。というか僕は別に好きな人がいたわけだし、先生もそれを知っていたわけで。 訳が分からないと眉をひそめる僕と色の反応に、飛鳥は意味がわからないと傾けていた首をまた逆側に傾ける。 「え、だって新聞、」 「へ?」 いきなりの話に頭がついていかない。え、なんで新聞? 「木崎先生晃の前では絶対新聞読まないでしょ?必ず顔みて話をしてくれてたから。」 「はい?」 天然で口下手なところのある飛鳥は時々突飛なことを言い出したりするんだけど、今回も見事に意味不明だ。 「そもそもあの人新聞なんてまともに読んでないっしょ?そんな姿見た事ないし。」 「嘘だろ、」 色の驚愕の言葉は、飛鳥ではなく真っ直ぐ僕に向けられていた。 え、僕何かおかしなこと言ったっけ? 「あいつ、いつも新聞広げて人の顔なんて見ようともしてねぇだろ。」 「晃と一緒の時だけはちゃんと新聞畳んでお話してくれてるよ。」 「嘘だろ……」 いや、それ僕が言いたい。 嘘でしょ?だってそんな、そんなことあるわけない。あの人は誰に対してだって同じようにしていた……はず。 そう思っているのに、僕の心臓はトクトクと早足で跳ね始める。 「そ、そんなの偶然っしょ?新聞ひとつでそんな、」 「でも、先生牛乳大嫌いだって言ってたよ?」 僕の動揺に気づくことなく、笑顔の飛鳥からトドメの一言が発せられる。 トサリと手にしていた通学カバンが落下した。 「うそ……」 一瞬、心臓が止まった。 いや、だってそんな、だとしたらそれはつまり、 「はぁ?」 意味がわからず首を捻る色を横目に、僕の体温は急速に上昇していく。全身の血液が沸騰して昇ってきてるんじゃないかってくらい顔が熱い。 「結構前に家庭科で牛乳寒作った事があったでしょ?女子が木崎先生に差し入れようとしてるのを見たんだけど、匂いを嗅ぐのも嫌なんだって断ってたよ。」 嘘でしょ、そんな事あるわけない。だって、僕は数学準備室で、あの人の家で、ほとんど毎日のように飲んでたんだから。 「カフェオレ……」 「あ、」 色もようやく気づいたようで、訝しげに細められていた瞳が見開かれる。 準備室でも、先生の家でも、僕のコーヒーが純粋真っ黒で出てきた事は……確か、入学してすぐの最初の一回だけ。苦手だって話をした次の日から、準備室の冷蔵庫には必ず青と白のパッケージが入っていて、僕は毎回それを勝手に拝借していた……と、思っていたのに。 飛鳥の話が本当だとすると、もしかしなくてもあれは、 「んだよ、あいつの方がベタ惚れだったんじゃねぇか。」 「っ、」 呆れたように吐き捨てられた色の言葉は、僕の心臓を破裂させるのに十分すぎた。 どうしよう、どうしていいのかわからない。茹で上がりそうに真っ赤になっているであろう顔の熱のしずめ方なんてわからずに、僕は足元に落としたままになっていた通学鞄を拾い上げ、ぎゅっと抱きしめた。 こううい時どういう反応したらいいんだろ。わからない。わかるわけないよ。だって、こんなこと初めてなんだから。 戸惑い俯く僕に飛鳥からはにこにこと嬉しそうな視線が向けられ、逆に何故か色は恥ずかしそうに頬を掻き視線を明後日の方へ泳がせる。 「あー、あれだ、部誌。俺今日当番だったな。」 チラリ、一瞬だけ向けられる意味ありげな視線。 「準備室、取りに行くのめんどくせぇなぁ。」 棒読みの呟きに僕は思わず肩を揺らしてしまった。 「……取りに、行ってあげる。」 おずおずと顔を上げ小さく呟けば、ニヤリと色の口角が上がる。 「ああ、たのむな。」 ごゆっくり。なんて恥ずかしい言葉は最後まで聞いていられなくて。 僕は火照る顔を隠すように鞄を抱きかかえ、二人の前から駆け出していた。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 終わらなかった…… ごめんなさい、あと一話お付き合い下さい。

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