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第7話
「では、来週から初音をこちらへ派遣させます。どうぞ、一年間宜しくお願い致します」
頭を深く下げて屋敷を出た林と初音は迎えの車に乗った。
ネクタイを緩め、盛大な溜息を吐くと、林は初音を睨み付けた。
「来週から湯藤家だ。準備を怠るな」
「はい」
短く返事をし、沈む気持ちで窓の外を眺める初音はポケットに忍ばせていたロザリオを握り締め、小さく吐息を漏らした。
「一年間、お世話になる初音です。どうぞ宜しくお願いします」
古く汚れたボストンバック一つを持って、湯藤家の屋敷へ来た初音は湯藤家当主の拓真とその息子、満に深々と頭を下げて挨拶をした。
「ようこそ、初音君。君の部屋は満の隣だから。何かあれば満に聞いてくれ。一年間、仲良くしてほしいと思っているよ」
「宜しくお願いします」
従順な態度を見せる初音に満と良く似た容姿の拓真は意気揚々と聞いてきた。
「ところで次の発情期はいつぐらいかな?」
「毎月、二十日ぐらいに来ます。なので、再来週ぐらいかと」
「そうか!そうか!それは待ち遠しいな!宜しく頼むよ!必要なものがあれば何でも言ってくれ。それじゃあ、私は仕事があるので!」
ご機嫌に仕事へ向かう拓真を見送り、初音は嫌そうな顔をする満へ頭を下げた。
「気に入らないところは出来るだけ直します。どうか一年間、宜しくお願いします」
「だったら、極力俺の前に現れるな。一緒に過ごしたくない」
冷たく言い放つ声と嫌悪を含む視線にいなされて、初音は小さく頭を下げて了承した。
その姿を見て満は渋々ではあったが、初音を部屋へと案内する。
扉を開くとそこには手入れの行き届いた部屋が広がっていた。上質なベッドにテーブルやソファ。テレビなどの家電は勿論、部屋にはトイレとバスルームも備え付けられていた。
「……こんな綺麗な部屋、本当に使っていいんですか?」
驚いて聞くと、満は眉を寄せて怪訝な表情を見せた。あまり話しかけるのも悪いかと考えを改めた初音は黙って部屋の中へ入ると、満は黙ってそのまま立ち去ってしまった。
一人になって、やっと呼吸ができると初音は荷物を下ろしてソファへ腰掛ける。見た目通り、ふかふかのソファは座り心地が良くて、初音は分不相応だと地べたへ座る事にした。
ソファを背もたれにして体育座りするように小さく身体を縮めた。
契約対象者へはすこぶる嫌われているが、あまりの好待遇に戸惑う。今までのアルファ達は機密機関の林のように自分をただの道具のように扱ってきたからだ。
発情期でなくても、オメガを見下し、犯して喜んでいた。アルファとの格の違いを見せつけるように衣食住の差別はもちろん、酷いところでは人間のように扱ってすら貰えなかった。
「……気が重いな」
対象者に好感を持ってもらえないならこんな待遇は返って気負いすると、溜息を漏らす。
不安な気持ちが押し寄せて、初音はポケットにしまっていたロザリオを取出し、胸元で握り締めた。
あと、もう少し……
念じるように祈りをした。この辛く生き辛い世界もあと少しだと自分に言い聞かせる。
そして、再びロザリオをポケットに直し、初音は息苦しいと、胸を押さえて瞳を閉じた。
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