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6.離宮
なにか温かな物に触れられる感触とふわりと漂ってきた優しい香りに目を開けると、メイド服を着た女性が僕の腕をお湯で湿らせた布で拭いているのが目に入った。
「…あ…僕……ここは?」
「お目覚めですか。此処は城内にある離宮でございます」
「…城内?…あ…そうだっ、僕倒れて、皇帝陛下に挨拶を」
そこまで思い出して、自分の顔に布がないことに気がついた。思わず近くにあったシーツを手に取って顔を覆おうすると、女性から心配しなくてもいいと声をかけられて、手を止めた。
「…それはどういう…」
「貴方様がアデレード=ロペス様の替え玉として送られてきたことは既に皇帝陛下はご存知ですから」
「…え…そんな…じゃあ、婚姻は……それに僕はどうなるのですか」
「…婚姻は先延ばしに……貴方様の処遇は皇帝陛下の一存ですからなんとも…」
困ったように目を伏せる彼女を見つめながら足元がグラグラと揺れるような感覚を味わった。離宮にいるということは暗に皇帝陛下は僕に会いたくないと言っているということに他ならない。
それはそうだ…求婚した相手が全くの別人と入れ替わっていたのだから受け入れられるわけない。
「…僕、これからどうしたら…」
「ひとまずはこの離宮が貴方様のお住いになります。私とあと数人、使える者も居りますのでご不便はないかと」
「あ、あの…僕はここに来てどのくらい経ちますか」
「…3日程かと」
3日…。
熱を出して寝込んでいた間にそんなにも時間が経っていたなんて…。
皇帝陛下に挨拶すら出来ず…身代わりだと早々にバレてしまった。
ずっと公爵家で奴隷の様な生活をしていたせいか僕は文字も書くことが出来ないし本を読むことも出来ない。だから、この国がどんな所で、どんな人が皇帝陛下なのかすらもわからない状態だ。
まるでずっとなんの目印もなく透明な道を進んでいくような感覚。
1歩踏み外せば下に落ちてしまうような…不安定で儚い…。
首の皮一枚すら繋がっていない状態のように思える。
「…あの…使用人とか…そういう人たちは僕には必要ありません。出来れば毎日、粥を1杯…いえっ、水1杯でいいので飲ませて頂ければそれで構いませんから…あと、それから井戸の場所を教えて頂ければ自分で水も汲みますし、身体もそこで洗います…ご迷惑はおかけしませんから!」
「なにを…」
「掃除とか、雑用とか何でもします…皇帝陛下がお許しになるのなら直ぐに出ていきますから…どうか…どうかっ…皆さんを騙した僕を許してくださいっ…」
平伏する勢いで頭を下げると、女性が慌てて、僕に顔を上げるように言ってきた。
けれど僕は頑なに頭を上げずにごめんなさいと何度も言い続ける。
頬から伝う涙は何に対してなのだろう。
人を騙した罪悪感からか。
いよいよ頼れる人間の居なくなった自分へなのか。
あの家族から離れられた事に対してなのか。
とにかく心の中はぐちゃぐちゃで、どうしていいかも分からないままひたすら謝り続ける。
困り果てた彼女は僕の頭を上げさせることは諦めたのか、僕の目の前に膝まづいて、下から僕の目をしっかりと見つめながら固く握られた手に自分の手をそっと添えてきた。
「怖がらないで。この国の皇帝陛下は悪い方ではないわ。事情を話せば分かってくれるはず。それに、貴方は替え玉とはいえ皇帝陛下の花嫁としてここに来たのだから、もっと堂々としていなくては駄目」
優しく諭すように、けれど少しの叱咤も織り交ぜたその言葉に僕はまたボロボロと涙を流した。
自分を気遣ってくれるような言葉を貰ったことがない僕には、その言葉はとても暖かい魔法の言葉のように感じられて、ただひたすらに有難いと思った。
「…あり、がとうっ…」
「いいんですよ。ほら泣かないでください。涙を拭いたら着替えをして、食事にしましょう。ずっと何も食べていなかったからお腹が空いていますよね?」
「…うんっ、うん、」
優しく涙を拭われて、その優しさに心の底から感謝した。
こんな来たばかりの余所者を、しかも皇帝陛下を騙そうとした僕にこんなに親切にしてくれる事が有難くて、凄く申し訳なく感じた。
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