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⑪
「ご飯食べたら東園は一旦休んでね。凛子ちゃんに付いてるから」
凛子が起きて薬を飲ませたあと、凛子の熱が下がったのを見届けたら家に帰ろうと思う。
「いや、ゲストルームが二階にあるから三田村が先に休んで」
「……それじゃあ僕が手伝いに来た意味なくない?」
それもそうかと東園はばつの悪い顔をして首の後ろをかいた。その様子がなんだか面白くて思わず笑ってしまった。眉根を寄せた東園が口を開いたとき、インターホンが鳴った。
「ああ、飯か」
そうだった。飯と聞くと腹が減っているような気になってくる。良いタイミングだったと思いながら遅い夕食となった。
チャイムで起きなかった凛子は食べている間も起きてくる様子はなかった。しっかり眠れているようだ。
夕飯はおごりとの事なので食後、せめて食器を洗うと申し出た。
しかし東園家にはシステムキッチンに内蔵された食洗機があり、陽向の仕事は軽く汚れを落とした食器を中に並べていくだけだった。ソファに座ってくつろいでいたらいいのに、東園は陽向の隣に立ってじっと作業を眺めている。視線が少々うざったい。
「今のうちにシャワーかお風呂でも入ったら?」
「そうだ、風呂が沸いてるんだ。三田村が先に入ってくれるか」
「いや僕はいいよ。着替えもないし」
すべての食器を並べて終わったのでスイッチを入れる。グオンと稼働音のあと水音が続く。家族の多い家庭だと家事時間が大幅に減少しそうだ。
「新品のシャツも下着もある。あ、うちの母親用のだからサイズも合うと思う」
「お母さんのはさすがに小さいし、新品なら申し訳ないよ」
手を洗って流しの扉に掛けてあったタオルで拭きながら、下着はなあ、と思う。
「えっ、と、誤解しないでほしいんだが俺の母親はΩの男性だよ」
「え、ああ、……そうなんだ」
陽向は微笑む東園を見上げたまま固まった。
αもだが、Ωは更に珍しく陽向は自分以外の男性でΩ性の人間を見たことがない。陽向の母親はΩだが女性だからつい、母親と聞くと女性を想像してしまう。近くに本当の同性がいる、陽向の頬が熱くなる。
「ひっ、東園のお母さんってどんな方なの?」
思わず噛んでしまった。笑みを深めた東園が陽向を見つめ返す。
「その話は風呂入ってからにしよう」
「え、」
東園に背中を押され、二階へ上がる階段の奥、脱衣場へ入れられてしまった。
「鍵は閉めるなよ、入ってる間に着替え置きに来るから」
「あ、でも、僕は別に、」
目の前でぴしゃりと引き戸を閉められた。陽向はたっぷりスペースの取られた脱衣場で一人首を傾げた。いつのまにやら入浴することになってしまった。
他人の家で入浴なんて、覚えている限りない。
小さな頃からどんな友達でも泊まりだけは母親が許さなかった。昔は凄くそれが悲しかったけれど思春期を迎えると誘われても自ら断るようになっていた。
暫く考えたが体調管理には自信があるし、今は発情期と呼ばれる期間でもない。ちょっと風呂に入るくらい大丈夫かと陽向は結論付けた。なにより東園の母親について聞きたい。
のろのろと服を脱いで浴室をそろっと覗く。
もしかしたら、この家は住み始めたばかりかもしれない。シャワーヘッドも鏡も、広い浴室内すべてがモデルルームで見るように使用感のない輝きがある。特注なのか浴槽は大人が二人、楽に浸かることが出来そうな広さで陽向は手早く身体を洗って湯船に浸かった。
久しぶりにゆっくりと風呂に入っている。陽向は湯を掬って顔を洗った。
身体が温まってくると、改めて自分はなにをやっているんだろうと不思議になる。
今朝の自分が数時間後、東園家の風呂に入ってるなんて聞いたら衝撃を受けるだろう。普段の自分なら、しない。
しかしΩ性の男性で出産した方なんて周りにいないから、聞けるものならどんなお母さんなのか知りたい。
Ωの中でも男性というのは昔であれば恥ずかしい存在として家から出されず死んでいくか、娼館に売られるかどちらかだったと聞いている。そんな歴史を辿ったせいか、抑制剤の発達した現在、一部を除きΩの男性は自分の性を隠している場合が多い。
陽向は結婚するつもりはない。もちろん出産も。
だいたいにおいて、男と恋愛なんて無理だと思う。いくら自分がΩで相手がαでもだ、想像も出来ない。
「男と結婚かあ」
思わず出てしまった声が浴室に響いて気恥ずかしくなる。
話通りなら、東園はΩの男性から産まれたことになる。ご両親が婚姻関係にあるのかは分からないけど。
陽向の両親は、陽向に早くα男性と結婚してほしいと願っていた。両親の気持ちを考えると口に出せなかったけれど、陽向は男なのに、同じ男と結婚なんてしたくないと常に思っていた。
東園の母親はそういう気持ちは無かったのだろうか。
ふと東園が昔、Ωを軽蔑するような発言をしていたことを思い出した。もし、東園が母親を愛しているならあんな発言はしないよなと思う。
陽向の母親と陽向はΩだが家族は仲が良い。αの父親、姉、兄から母親や陽向に対して、Ω差別含む感触を今まで生きてきた中で一片も感じたことがなかった。いつも守ろうとしてくれていた。
しかし一般的にΩは軽視されがちな性だから、母親がΩだとかえってΩを嫌悪することもあるだろう。東園はそうだったのかもしれない。
陽向はなにも考えずただ同性として話を聞きたいと思ったが、東園は聞かれたくないかもしれない。
もしそうなら触れない方がいいのかな。
少し残念に思いながら陽向はゆっくりと浴槽から立ち上がった。
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