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「あっ」  背から落ちた凛子を胸で支えるとびっくりした顔の凛子が顎をあげて後ろから抱き留めた陽向を見た。にっこり笑ってみせるが心臓が痛くなるくらいに驚いたし、冷や汗が背を伝う。 「りんちゃん、ゆっくりでいいんだよ。もう一回してみる?」 「うん」  元気よく返事をした凛子を砂場に下ろすと、再び登りはじめる。  目が離せないよな、と思いながら登る凛子を眺める。なんとか頂上まで行き着き、反対側の滑り台に向かっていった。  陽向も回り込み滑り台の傍へ行くと、凛子がよいしょと座り滑り降りようとしていた。  きゃあと声を上げ降りてくる凛子が手を振っている。  ずっと見ているというのは本当に大変だ。   でもこの笑顔があるから世のお母さん方は頑張れるんだろうなあ、と思う。 「りんちゃん、気持ちよかった?」 「うん!」  おしりから砂場にダイブした凛子はぴょんと立ち上がるともう一回滑る、と今度は真裏の階段へ向かって走っていった。  智紀達が喜ぶので今度は写真を撮ろう。跳ねるように走る凛子の後を追おうと振り返った陽向の足にとんと小さな男の子がぶつかった。 「あ、大丈夫?」  砂場に手を突いた男の子はひょんと立ち上がるとにっと笑う。 「すみません、こうちゃん急に走ったら危ないよ」 「いえ。怪我がなくて良かった」  凛子よりちょっと身体が小さいから三歳前かなと思う。  こうちゃんと呼ばれた男の子は凛子と同じくダウンを着ていてもこもこのシルエットがなんとも可愛らしい。母親がズボンをはたいている間にも遊具に向かって行きたくてうずうずしている。 「お砂に飽きて今度はあっちです。お互い大変ですね」  母親は笑って、東屋の近くにある小さな蜂を模した乗り物を指した。  手を離した瞬間走り出したこうちゃんを追って母親は、陽向に一礼すると走り始めた。  陽向ははっと凛子はどこに行ったかと辺りを見回す。  陽向の見えるところにはいない。背筋が冷たくなる、まさか車道に出てしまったのでは。  陽向が見える範囲に事故が起こった様子はなく、テントウムシが邪魔で見えないところを確認するため陽向が回り込もうと走り出すと「ひーたん」と階段途中で手を振る凛子が笑っている。 「りんちゃーん」  ほおっと大きく息をつき、そして手を振った。  無邪気に手を振り返す凛子に笑いかけながら階段の真下へやってきた。  子ども一人が大きくなるのはどれだけの人の目が必要なんだろう、と思いながら今度は階段から落ちないように「りんちゃん、手すりしっかり持ってね」と声を掛ける。    背後から年上の子供達が階段を登り始めたが、狭い階段で凛子を抜こうとはせず、背についた。  えっちらおっちら進む凛子が頂上へ到着すると、広さのあるそこで凛子は手すりから下を眺め陽向に手を振り、後ろについていた子供達は凛子の脇を通り過ぎ向こう側の滑り台に消えて行った。  普通の滑り台とは違い、複数人で滑ることが出来る滑り台の幅広さもこの遊具の魅力の一つだろう。  子供達がはしゃぎながら滑る声に引かれるように、凛子の顔が滑り台へ向いた。  ありゃ、もう滑るのか。  さて今度は滑り台のほうへ移動しなくては。  振り返ると陽向がさっき通った砂場には三名の幼児がスコップで穴掘りを初めていて、三人の母親、父親が背後で見ている。  陽向は邪魔をしないようにいったん砂場を出て滑り台の着地点へ行くことにした。  テントウムシの周りを歩いていると凛子の後ろ姿が見えた。  もう滑り降りていたらしい。  走り出そうとしたとき、凛子が誰かに話しかけられていることに気がついた。  背の高い、女性だ。顔は良く見えないが、艶のある肩を覆う髪が綺麗だ。あまり公園では見かけない柔らかそうなベージュのコートにピンクのパンプス。  ここにいる、誰かのお母さんなのかな。  陽向が駆け寄ろうとしたとき、その女性が凛子を抱え走り始めた。 「え、」  脳が事態を把握出来ず一瞬、動きが止まる。女性が抱えた凛子と目が合った瞬間、陽向は弾かれるように走り始めた。 「待ってっ、りんちゃん!りんちゃん! そのひと、とめてっ」  連れていかれてしまう。  最後は絶叫になっていた。  凛子を抱えた女性は陽向の声を背に浴びながらも公園に横付けされた黒いセダン車へ向かって走る。  凛子は「ひーたっ」と叫んだあと火が付いたように泣き出した。  凛子の泣き声にも躊躇することなく、女性はセダン車の後部座席に飛び込む。  近づいて分かったが、運転席に男性がいる。  計画的、という言葉が過る。  血の気がざっと引き、陽向はまた「りんちゃんっ、返して」と叫んだ。  逃げ込んだ女性を追って陽向も後部座席のドアハンドルに手をかけるが、その瞬間エンジンが唸りをあげ、走り出した。 「りんちゃんっ、りんちゃんっ」  陽向も車を追って走り出す。  車は直進し初めの角を左に折れた。ナンバープレートの番号を覚えながら車が曲がったとおり角を折れると、車は忽然と消えていた。先の角を曲がったんだろうが、左右どちらに折れたのか分からない。  陽向は足を止め息を整えながらスマホで三浦に連絡した。 「もしもし、ひなたさん?」 「すみません、三浦さん、りんちゃんが誘拐されましたっ」 「えっ、誘拐っ? 嘘でしょ、凛子ちゃんそこにはいないんですか?」 「はい、警察に、連絡して下さい。テントウムシ公園で、黒いセダン車でりんちゃんを連れて行きました、男女の二人組です。ナンバー覚えているのでメモお願いします。番号は、」  陽向の言う番号を三浦が復唱したあと、陽向は「もう少し探します」と伝え電話を切った。  角まで再び走った陽向は周囲を見回し肩を落とす。見当たらない。  車が角を曲がって、すぐに陽向も角を曲がった。それで見失ったのだから、この最初の角をどちらかに曲がったのは確実だった。  膝に手を当て荒く息を吐き出す。  陽向がもっとちゃんと見ていれば、ちゃんと付いていれば、計画的だったとしても誘拐なんかされなかった。  どうしてべったり付いていなかったのか。    目を離してしまった瞬間を死ぬほど後悔した。 「りんちゃん」  声が震える。  連れ去られるとき、凛子は泣いていた。  うるさいって叩かれたりしてないだろうか、怖いことされていないだろうか。  凛子の不安を考えると心配で心配で堪らない。  両足が重たく感じる。陽向はよろよろとテントウムシ公園へ引き返した。

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